慰安婦の証言で分かった「少女を騙したのは韓国人同胞」~朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授著

2013年08月17日 | 支那朝鮮関連
【書籍】 慰安婦の証言で分かった「少女を騙したのは韓国人同胞」~朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授著「帝国の慰安婦」[08/17]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1376729163/


▲「帝国の慰安婦」/朴裕河(パク・ユハ)著、328ページ、1万8千ウォン.

韓日関係はいつも平行線だ。独島(ドクト、日本名:竹島)問題や日本の右傾化、歴史清算問題など各種問題をめぐり、衝突と漂流を続けてきた。この中には‘慰安婦’という大きな宿題も含まれている。

光復68周年に際して出版された朴裕河(パク・ユハ)世宗(セジョン)大日本文学科教授の本「帝国の慰安婦」では「韓国人が持っている慰安婦のイメージは慰安婦の‘記憶と経験’の半分に過ぎない」と批判する。彼女は私たちが既に知っていることとは少し違った慰安婦問題の隠された半分の真実、聞きにくく敬遠したい話を掘り起こす。

この本は慰安婦らの証言を通じて私たちの恥部を率直に表わす。女性たちをだまして戦場に引っ張っていき虐待と搾取を日常的に行った主体は大部分が同胞の朝鮮人の民間会社だった事実を慰安婦の証言を通じて明らかにする。もちろんそうであっても人間の尊厳を傷つける‘構造’を作って最後に加担したのが日本軍だったのは事実だ。

しかも私たちの記憶の中の慰安婦は‘日本軍の軍靴に踏みにじられるか細い十五の少女’でなければ‘老躯をかって闘う闘士’だ。だが、これは「日帝が14~25才の女性労働力動員のために女子学生を中心に募集した挺身隊と混同した結果」とし「こういう錯綜したイメージが日本に対する憎しみを強化し、本来、同族を売り飛ばした私たちの罪に目をとじさせているのではないか」と著者は問い直す。

著者はその慰安婦に向かって固定された民族主義的に偏向した認識を変えることが、かえって過去の歴史清算と東アジア平和の近道になると主張する。植民地支配が引き起こした野蛮な暴力である慰安婦問題を今のように長期化し、未解決状態に追い詰めたのは冷戦的思考だったというのも著者の解釈だ。

ハン・ユンジュ記者

ソース:ソウル新聞(韓国語) [注目この本!]帝国の慰安婦
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=40792&yy=2013

2 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:47:51.12 ID:ubtydcIh
あーあ、土下座して謝罪する未来が見えるようだw

5 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:48:40.54 ID:CzygmGlV
勝手に日本軍が荷担したことにするなよ

7 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:49:03.91 ID:a+ILphfj
韓国人は都合が悪い文字は見えないからwww

8 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:49:15.88 ID:qKXIyYNe
チョンは黙殺するだろ
何しろ全部日本のせいにしてきたんだからな

18 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:52:11.39 ID:9bIyiMA3
親日罪で処刑するニダ

33 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:56:18.31 ID:S8pR71Dp
本当の事を言う韓国人を初めて見ました

48 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:58:49.45 ID:3AhgRruV
わざわざ証言なんて曖昧なもんより当時の朝鮮新聞に書いてあるんだけどね
まぁそういう事実をバラした時点でこいつの人生は終わったな
いくら日本を非難しようが事実をバラすのは日帝への加担でしかない

49 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 17:59:41.99 ID:z9Jse4HD
ジープとかヘリとかクリスマス休暇とか
いま生きてる慰安婦の証言って
どう考えても朝鮮戦争当時の米軍にしか聞こえないんだが

61 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:04:13.83 ID:BTlqIx/z
やっぱり、この前公開された日記で「欠けていた8年間」ってのは
自国での人身売買が綴られていたんだろなぁ…

しかも日本と間のやり取りもこなすんだから、当時ではそれなりの知識人だった筈なんだよね
(日本語が分かる、読み書きが出来る

67 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:07:35.30 ID:IS0de585
この人勇気あるなw
でも、まだ嘘やプロパガンダが混じってるんだよなぁw
被害妄想の根は深い…

76 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:08:38.90 ID:pOEW6gO3
はい、集団リンチ決定

http://pbs.twimg.com/media/BG4l0k3CIAAqg9d.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=aewe8az4iSI

97 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:19:11.09 ID:6to4TqA3
朝鮮人が人身売買した責任を日本に取らせようとする朝鮮人

98 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:19:21.11 ID:/fKL+Cs7
証言によると 「ジープ」 に乗って 「MPの腕章」 つけた日本兵に 「ブーツ」 で蹴られて無理やり拉致されたんだよね?

いろんな証言があるね 後から後からwww

99 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:19:33.47 ID:vuSoFDDT
またニューライト系の教授と同じように
土下座だな。
資料を提示しても無視されたしな。

104 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:23:08.91 ID:qjLEv8Ri
>>1
この教授の分析は、決して公平ではない。決して冷静でもない。
韓国社会では、こここまでが限界なのか。本当に無知なのか。
しかし狂いきった一般の韓国人や韓国の他の識者より、かなりマシだ。
この教授あたりがまともに感じるほど、韓国の歴史捏造は酷い。

120 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:32:35.36 ID:3r8LPfLU
朝鮮人悪徳業者の手から朝鮮人女性を救出し取り締まっていた当時の日本

女性を騙して売春婦を集めようとする朝鮮人ブローカーを取り締まるため、大日本帝国朝鮮総督府は「警察官」を増員
ttp://makizushi33.ninja-web.net/aa08.jpg

朝鮮人の人身売買組織が、路上で誘拐した少女を中国人に売り飛ばしていた為、日本政府によって検挙されたことを報じる記事
(1933年6月30日付 東亜日報)
ttp://makizushi33.ninja-web.net/tyousenjin_1.jpg

「娼妓をしていた呉が朴という少女を買い、年齢不足で娼妓が出来ないため、戸籍を偽造し営業許可を得ようとしていたとして逮捕」
(1933年5月5日付 東亜日報)
ttp://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/gazo/chousengyousya/2.jpg

「朝鮮人悪徳業者が跋扈。農村婦女子を誘拐、被害女性が百名を突破。釜山の刑事奉天へ急行」
(1939年8月31日付 東亜日報)
ttp://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/gazo/chousengyousya/5.jpg

「生活苦であえぐ貧しい農夫達に良い仕事があると騙し約150人を中国に売った朝鮮人夫妻を逮捕」
(1939年8月31日付 東亜日報)
ttp://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/gazo/10037435032.jpg

143 :蚯蚓φ ★:2013/08/17(土) 18:41:49.72 ID:???
>>1
ソースの表記を間違えました。
お詫びして訂正します。

×ソウル新聞
○韓国毎日新聞

反日色が非常に強い地方紙の毎日新聞がこの内容なので驚きました。

152 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:48:02.99 ID:9p016fsi
ここの住民なら誰でも知っている内容だよね。
韓国の情報統制はインターネットでも崩せぬほど強固なのか?

157 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:50:42.23 ID:kTfEJhdH
>>152
真実を知った希少種が韓国語で掲示板を作ると続々逮捕される国だからな。

171 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:59:20.76 ID:bPmKQAtZ
このパクユハとtwitterで議論したがムカついた。
史実には興味ない、と言い切りやがった。
結局のところ、韓国人が怒ってるんだから日本人は謝るべき、がこいつの主張。

172 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 18:59:25.45 ID:OMGPcs1/
従軍慰安婦という制度や構造が罪だって?

しかし占領地でコリアンの兵士が外国の女性相手に性犯罪を起こすより
自国民の職業売春婦を相手にしてくれる方が遥かにマシで合理的な制度と思うんだが

現に韓国軍も従軍慰安婦制度を採用してたじゃないか、朝鮮戦争の頃

188 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 19:08:39.64 ID:bPmKQAtZ
このパクユハは、証拠の歴史史料として小説を持ち出す馬鹿。
韓国人としてマシな方かもしれないが、歴史の議論をする資格はない。
どこまで話しても情緒の話しかしない。

191 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 19:09:47.16 ID:tryUMhf1
このパクユハっておばさんは朝鮮人の中では
かなり話ができる人だよ

ツイッター見てると、それでもイラっとくる部分は多々あるが
これ以上を期待するのは今の朝鮮には無理ってレベルかと。

193 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 19:11:09.79 ID:tryUMhf1
女だましてさらってきたのも経営してたのも朝鮮人でした。

こんなもん日本じゃ20年前からずーっと言われてきたこと
なんだけどね。

197 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 19:13:56.97 ID:tryUMhf1
パク・ユハ(朴裕河)とフォロワーの慰安婦論争
http://togetter.com/li/488629

なんか勘違いしてるやついるけど、
このパクユハって人は全然「親日」とかじゃないからね?

呉善花とかとは違うよ。

98 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 19:15:45.51 ID:xKIgjQjW
>日帝が14~25才の女性労働力動員のために女子学生を中心に募集した挺身隊と混同した
日本に対する憎しみを強化し、本来、同族を売り飛ばした私たちの罪に目をとじさせている

朝鮮動乱では、韓国軍情報部が韓米軍の戦意高揚のために慰安婦をかき集めた。それは
まさに日本軍の慰安婦だったとする婆さんらの証言通りだったようだ。つまりその辺の女(韓国人
や捕虜の北女性など)を手当たり次第拉致して、慰安婦にしたわけだ。

だから河野洋平が騙されたような迫真の演技だったのだ。

しかし朝鮮人を甘く見てはいかん。やつらはうそを承知で日本を糾弾(いじめ)をしてる。

205 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 19:20:16.43 ID:bPmKQAtZ
パクユハは、歴史は人の主観でしかない、とも言いやがった。
実証主義ではない。
単に日本人も激怒してるのを知ってるから、韓国人との中間に立って情緒的に仲裁しようとしてるだけ。
歴史問題の解決にはならない。騙されるなよ。

293 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 22:12:21.14 ID:ybje+xwp
この売春に係わる「同胞」は、今も存在しているんだよ。
渡航する韓国人売春婦の多さや、海外養子縁組という問題。
日本軍が消え去って久しいのに、売春婦は減らない現実。
問題の本質から目を背けている限り、永遠に変わらない。

342 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 23:21:34.46 ID:Vey6P6RD
>>335
韓国は現在世界一の売春大国である事実と
慰安婦について整合性持たせた方がいい

10万もの韓国人女性が国外で売春に従事、うち日本は5万人
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1028&f=national_1028_168.shtml

382 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/17(土) 23:54:20.03 ID:kYgpX0hS
20万人の挺身隊を全て慰安婦に変換して、さらに性奴隷に格上げしてまで叩いてるとか異常だろ。
そして、それに疑問を呈さない韓国マスコミ・学者は何を言っても正当性無いよ。


【論説】正論1月号、「慰安婦強制連行はなかった」…「朝鮮人女学生をからかうだけで抗議が起こった。強制連行などできるものか」[12/6]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1323129606/
韓国の年寄りが証言 「慰安婦が強制連行?大嘘だよ。高給目当てでやってきたんだ」 在日の嘘がバレるw
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1339284216/
韓国の年寄りが証言 「慰安婦?大嘘だよ。当時は皆日本国民だよ。」 ついに在日ブサヨの嘘がバレる
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1339078676/
【慰安婦問題】93歳旧陸軍歩兵中隊上等兵 戦時中の慰安婦達の実態を語る「化粧や買い物、おしゃべり等、結構優雅な生活をしていた」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1376311450/
慰安婦は月収は300円(今の150万円)以上の超人気職で朝鮮人女性の応募殺到、売れっ子は250万円(今の1億円)も貯め込んでいた




韓国政府が運営し、米軍・韓国軍が利用した慰安婦達にも目を向けてくださいね><

竹島研究で有名なゲリー氏による、朝鮮戦争時の米軍向け韓国人慰安婦に関する新聞記事の調査。



米軍や韓国警察が慰安婦や性病の管理に関与していることや、慰安婦が悲観して自殺したりしてることがわかる(コメント欄に日本語訳)。

http://koreanhistorytranslations.blogspot.jp/

韓国 国連軍相手の慰安婦を募集
朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表
【韓国】 大韓民国政府、国連軍のため慰安所運営~売春婦が外貨獲得政策の担い手だった
朝鮮戦争における性暴力・慰安婦 ~ 戦時慰安婦はこうして銃後の平安を守った
占領時、米軍も日本で「慰安婦」調達を命令
世界各国に存在した「慰安所」「慰安婦」
【慰安婦問題】現代史家・秦郁彦 橋下発言の核心は誤っていない






慰安所職員の日記発見=日韓「極論」否定する内容も-朝鮮人男性、ビルマで記述
慰安所で働いていた朝鮮人男性が書いた日記(韓国・イスプ出版社提供)

 【ソウル時事】第2次世界大戦中、ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で事務の仕事をしていた朝鮮人男性の日記が韓国で発見された。慰安所職員の日記が見つかったのは初めて。慰安婦の生活実態を知る貴重な資料だが、日韓両国内にある「極論」を否定する内容も含まれている。
 男性は1905年生まれで79年に死去した。韓国の博物館が数年分を欠いた22~57年の日記を古書店から入手。安秉直ソウル大名誉教授らが、慰安所時代の43、44年分について、堀和生京都大教授、木村幹神戸大教授と共同研究した。近く韓国で出版される。
 日記は「夫婦生活(結婚)することになって慰安所を出た春代と弘子は、兵たんの命令で再び慰安婦として金泉館に戻るようになったという」「兵たん司令部に行って5日間の日報を提出した」などと記述。日本政府も認めている慰安所への軍の関与を裏付けている。
 また、「文楽慰安所は私と一緒に来た朝鮮忠州の人・新井清次氏が経営している」と、慰安所を朝鮮人が経営していたことや、「慰安婦の金○先が送る600円を本人の貯金から下ろし、中央郵便局で送付した」と慰安婦に収入があったことも記述。「鉄道部隊で映画の上映があって慰安婦たちが見てきた」などと、慰安婦の生活にも触れている。
 木村教授は「非常に信用性が高い。慰安婦は民間の売春婦だった、逆に完全な奴隷状態だったという日韓の両極端な主張を、いずれも否定する内容だ」と評価した。(2013/08/12-15:36)

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013081200533




慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
毎日新聞 2013年08月07日
昭南博物館のスタンプが押された日記

 【ソウル澤田克己、大貫智子】第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。

 朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。

 日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。

 男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった。

 男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。

 ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。

 安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。

 また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。

 一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。

 ◇従軍慰安婦問題

 第二次大戦中に日本が支配した植民地や占領地などから女性が慰安所に集められ、日本の将兵から性的被害を受けたとされる問題。1990年に韓国の女性団体が日韓両国に真相解明や謝罪、補償を求めたのをきっかけに社会問題化した。日本政府は93年8月、慰安所設置や慰安婦移送に旧日本軍が直接、間接に関与したことを認め、「軍の関与の下に女性の名誉と尊厳を傷つけた」と謝罪する「河野談話」を発表した。ただ、女性の連行段階での軍の関わりについては、第1次安倍内閣当時の07年、「政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」という答弁書が閣議決定された。

http://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m040125000c.html

慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書、大戦時に作成~「民間が慰安婦集め」米軍調査「日本軍は利益得ず」
「組織的強制徴用なし」「女性基金受け取り、韓国政府が脅して阻んだ」等 慰安婦問題 米議会調査局が報告書
【韓国】安秉直教授がテレビ出演 … 「慰安婦業者の半分は朝鮮人」「日本に謝罪ばかり求めて何になるか」
▶ "Comfort woman is Prostitute" Lynch to Professor LEE (慰安婦問題 李栄薫教授リンチ事件)
http://www.youtube.com/watch?v=tygtzR9ARvM
▶ 軍による慰安婦強制連行の客観的証拠はなかった
http://www.youtube.com/watch?v=ReazThvToIk




慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊
ノートにびっしりと書かれた日記。1943年1月の記載

 【ソウル澤田克己】ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、日記を残した朝鮮人男性は、1942年夏から44年末までの東南アジア滞在中に慰安所3カ所の帳場で働いた。日記には、慰安婦の管理や、軍や役所との折衝といった日常生活が淡々とつづられている。

 慰安所が旧日本軍の管理下にあったことは、軍の文書でも確認されている。日記にも「慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた」(43年1月1日)や、連隊本部などから定期的に避妊具を受け取ったりしたという記述が、頻繁に見られる。

 軍から移転命令があり「慰安婦一同は絶対反対」(同3月10日)したが、結局は「司令部命令に勝てず移すことになった」(同14日)などの記述から、軍との密接な関係をうかがわせる。

 日記の著者は、ビルマ西部の要衝アキャブ(現シットウェ)からラングーン(現ヤンゴン)へ移った。その際、軍から宿舎の提供を受け「火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って」(同年1月21日)もいる。

 日記を発見した安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は「軍属に準じる扱いを受けていたようだ」と話す。

 日記からは、前線であるビルマと後方地域のシンガポールとの違いもうかがえる。シンガポールでの日記には、慰安婦の「廃業」や「帰国」に関する記述が多く出てくるが、ビルマではそうした記述は見られない。

 著者はシンガポール在住時の44年10月25日、元慰安婦が結婚したので「知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われた」という。

 ビルマでは既に日本軍が敗走を重ねていた時期で、連合軍の尋問調書などによると、多くの慰安婦が巻き添えで犠牲になっていた。

 一方、日本軍は、定期的に慰安婦を検診し、性病にかかった場合は入院させた。日記にも「検査不合格者が6人も入院した」(44年5月12日)などという記述が多く見られる。「妊娠7カ月なので、休業届を提出した」(同7月4日)というケースや、慰安婦の出産(同9月5日)もあった。

 日記には、朝鮮における慰安婦募集に関する記述はない。日韓両国では朝鮮半島で慰安婦を集めるときに強制連行があったかどうかに強い関心が持たれているだけに、安名誉教授は「この時期の日記が欠落しているのは残念だ」と話す。

 ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、米国で慰安婦問題への批判が強い理由について「女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある」と指摘。強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が問題視されているとの認識を示した。

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 ◆慰安所従業員の日記 抜粋

 ◇1943年

 1月 1日 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。家内の弟と○桓君は、<慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた。>

 1月 2日 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。

 1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、その他16人はみんな合格だった。

 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。

 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。

 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への出張証明書をもらった。

 1月18日 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん)へ行って朝飯を食べ、某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。某少尉も同行してラングーンまで行くという。

 1月21日 ビルマ国タンガップの<火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、午前11時にタンガップを出発した。>

 1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2000円を貯金した。

 1月29日 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従ってプロメーに移り、営業しているという。

 3月10日 <55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が(ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。慰安婦一同は絶対反対ということだった。>

 3月14日 <金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。>

 3月16日 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を当分の間、中止すると言われた。

 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。

 6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。

 6月20日 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。

 6月25日 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。

 7月10日 <昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。もう1年になった。>

 7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、今日、鈴木病院に入院したが流産だった。

 7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、今日、車で帰ってきた。

 7月19日 <インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、兵站管理に委譲された。>

 7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は兵站司令部に行ってきた。

 7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も兵站の軍医がすることになった。

 7月29日 <村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという。>

 7月30日 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、もち屋と慰安所を私に引き受けろという。承諾した。

 8月 8日 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。

 8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。

 8月11日 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。

 8月12日 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。

 8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>

 8月19日 兵站司令部で、サックを600個受け取った。

 8月24日 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。

 8月26日 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。

 9月9日 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。

(この後、筆者はシンガポールへ移動する)

12月 3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。

 ◇1944年

 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。

 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、内地帰還旅行証明願を提出させた。

 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。

 4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>

 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての内地帰還旅行証明書を受け取った。

 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。

 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。

 4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。

 4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため特別市警務部保安課に行ってきた。

 4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、2590円余りの最高記録だった。

 5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。

 5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>

 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。

 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。

 6月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。

 6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。

 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。

 6月 9日 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。店にいた女たちは全員合格した。今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として特別に毎日10本の配給がある。

 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと2回も電報が来た。

 6月17日 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。稼業婦特配米を受け取った。

 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。

 7月 4日 <慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。>

 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。

 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したというはがきが届いた。

 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>

 9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。

 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。

10月14日 病弱のため帰郷を決心した。

10月25日 スマトラのパレンバンからシンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が今般結婚した。今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。>

10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。

10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った。>

11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。

11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。

11月16日 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。

11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。

11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。

12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1000円を送金してあげた。

12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9000円を送金し、検疫所に行って検疫証明書をもらった。13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。

 (注)日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。「横浜正金銀行」は、1880年開業の外国為替取扱銀行。日記では単に「正金銀行」とも書かれている。東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。<>は記事と関連する部分。

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 ■ことば

 ◇軍票と戦時中の郵便貯金

 軍票は「軍用手票」の略語で、軍の物資調達などのために一時的に使われる通貨。日本も第二次大戦中に約45億円分を発行したが、終戦後に無価値となった。戦時中はビルマ(現ミャンマー)などの戦地に野戦郵便局、朝鮮半島などの植民地や占領地に外地郵便局が設けられ、軍人や現地住民らが貯金に利用した。

http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c.html




慰安所従業員:日記発見 識者に聞く
毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊

 ◇第三者が記録、客観性高く--木村幹(きむら・かん)神戸大教授

 --この日記がなぜ貴重なのですか?

 ◆「第三者」の記録だから客観性が高い。著者は1979年に死去しており、80年代後半以降の慰安婦問題への関心の高まりを受けて改ざんされた可能性も極めて低く、当時の実態をよく描写していると考えられる。

 --日記に出る慰安婦の姿の評価は?

 ◆戦時下で「極端に統制された疑似公娼(こうしょう)制度の従事者」という印象だ。多くの女性は経済的理由から慰安婦になったものの、移動や廃業の自由は厳しく制限された。他の民間人も自由を制限されたが、日記の著者と比べれば慰安婦に対する制限が大きいことは明白で、同一視はできない。

 --貯金や送金に関する評価は?

 ◆慰安婦が額面上は多くの収入を得て、故郷へ送金することもあったことは明確に裏付けられた。ただし、東南アジアで流通したのはインフレで価値が急落する軍票だ。東南アジアからの送金には引き出し制限があったという研究もある。軍事郵便貯金は韓国人の場合、最終的には無価値になった。慰安婦が現場で経済的対価を得ていたことと、対価を享受したかは切り離して考えるべきだ。

 --慰安婦問題で注意点は?

 ◆当時の統治、経済システムといった大きな状況の中で慰安婦の置かれた人権状況を考えることが重要だ。強制連行の有無のような部分的な分析だけでは不足している。【聞き手・澤田克己】


 ◇募集、「広義の強制」示す--安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授

 --日記から分かることは何ですか?

 ◆慰安婦703人の「第4次慰安団」が組織されていたことだ。慰安婦募集が、日本政府の政策に基づく戦時動員の一環だったことを示している。「広義の強制」だといえる。

 --強制連行?

 ◆「狭義の強制」と言われる、拉致のようなものはなかっただろう。業者をサポートする行政組織がしっかりしている朝鮮では強制連行の必要はないし、強制連行は(社会的な騒ぎを起こして)コストが高くなる。ただ、業者による乱暴な行為はあったはずだし、軍服のような服を着た業者が「軍人」と誤解された可能性はある。

 --どんな女性たちだったのでしょう?

 ◆米軍調書によると、大部分は教育のない貧しい女性で、売春経験者は一部だけだ。親に売られた人身売買も多かっただろう。

 --戦場での位置づけは?

 ◆ビルマのような最前線では、前借り金を返済しても簡単に廃業できなかった。所属部隊の管理を受けており、旧日本軍の編成の末端に位置づけられていた。「性的奴隷状態」にあったと言える。

 --慰安婦問題に取り組んだ契機は?

 ◆1990年代初め、慰安婦支援団体が実施する調査活動などを手伝った。だが、「強制連行」と最初から決めつけて証言集めをするような形だったので、運動からは手を引いた。【聞き手・澤田克己、大貫智子】

http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040182000c.html






<強制連行の証拠ニダ、ウェーハッハ by 朝鮮紙>

慰安婦:慰安所管理人の日記発見、性的奴隷の実態明らかに

旧ビルマ・シンガポールにあった日本軍慰安所の管理人、日記に書き記す
「1942年7月10日、朝鮮人女性数百人の『第4次慰安団』、軍用船に乗って釜山出港、8月20日ビルマ着、20人前後に分かれて日本軍駐屯地に配置」
▲日本軍慰安所の管理人だった朝鮮人が残した日記。/写真提供=図書出版イスプ社

 旧日本軍の従軍慰安婦が、戦時動員体制の一環として、日本軍の主導の下に数度にわたって組織的に動員されていたことを示す資料が新たに発見された。また前線の日本軍部隊が、下部組織として編成された慰安所・慰安婦らを率いて移動していた事実も同資料で明らかになった。これは「従軍慰安婦の動員に日本政府や日本軍が関与しなかった」という一部の主張を全面的に否定する資料だ。安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授(韓国経済史)は、1942年7月に従軍慰安婦を連れて旧ビルマ(現在のミャンマー)に向かい、44年12月に帰国するまでビルマ・シンガポールの日本軍慰安所で管理人として働いていた朝鮮人が残した日記を6日に公開した。

 安名誉教授が翻訳および解題を担当して間もなく刊行されるこの日記によると、42年7月10日、朝鮮人女性数百人からなる「第4次慰安団」が釜山を出発した。

 女性を募集したのは、日本軍の代理人が選んだ民間業者。募集された女性は軍属に準ずる身分で、日本軍が発行する旅行証明書を持ち、軍用船など軍用の交通手段を利用した。

 8月20日にビルマに到着した慰安婦らは、約20人ずつに分けられ、日本軍の駐屯地や主要都市に配置された。日本軍の慰安所は、形式的には民間業者が経営していたが、日本軍が直接管理・統制していた。慰安所は日本軍の部隊の専属として報告書を定期的に提出し、また軍の命令によって随時移動した。

 ビルマの朝鮮人慰安婦の存在は、この地域の慰安婦だった故ムン・オクチュさんの証言などによって知られていた。しかしムンさんが「第4次慰安団」の一員で、女性たちが終始一貫して日本軍の命令に従っていたという事実が明らかになったのは、今回が初めて。

 安名誉教授は「41年12月に太平洋戦争が始まった後、日本軍が数度にわたって慰安婦を連れていったといううわさが出回ったが、今回公開された日記でその実態が判明した。日本軍慰安所の運営実態を示すこの日記によって、慰安所が軍の組織編制の末端部に編入されており、従軍慰安婦が『性的奴隷』状態にあったことを再確認できる」と語った。

李先敏(イ・ソンミン)先任記者

朝鮮日報/記事入力 : 2013/08/07 09:40
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/08/07/2013080700770.html




慰安婦:安秉直名誉教授、日本軍による組織的動員を立証

安秉直名誉教授、「慰安所管理人の日記」を公開
日本軍の完全統制下で運営
特定の部隊に慰安所を配属させ、収入報告書・営業日報を出させる
「1942年7月に『第4次慰安団』出発」
植民地下の朝鮮で既に数回組織したという明確な証拠
慰安婦をやめた人を再度連れてくることも
「慰安婦をしていて出て行った弘子、兵站の命令でまた来た」



 安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授(韓国経済史)=写真=は6日、旧日本軍の慰安所で管理人をしていた朝鮮人が書いた日記を公開した。この日記は、これまで詳細が明らかになっていなかった従軍慰安婦の動員や慰安所の運営の実態を、かなり明らかにしてくれる資料だ。

 日記の筆者(1905-79)は、1940年代になって統制経済が強化され経済的に困窮したため、42年7月、従軍慰安婦を募集してビルマ(当時)に向かう義理のきょうだいと合流した。この筆者がビルマやシンガポールで書き残した日記には、日本軍慰安所の経営実態や従軍慰安婦の生活の様子が描かれている。ただし、42年の分の日記が紛失しているため、慰安婦の募集過程に関する内容が抜け落ちているところが惜しい。

 日記はハングル文字と漢字を主に用い、日本語も混じっている。文章は韓国語体だが漢文として読まなければ意味が通じない部分も多く、現代語訳が必要だ。

 日記を通して明らかになった主な事実は、日本軍が従軍慰安婦を複数回にわたって組織的に動員していたということ。42年5月、日本軍の南方派遣軍司令部は、朝鮮軍司令部に対し慰安婦募集に関する協力を要請した。朝鮮軍司令部が選定した慰安所業者らは「多額の金を稼げる」という甘い言葉や、まとまった額の金をあらかじめ前借金として渡すなどして、慰安婦を募集した。

 募集された慰安婦は、7月10日に業者・管理人と共に釜山港を出発した。「一昨年慰安隊が釜山を出発したとき、第4次慰安団の団長として来た津村氏」(44年4月6日)という日記の記述から、このほかにも日本軍が朝鮮で数度にわたり慰安団を組織したことが分かる。

 従軍慰安婦の一部は、数百円の前借金を受け取った。その金は軍から出たというのが、研究者らの分析だ。日記には、これを裏付ける記述も見られる。慰安所業者らは、慰安所を簡単に譲渡し、新たな業者は特に負担もなくこれを引き継いだ。日記の筆者もまた、義理のきょうだいが事故で死亡した後、このきょうだいが運営していた慰安所への縁故権を主張しなかった。これは、事実上軍が慰安所を所有しており、業者は経営のみを担当していたからだ。

 また日記は、慰安所が日本軍の完全統制下で運営されていたことも示している。日記に登場する慰安所は、ビルマに27カ所、シンガポールに10カ所。各慰安所は「航空隊慰安所」「兵站(へいたん=戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの)管理慰安所」のように特定の部隊に所属しており、収入報告書・営業日報などの報告書を定期的に所属部隊へ提出した。「(ラングーン〈現在のヤンゴン〉の)インセンにいる高部隊、すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が兵站管理に移譲された」(43年7月19日)「村山氏が経営する慰安所『いちふじ楼』が兵站管理になり」(7月20日)と日記に記述されているように、所属部隊が変更されるケースもあった。

 さらに、慰安所は軍の命令によって移動した。「55師団から、慰安所をマンダレー近辺のイエウという場所に移転せよという命令があり」(43年3月10日)、「ペグーの慰安所『乙女亭』、『文楽館』、将校クラブなど3、4の慰安所は、今回アキャブ地方に移動した」(4月15日)、「『カナガワ』氏は、慰安所移動説があると言って軍司令部で調べてみた」(8月6日)という日記の記述が、これを証明している。

 慰安婦暮らしをやめた人が、再度連れてこられることもあった。「以前村山氏の慰安所で慰安婦をしていて、夫婦生活を送るために出ていった春代と弘子は、今回兵站の命令で再び慰安婦として『きんせん館』に来ることになった」(43年7月29日)という日記の記述が、このことを物語っている。

 日記で明らかになったこうした事実は「民間業者が従軍慰安婦を募集し、慰安所業者が営業のために軍部隊についていった」という一部の主張が事実ではないことを示している。

 安秉直名誉教授は「従軍慰安婦は、徴用・徴兵・勤労挺身(ていしん)隊と同じく、戦争の本格化により日本が戦時動員体制の一つとして国家的レベルで強行したこと。しかも慰安婦は、募集時に自分たちがやることをきちんと説明されず、人身売買に近い手法が利用されたという点で『広義の強制動員』と見ても差し支えない」と語った。

李先敏(イ・ソンミン)先任記者



朝鮮日報 記事入力 : 2013/08/07 09:36
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/08/07/2013080700749.html




字幕【テキサス親父】慰安婦は売春婦!証拠はコレだ!と親父ブチギレの巻!

・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた。
・待ちへ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた。
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた。
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり様々なイベントを一緒に仲良くやていた。
・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た。
・日本の兵士と結婚する者もいた。

さらにこの尋問をした米兵の主観として「慰安婦達は、日本人の基準でも、白人の基準でも綺麗な女達ではない」と書かれている。 要するに慰安婦は「不細工」だったと言う事が書かれている。

http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4


<Q&A>

Q:旧日本軍は、わざわざ“不細工”を選んで強制連行するほどの「ブス専」だったのか????

A:<丶`∀´;> そもそも、韓半島にはブサイクしかいないニダ・・・
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