サッカー見聞録

サッカーに関する記憶を留めるために

映画「マラドーナ」

2011年05月07日 22時12分51秒 | サッカー日記
今週いつだったか、夜のBS番組として「マラドーナ」と題する映画が放映されていた。
当然この映画は昔の映画だが、私はこの映画の存在を知らなかった。
暇だったので、今更マラドーナの栄光の伝記映画でもなかろうと思いながら見た。

しかし、この映画は栄光の伝記映画ではなかった。

言ってみれば、反米、反グローバリズム啓蒙映画であった。

マラドーナがキューバ革命の指導者カストロを支持し、反体制を貫く、いってみれば革命の闘志のような思想を持ち行動をする人間であるとはつゆ知らなかった。

カストロと同士であった、チェ・ゲバラがアルゼンチン出身であること。
私にとってはそう遠い事ではない、イギリスとアルゼンチンとの戦争であるフォークランド紛争。
フォークランド紛争後のメキシコW杯での、アルゼンチン対イングランド戦とマラドーナのそのゲームでの活躍と神の手。
セリエAナポリ時代のイタリアにおける南北問題等々、政治色満載の映画であった。

私は学生運動をした世代ではない。
私が大学に入った時、学生運動の火は殆ど消えていた。
それどころか、大学に入学した年に雑誌ポパイは創刊された。
雑誌ポパイは我々学生にアメリカ西海岸の風をどんどん送り込んできた。

その影響でサーフィンブームが起き、学生はスケートボードに興ずるようになった。

しかし、我が大学には学生運動の残滓があり、殆ど学校はロックアウトされた状態であった。
たまに授業があっても、授業中にヘルメットにバールや鉄パイプを持った活動家が教室になだれ込んできたりした。
彼らの狙いは教授だったようだが、我々学生も身の危険を感じ教室から脱出した。
雑誌でいえば、「ポパイ」より「朝日ジャーナル」が似合う大学だった気がする。

そのような経験をしたのと、左翼運動に身を置くには相当な覚悟が必要であると思っていたので、マラドーナという人物の見方がこの映画を見て変わった。

スポーツに政治を持ち込むなとは良く聞くフレーズだが、実際は政治と金と無縁ではあり得ないようだ(あくまでもこの映画で述べられているだけだが)。

この映画の監督が旧ユーゴスラビア出身なので、より一層この映画は政治色を濃くしている。チトー亡き後のユーゴの混乱は既知のことである。
また、反米主義の先鋭といえる、チャベスもモラレスもでてくる。

この映画を見てふと思うことがあった。
浦和レッズの埼玉スタジアムでの試合で、スタンドにチェ・ゲバラの大きな横断幕が張られているが、あれには何か思想的なものがあるのだろうか?

あるとしたらどのようなものか?
反体制のムーブメントが全く見られなくなったこの日本で、革命の象徴である人物の横断幕がサッカースタジアムに張られる意味。
そこに込められたメッセージや如何に。