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タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

私の「戦後70年」日本共産党異聞(その3)

<『北海道新聞』夕刊に連載された「私の戦後 70 年」の標題 >

※ 記事は、7月6日から9月19 日まで続いた。アカイアカイ『アサヒ』より更にアカイ『ドウシン』の連載だから、内容は推して知るべし。○○○○党機関紙の編集長も跣で逃げ出すほど、アカイ出来映えが見事。(2015 年)

<私の「戦後 70 年」日本共産党異聞一覧>

1. 菊地某がシベリア抑留から故郷に復員
※ この項の記述については、10 13 日投稿の(その1)を参照。

2. 共産党員と間違えられた母の不当解雇事件
※ この項の記述については、10 25 日投稿の(その2)を参照。

3. 同僚(日本共産党員)のYが引っ越しでハプニング
昭和 40 年春の同期入社は、 私のほかに、 YとSの二人。
Yは共産党系労組に、 Sは社会党系労組に参加。
私はどちらにも加わらず、 退職まで孤塁を守る。
私の労組嫌いについては(その2)を参照。
Yは日本共産党員で、「うたごえ運動」に執着。
Sは、日本社会党が手を引いたことから、「うたごえ運動」を批判。
私は「ヘッ、歌って踊って日共民青」と一蹴。
昭和 40 年8月6日、Yの引っ越し。
手伝いの上司が「Yくん、荷物、これでおしまいかい」とポツリ。
Yは「はい、OKです」と部屋を出ようと。
上司が「大切なもの、残っているよ」と目線を上げる。
Yは「あっ」と一声、脱兎のごとく脚立に上がる。
日本共産党中央委員会議長・野坂参三の御影額縁が欄間に。
野坂議長・宮本書記長体制が確立して間もない頃。
野坂については、早くからスパイ説が囁かれていた。
日本共産党は、疑惑をうやむやに、野坂を名誉議長に祭り上げる。
不破も志位も、その係累に繋がっているわけだ。

4. 日本共産党が野坂参三を除名処分
5. 名誉教授になれなかった知人の元・大学教授
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