タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 上ホロカメットク山の雪崩 ≫

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 大学在学中に、二つの大きな山岳遭難事故があったことを、私は今でも鮮明に記憶している。一つは、昭和三十八年、新年早々の薬師岳における愛知大学山岳部パーティ十三名遭難。もう一つは、昭和四十年三月十四日、日高山脈札内岳における北海道大学山岳部パーティ六名遭難。いずれも捜索不可能で、春に全員死亡が確認された。
 薬師岳の遭難の原因は、猛吹雪の中で登頂を強行したうえに、結局、諦めて引き返す際、下山の尾根を間違えたことにある。登頂計画を中止するか、あるいは早々と引き返すか、判断の誤りが悲劇を招いた。
 11月23日に上ホロカメットク山で、日本山岳会北海道支部パーティ十一名が雪崩に巻き込まれた遭難事故(四名死亡)も、11月25日付『北海道新聞』第1面の記事によると、22日に大量の降雪があり、表層雪崩が生じる可能性があったのに、「早い段階で引き返さなかった判断に誤りがあった」(リーダー談)のが原因である。
 札内岳の遭難事故では、遭難者六名のうち、一人は私の学友だった。札内川上流の十の沢で雪洞を掘り就寝中に、全長一キロに及ぶ大雪崩に襲われたのである。デブリの中の僅かな空間で、リーダーが四日間生存し、遺書を残したことで話題となった。遭難の原因は、雪崩の危険性が高い春山で、沢に沿って登るという、軽率な計画にあった。
 <新雪の上ホロカメットク山の写真は、俵浩三・今村朋信(編)『北海道の山』(山 と渓谷社)から転載>

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