タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 日本相撲協会役員改選 ≫

P1010798  10年も前の出来事を今更、と思う向きもあるかもしれないが、平成10年1月に行われた日本相撲協会役員改選は、予想もしないハプニングがあった。
 日本相撲協会は、大正14年12月に財団法人として認可され、昭和3年に役員の選任があり、ようやく法人としての形態が整えられた。
 昭和43年に機構改正が行われ、公選制によって理事(10名)・幹事(3名)を選出するという、一応は民主的な形式に改まった。しかしながら、平成8年までの理事は、五系統の一門(10月4日付『讀賣新聞』第15面〈解説〉の「一門別相撲部屋一覧」を参照)に各二名を割り振る形で、無投票が続いていた。つまり、選挙前に一門内で調整が行われ、二名の候補者は既に決まっていた。
 ところが、平成10年の役員改選は、各一門に二名割り当てる慣例を止め、公選制になって初めて投票による選挙が行われたのである。投票を行うのは、年寄106名・力士代表4名・行事代表2名の計112名の評議員。各一門は候補者の選定に難儀したといわれている。
 この時のハプニングを、雑誌『大相撲』第四十四巻・第三号(読売新聞社)は、<古川泉の大相撲データノート>で、「今回の理事改選は異例づくめだ。理事長を退いた境川が理事に留まったが、理事長を退いた親方が引き続き理事を務めるのは初めて。大荒れだったのが高砂一門で、候補選出に漏れた陣幕が協会を退職した。一門未公認で無所属立候補の高田川が当選したものの一門を破門された。このあおりを食って枝川が選挙に落選、落選で理事を失ったのは初めてのことだ」と記している。
 改選の翌日に行われた理事会で、史上初の選挙で時津風理事長が誕生したいきさつについては、別の機会に投稿予定である。

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