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韓国語の純化で 日本語は放送禁止用語

2010年03月20日 | 支那朝鮮関連
【海外メディア最新事情】韓国語の純化で 日本語は放送禁止用語
(GALAC 2010年4月号掲載) 2010年3月14日(日)配信
文=ジャーナリスト 安 暎姫

バラエティでも日本語は不適切

昨年七月、韓国の人気バラエティ番組で「ユック・サシミ(刺身)」という言葉を使ったとして問題になった。問題になったシーンは、番組のレギュラーが食堂で「ユック・サシミ!!」と注文をするところで、画面の下には「ユック・サシミ」とテロップも流れていた。これに対し「不適切な用語の使用」という視聴者からの指摘を受け、最終的に番組の制作担当者たちは、「正当な指摘だ。出演者が外来語を使ったのは明らかで、出演者が放送に不適切な言葉を使ったとしても番組制作側がそれを編集すべきであったのが、不注意であった」と、誤りを認めた。

「ユック・サシミ」は、日本語と韓国語が混じった造語である。「ユック」というのは韓国語の「肉」を表す言葉であり、「サシミ」とは「刺身」のこと。韓国には生の牛肉を食べる「ユッケ」があるが、それは生の牛肉を味付けしたものであり、「ユック・サシミ」というのは、「馬刺し」のように味付けされていない生肉のことである。

「ユック・サシミ」がなぜ問題になったのか。韓国は日本の植民地統治下に置かれたことがあり、当時の韓国人は韓国語の使用を禁じられ、日本語の使用を強要された。そのため、純粋な韓国語の代わりに日本語が日常生活に浸透した。韓国人同士で話をするにしても、韓国語の読み方ではあるが、純粋な韓国語ではない、日本の漢字語を韓国語読みにした言葉が増えた。

 戦後、韓国は独立し、それまで禁じられていた韓国語を話せるようになったが、それまで高等教育を受けた人たちは、日本の漢字語をそのまま使っていた。その人たちが作った法律用語はまったく日本の法律用語と同じであった。さらには、新しい西洋の文化を取り入れる際も日本語に翻訳された書籍を韓国語に訳したので、さらに日本語の影響は強くなった。

そうした中、韓国語の研究者たちは言葉の浄化作業を地道に進めてきた。こうした努力の結果、植民地時代に日本語にとって代えられていた純粋な韓国語をほとんど取り戻すことができた。しかし、言葉というものは一斉に抹消されたりすることはない。公共の場では日本語の使用は少なくなったものの、日常生活になじんでしまった日本語はいまだに日本語だと知らずに使われている。

韓国政府は一九九一年から国立国語院という機関を立ち上げた。語文政策に必要な資料を科学的・体系的に調査・研究し、語文政策の基盤をつくり、国語生活に必要な語文の規定を改定したり、標準語を査定し、国語辞典を編纂するなど、韓国語全般に関して司る機関である。

「日本語風の用語」純化資料集

二〇〇五年国立国語研究院は、植民地からの解放(独立のことをこう呼ぶ)後六十周年を記念し、日本語風の用語純化資料集を発行した。そこには、「戦後直後から『国語の浄化』と題し、大々的に日本風の用語を韓国語に純化してきた。

それでも、日常生活では、「チラシ、枠、袖なし」や「路肩、代金、忘年会、仕様」などの日本式漢字がまかり通っている。建設分野では「土方、均し」、自動車の整備現場では「キズ、マフラー」などが通用している。さらには縫製、印刷、放送の現場にも残る。放送の現場ではカメラマンが「手持ち」などを専門用語として使い、殺陣を「立ち回り」という。

筆者が会議通訳などで、普通なら難しく思える建設用語や法律用語などが簡単に思えるのは、ほとんど日本語と似ているからだ。資料集を見ると、韓国語だと信じて疑わなかった漢字語がほとんど日本の影響を受けていることがわかる。

漢字語に関しては、行楽、船着場、祝祭、発信、脚線美、残業、集中豪雨、宅配制度、改札口、待合室、売切れ、忘年会、架け橋、間食、欠食児童、掘削機、甲種、見習い、欠席届、決裁、鶏卵巻き、勾配、古参、紺色、根性、空席、旧型、買占めなど。(*1)

*1 ほかに、今週、今回、 挽回、邦画、白墨、 輸入先、輸出高、売店など。

日本語の発音をそのまま使っている言葉としては、カラオケ、空手、顔マダム(看板俳優の意)、バリカン、バケツ、ボタン、分配、パンク、皿、サラダ、刺身、桜、袖なし、段取り、空色、勝負、弁当、寿司、下張り、新品、スリ、十八番、山、あんこ、焼き饅頭、エンコ、おでん、おやじ、ゆとり、わりばし、楊枝、親分、子分、賄賂、上着、いっぱい、汁(韓国語ではなまって「ジリ」と呼ぶ)、チラシ、ふかしなど。(*2)

日本語で使われている漢字語の場合でも、韓国語で読んでいる場合はほとんど放送禁止用語とはならないが、「忘年会」や「手順」「十八番」など漢字を韓国語読みしていても、放送禁止用語となる場合がある。日本語読みのものはすべて放送禁止用語である。

韓国語に残っている日本語は長い間韓国人が言いやすい言葉に代えられ、訛る場合がある。リュックサックは「ニクサク」、土方は「ノガタ」、炉辺焼きは「ノバタヤキ」、「新しい」は「あだらし」となる。韓国語の特徴として長音をあまり意識せず、二番目の文字で濁音になることだ。そして韓国には二音法則というのがあり、最初の音が「ロ」の場合「ノ」に変わる。

国語純化のために日本語だけがダメだというわけではない。しかし、植民地時代に多くの日本語が韓国語を侵害してしまったため、韓国語で使えるものは韓国語にしなければならないということである。また、日本語だけでなく韓国語であっても俗語、卑語、そして無分別に使われている外来語も韓国語にするのが、国語の純化である。

*2 ほかに、付録、無鉄砲、もち、味噌汁、ミシン、満タン、マンガ、巻き、とんとん(五分五分の意)、てんかん、冷やし、いじめ、大判焼き、たまねぎなど。
アン・ヨンヒ ソウル在住。梨花女子大学で教鞭を執りながら定期的にJMM(ジャパン・メール・メディア)、「日経コミュニケーション」にコラム寄稿。著書に「シナブロ」(小学館)など。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/galac-20100314-01/1.htm



73 :子ぬこ@ペット右翼 ◆sdKONUKOXQ :2010/03/20(土) 13:19:44 ID:wCeTi5Qx ?PLT(12072)
まず日帝は朝鮮語の使用は禁止してない
日本語が流入したのは朝鮮語の語彙が少なかったため

この2点について目をそらし続ける韓国は
今後も言語的発展は望めないよ

80 :支援機構@ジャポニカ学習帳 ◆2ChOkEpIcI :2010/03/20(土) 13:22:08 ID:zEgsXrCC ?2BP(3333)
>>73
「約束」とか「契約」って語彙がなかったんだから何をか況んや。

110 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/20(土) 13:30:02 ID:w/sEX2Cb
半分くらい語彙が減るんじゃないの?

602 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/20(土) 14:36:37 ID:HdrsBD5u
>日本語の使用を強要された。そのため、純粋な韓国語の代わりに日本語が日常生活に浸透した。

強要されたら日本語が日常生活に浸透するんだ?
へえ~

686 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/20(土) 14:46:11 ID:c25LGloV
>韓国語の使用を禁じられ

まだこんな嘘言ってんのかよ

699 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/20(土) 14:48:07 ID:c25LGloV
そう言えば、ノムヒョンが思いっきり「約束ヤクソク」って言ってたんだがw











【書籍】 どうして忘れようか!日本の各種蛮行を~「日本、朝鮮総督府を建てる」韓国で出版[03/19]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1268999987/-100

http://photo.hankooki.com/newsphoto/2010/03/19/alba01201003191705190.jpg
■日本、朝鮮総督府を建てる(ホ・ヨンソプ著、チェ・リュン編集)

「総督府庁舎の中に堂々と取り調べ室を作っていたことだけ見ても、あの人たちが初めからどんな考えを持っていたのか十分に察することができる。取り調べ室は1階の中央階段真下に作られた。単純な取り調べではなく、水責めで拷問できるように排水樋も設置された」

今はない建物が今の景福宮勤政殿の前にあった。15年前に国立中央博物館として使われていたその建物は「朝鮮総督府庁舎」。王朝の象徴の景福宮を壊して作ることによって朝鮮の民の脳裏から王朝の残影を消すという帝国主義的な悪辣さがそのままあらわれる象徴的建物だった。

朝鮮が日本と強制合併されたのがちょうど100年前のことだ。1910年、帝国主義日本は朝鮮を武力で屈服させて我が国の人々に様々な蛮行を犯した。

それから100年が過ぎた。「近くて遠い国」と呼ばれた韓国と日本の両国は文化および外交的交流を通じて100年前とは変わったが、今でも独島(ドクト、日本名:竹島)領有権問題や靖国神社参拝、挺身隊おばあさん問題などは100年前から一歩も進めずにいる。

報道人出身で現在の放送通信審議委員会放送広告分科特別委員長である著者は韓日合併100年をむかえて去る96年発行された「朝鮮総督府、その庁舎建設の話」を修正および補完して改訂版を出版した。

この本は「果たして日本の韓国に対する植民統治は正当だったのか?」という疑問を土台に朝鮮総督府庁舎建設当時の状況を構成した。著者は朝鮮総督府建設過程を通じて日帝植民政策の姿を振り返り、過去の歴史の姿をもう一度考えてみようと語る。1万9、000ウォン.

キム・ジア記者

ソース:韓国日報(韓国語) [本と世の中]どうして忘れるだろう!日本の各種蛮行を
http://economy.hankooki.com/lpage/entv/201003/e2010031917050894220.htm

日帝時代、朝鮮総督府は羨望の職場(?)~日帝走狗の「巡査」就職競争率10倍


日本の過保護で世界一幸福だった二十世紀の朝鮮民族
黄文雄  正論 2003年6月号

「韓国併合」と言われるもの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の合併だった。戦後の朝鮮人はよく、日帝の植民地略奪」を強調し、日本人も朝鮮では台湾以上に過酷な統治が行われていたと考えがちだが、事実はまったくその逆である。朝鮮では台湾よりも地租が安く、産米も逆ざや制度が取られ、地下資源の経営も中央政府からの補助で支えられ歳出も中央による年平均15~20パーセントの補填で支えられていた。資本投資も台湾より朝鮮の方が大きかった。

そのため二十世紀初頭まで糞尿だらけで世界一不潔な都市といわれていた現ソウルなど、美しい近代的な街に変貌し、半島の人口も倍増した。普通の近代国家なら、国民が国防費を賄うのが義務であり常識だが、朝鮮人からは一銭たりとも徴収しないという特別待遇だった。 

二十世紀の人類史において、当時の朝鮮人ほど、過保護を受けて幸福に暮らしていた民族はない。 飢饉・疫病や戦乱・革命の被害も、自国民同士の朝鮮戦争を除いては、この国の人々の損害は実に小さい。このように韓国は、日本に依存しながら成長した国家なのである。戦後の国作りの成功、OECDの加盟の達成にしても、日米の資本と技術の移転に頼ったからこそだ。「第二の国辱」と言われる97年末以来の金融危機も、IMFの管理下に入ることで国際的地位を守っている。他力本願、ことに対日依存というのが、近代以降のこの国の体質になっている。

しかし韓国人は民族の誇りから、このことを絶対に認めたくない。だから日本時代に行われた徴兵や徴用にしても、みな自分たちの意に反した「強制連行」だったと主張したがるのである。

http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/heigou.html











日本鳥銃‐刀‐朝鮮人参、17世紀大韓海峡を行き来した

「17世紀、韓国と日本を行き交った武器密売があった。孝宗の北伐政策推進と密接にかかわったようだ」‐‐。

日本・京都大学人文科学研究所キム・ムンギョン教授(58)の主張だ。19日、檀国大東洋学研究所(所長ソ・ヨンス)が主催する国際学術会議でこうした内容の論文を発表する。学術会議はこの日午前9時30分から午後6時30分まで檀国大大学院棟(法学館)319号で行われる。

キム教授の論文タイトルは「17世紀韓日間の武器密輸事件について」だ。それによると、密輸は日本の地方商人と朝鮮政府の間で行われた。朝鮮が日本から持ちこんだ品目は鳥銃、硫黄、日本刀などの武器類だ。武器を購入する代わりに朝鮮からは特産品である高麗人参を渡した。

武器類と高麗人参を密売した理由は日本政府が武器の海外搬出を禁じたからだという。このために朝鮮政府も公式取引ができなかった。ところで表ではを立てて取引したが、背後には備辺司があった。備辺司は朝鮮後期政府の最高議決機関だった。

17世紀は清が朝鮮に侵入した丙子胡乱(1636年、仁祖14年)が起きた時代だ。この時代に韓日間武器密売が行われた理由をキム教授は孝宗の北伐政策と関連付けた。「17世紀全般清の朝鮮侵入で北方に緊張感が造成され、孝宗が北伐政策を推進しながら軍費を強化したことと関係がある」という主張だ。また当時、朝鮮が清に対して和戦両面作戦をしたようだと言った。一方をもっては鳥銃と硫黄で軍費を強化しながら、他の一方をもっては輸入した日本長剣を清政府の実力者に贈り物として活用したというのだ。

キム・ムンギョン教授は日本、朝鮮、中国の歴史資料からこのような主張の根拠を見つけた。日本の資料である「唐通事心得」に17世紀長崎の巨富だった伊東が朝鮮に十三回も行って武器を売ったという内容がある。朝鮮の資料「朝鮮王朝実録」の仁祖、孝宗、顕宗編には武器密輸関連高位官僚たちの論議がある。清の資料「皇清開国方略」には朝鮮が日本刀を清の実力者に送ったという内容が記録されている。

これに対して檀国大史学科キム・ムンシク教授は「これまでよく知られていなかった17世紀の韓日間武器密貿易の実際を明らかにし、その影響が清にまで現れることを論証したという点でとてもおもしろい」とし「17世紀韓日間の貿易はたいてい対馬の中継を通じて行われたものと理解してきたが、長崎商人が貿易に直接介入したことを示すことで、この分野研究の視野と範囲をもっと広げなければならないという課題を提示した」と評価した。

2010.03.19 17:17:06
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=127378&servcode=400

大韓帝国時代の火縄銃、在日同胞が博物館に寄贈








【韓国】 パク・チョンヒ教授「朝鮮通信使を歓迎する儀式茶礼、次第に非礼に。朝・日国力の変化を反映」★3[03/19]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1269089485/-100

http://photo.hankooki.com/newsphoto/2010/03/16/l391204201003162242200.jpg
http://photo.hankooki.com/newsphoto/2010/03/16/l391204201003162242201.jpg

外交儀式は当事の国同士の力関係を反映する。1607年から1811年まで9回派遣された朝鮮通信使を迎える日本側の儀式変遷を見ればその力学が明確にあらわれる。東アジアの文化宗主国を自負した朝鮮と新たな強者に浮上した日本の間でパワーゲームの様相がはっきり見られる。

茶文化研究者のパク・チョンヒ(53)円光(ウォングァン)大東洋学大学院客員教授は著書<17~18世紀通信使に対する日本の儀式茶礼>(民俗院発行)で朝鮮通信使に対する日本の外交儀礼の変遷過程を分析した。「儀式茶礼」とは外国使節を接待する公式儀式を意味する。朝鮮の対中国外交と比較すると対日外交資料は貧弱なことこの上ないが、朝鮮通訳官のガイドブック的役割をした「通文館志」(1720)と「?正交隣志」(1802)、日本側資料の「対馬宗家文書」などをていねいに見て回った。

パク教授は「壬辰倭乱直後までも日本は単なる交隣関係に見えないほど朝鮮を親切丁寧にもてなしたが順次同等な礼を求め始め、ついに朝鮮より優位に立とうと考えた」と分析する。朝鮮通信使の使行は対馬から始まって京都、江戸(東京)へと続いたが、パク教授は使行を迎える対馬の島
主らの出迎え位置の変遷に注目してこう結論した。例えば1607年、通信使らが壬辰倭乱後、初めて使行を再開した時まで、島主らは宴会が開かれる楼閣の外、中門まで出てきて使節らを出迎えたが、順次石段の上(1617年、1624年)、石段の下(1636年)、階段の上(1655年)、大庁の上(1682年以後)と出迎え位置が変わるなど傲慢になった。

儀式中最も重要な手続きの書契(国書)伝達の過程でも時間が経つほど日本の非礼が目立った。1607年には島主が来て先に最初の挨拶をした後、通信使らが書契を伝達したが、その後は首席通訳官が島主の家に行って書契を伝達する形(1636年)に変わった。通訳官が書契を伝達すれば、当日または翌日、島主一行が感謝の挨拶をしたが、18世紀になると早ければ7~10日を過ぎてから島主が挨拶しにくるほどになった。

パク教授は「初期に朝鮮通信使らは日本側の欠礼に対し、叱ったが後には不満を表わさないで順応するようになった点も注目すべきだ」と言う。彼女は「この現象は丙子胡乱を体験した後、清の侵略脅威に直面していた朝鮮が日本と平和を維持するよう努めていた点、このような朝鮮の境遇を利用して立場を強化しようとした日本の外交的計算がかみって明らかになったことだ」と分析した。彼女はまた通信使の地位についても「当時の江戸幕府は朝鮮通信使を琉球(沖縄)の朝貢行列と同列に置こうとするなど朝貢国の臣下概念で見ようとした側面もある」と付け加えた。

本来パク教授は外交史ではなく風俗史研究者。茶の文化が日本ほどなかった朝鮮で、なぜ通信使らの国書伝達儀式を「書契茶礼」と表現したのだろうか、という点が気になって外交関係全域に関心を広げたという。彼女は「行茶など表面に見える点に集中した既存の茶道研究から進んで、茶道文化を歴史、哲学、産業的脈絡と関連させて研究したい」と話した。

ソース:韓国日報(韓国語) パク・チョンヒ教授"儀式茶礼の逆転、朝・日力の変化反映"
http://news.hankooki.com/lpage/culture/201003/h2010031622422484210.htm

鶏を盗んで、町人と 喧嘩をする 朝鮮通信使。

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