<『北海道新聞』夕刊に連載された「私の戦後 70 年」の標題 >
※ 記事は、7月6日から9月19 日まで続いた。アカイアカイ『アサヒ』より更にアカイ『ドウシン』の連載だから、内容は推して知るべし。○○○○党機関紙の編集長も跣で逃げ出すほど、アカイ出来映えが見事。(2015 年)
<私の「戦後 70 年」日本共産党異聞一覧>
1. 菊地某がシベリア抑留から故郷に復員2. 共産党員と間違えられた母の不当解雇事件
3. 同僚(日本共産党員)のYが引っ越しでハプニング
昭和 40 年春の同期入社は、 私のほかに、 YとSの二人。
Yは共産党系労組に、 Sは社会党系労組に参加。
私はどちらにも加わらず、 退職まで孤塁を守る。
私の労組嫌いについては(その2)を参照。
Yは日本共産党員で、「うたごえ運動」に執着。
Sは、日本社会党が手を引いたことから、「うたごえ運動」を批判。
私は「ヘッ、歌って踊って日共民青」と一蹴。
昭和 40 年8月6日、Yの引っ越し。
手伝いの上司が「Yくん、荷物、これでおしまいかい」とポツリ。
Yは「はい、OKです」と部屋を出ようと。
上司が「大切なもの、残っているよ」と目線を上げる。
Yは「あっ」と一声、脱兎のごとく脚立に上がる。
日本共産党中央委員会議長・野坂参三の御影額縁が欄間に。
野坂議長・宮本書記長体制が確立して間もない頃。
野坂については、早くからスパイ説が囁かれていた。
日本共産党は、疑惑をうやむやに、野坂を名誉議長に祭り上げる。
不破も志位も、その係累に繋がっているわけだ。
Yは共産党系労組に、 Sは社会党系労組に参加。
私はどちらにも加わらず、 退職まで孤塁を守る。
私の労組嫌いについては(その2)を参照。
Yは日本共産党員で、「うたごえ運動」に執着。
Sは、日本社会党が手を引いたことから、「うたごえ運動」を批判。
私は「ヘッ、歌って踊って日共民青」と一蹴。
昭和 40 年8月6日、Yの引っ越し。
手伝いの上司が「Yくん、荷物、これでおしまいかい」とポツリ。
Yは「はい、OKです」と部屋を出ようと。
上司が「大切なもの、残っているよ」と目線を上げる。
Yは「あっ」と一声、脱兎のごとく脚立に上がる。
日本共産党中央委員会議長・野坂参三の御影額縁が欄間に。
野坂議長・宮本書記長体制が確立して間もない頃。
野坂については、早くからスパイ説が囁かれていた。
日本共産党は、疑惑をうやむやに、野坂を名誉議長に祭り上げる。
不破も志位も、その係累に繋がっているわけだ。
4. 日本共産党が野坂参三を除名処分
5. 名誉教授になれなかった知人の元・大学教授