タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

私の「戦後70年」日本共産党異聞 (その2)

<『北海道新聞』夕刊に連載された「私の戦後 70 年」の標題 >

※ 記事は、7月6日から9月19 日まで続いた。アカイアカイ『アサヒ』より更にアカイ『ドウシン』の連載だから、内容は推して知るべし。○○○○党機関紙の編集長も跣で逃げ出すほど、アカイ出来映えが見事。

<私の「戦後 70 年」日本共産党異聞一覧>

1. 菊地某がシベリア抑留から故郷に復員
※ この項の記述については、10 13 日投稿の(その1)を参照。

2. 共産党員と間違えられた母の不当解雇事件
 私の母は、アカエゾマツの苗木を育てる、個人経営の圃場で長く働いていたが、昭和 31 年5月 15 日早朝、 仕事に出向く直前に雇用主から呼び出され、 突然、 解雇を言い渡された。理由は、「同僚を使嗾し賃上げ騒動を画策した」ということだった。身に覚えのない言い掛かりだが、組合を持たない日雇い労働者が、一人で雇用主に抗うのは不可能だった。
 後になって、 日頃「出面賃、1円でも上げてほしいよね」と会話を交わしていた同僚の木村某女が、「恐れながら‥‥」と密告した事実が判明したが、母は恨みがましいことは何も言わず、 さっさと別の造林の仕事に転じた。
 この事件の直後に、日本社会党員で町議会議員を務めていた親戚筋の佐藤某が我が家に来て、 薄ら笑いを浮かべながら、 母に向かい「おまえ、共産党だってな」と嘲ったのは、当時中学2年の私の耳には、許しがたい暴言に聞こえた。 私が記憶している限り、両親は共産主義とは縁もゆかりもなかった。未組織労働者の不当解雇に助け船を出そうともせず、 感情的に「共産党憎し」を顕わにするのが、 社会党員の真実の姿で、今の社民党員と民主党員の一部は、その末裔である。

3. 同僚(日本共産党員)のY君が引っ越しでハプニング
4. 日本共産党が野坂参三を除名処分
5. 名誉教授になれなかった知人の元・大学教授

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