これは、天風先生がインドで修行中、カリアッパ師との会話です。
昨日、未歩さんのブログ「つぶやき」で、中村天風先生の
記事を紹介していただきました。(未歩さん、サンキューです!)
その記事にも紹介した天風先生とカリアッパ師の問答のやりとりを
もっとくわしく、こちらに転載しようと思います。
(資料の本をあちこち捜しまくり、やっとみつけました!)
<補足説明>※中村天風先生とは・・・?(わからない方は、過去の記事をどうぞ♪)
私(中村天風)がインドへ行って三日目、
山に行く道すがら先生からこういう質問が出た。
「野原を歩いているときに、後ろをヒョイッと見たら虎が追いかけてきた。
そこで、たまらぬと逃げ出して、どこか安全なところはないかいなと、
はるか向こうを見ると、大きな松の木が天にそびえている。
これだっていうんで松の木に登って、チョイと下を見ると、
その松の木の枝の出ている下は底知れない谷だ。
ここなら虎も上がってこないわ、
ここにしばらくいようと思っているときに、
ヒョイと気がついて頭の上を見たら、
頭の上から大きな蛇がお前を飲もうとして
紅蓮の下をペロッペロッと出して近寄ってきた。
上に大きな蛇、下に虎。
そこで、これは困ったというんで、どこかに逃げるところは
ないかと、ヒョイッと足元を見ると、谷底へ蔦葛(つたかずら)が
下がっていた。これだこれだ、この蔦葛にひとつぶら下がっていれば、
蛇も虎もどうすることもできないっていうんで、
蔦葛にぶら下がった。
いいか。そうしたば、やれ安心と思ったのもつかの間、
手元に何か怪しき響きを感じてきたので、
ヒョイと上を向いたら、何と貴様、そのつかまっている蔦葛の根を、
リスめが来て、ボリボリ食いおった。
どうする?」
こういう質問なの。
そのままあなた方にも言う。どうする?
そのとき私はね、あなた方と違って、何べんか、もう駄目だという
生死のなかをくぐり抜けた後の、いわゆる生死体験の者でありますから、
あなた方ほどあわてませんでした。
私、にっこり笑ったよ、その時に。
どうせ、むこうの満足するほどの返事は
できないかもしれないけども、私としてはこう考えた。
何もあわてることはないじゃないか。
切れるまでは生きているんだから、切れて落っこちてから
後のことは、落っこちてから後に考えればいいと思ってね。
「落っこちるまでは生きておりますから、そのまま安住します。」
と言ったら、
「偉いっ、それなら先ざきの見込みがあるぞ。
それが人間の世のほんとうのありさまじゃ」
これが、人間の世のありさまなんです。
気づかないために安心しているんではなく、
気付いたときでも安心できるようでないと、
本物じゃないわけだね。
ところが、あなた方、気づかざる場合には知らぬことで、
我が心を煩わさないから何も考えないけれども、
わかったら大変だ、ねえ。
わかったら大変じゃいけないんですよ。
わかっても、我れ関せずの心になり得れば、
人間の世界に何の恐れも感じない、
実に安心した状態が続いてくる。
(上記は、中村天風著『成功の実現』より引用。)
上記の記事を入力していて、カリアッパ師の質問は
ただの質問ではなく、何かをたとえているんだなと思いました。
人間の世・・・。
それは、心そのものの性質のような気がしました。
ヨーガでは、師は決して自らが答えを弟子に教える事はありません。
自分で考え、自分で感じて、自分で気付くんです。
これを読んだ皆様は、何を感じたのでしょうか?
そして、なにか気付きはありましたか?
昨日、未歩さんのブログ「つぶやき」で、中村天風先生の
記事を紹介していただきました。(未歩さん、サンキューです!)
その記事にも紹介した天風先生とカリアッパ師の問答のやりとりを
もっとくわしく、こちらに転載しようと思います。
(資料の本をあちこち捜しまくり、やっとみつけました!)
<補足説明>※中村天風先生とは・・・?(わからない方は、過去の記事をどうぞ♪)
私(中村天風)がインドへ行って三日目、
山に行く道すがら先生からこういう質問が出た。
「野原を歩いているときに、後ろをヒョイッと見たら虎が追いかけてきた。
そこで、たまらぬと逃げ出して、どこか安全なところはないかいなと、
はるか向こうを見ると、大きな松の木が天にそびえている。
これだっていうんで松の木に登って、チョイと下を見ると、
その松の木の枝の出ている下は底知れない谷だ。
ここなら虎も上がってこないわ、
ここにしばらくいようと思っているときに、
ヒョイと気がついて頭の上を見たら、
頭の上から大きな蛇がお前を飲もうとして
紅蓮の下をペロッペロッと出して近寄ってきた。
上に大きな蛇、下に虎。
そこで、これは困ったというんで、どこかに逃げるところは
ないかと、ヒョイッと足元を見ると、谷底へ蔦葛(つたかずら)が
下がっていた。これだこれだ、この蔦葛にひとつぶら下がっていれば、
蛇も虎もどうすることもできないっていうんで、
蔦葛にぶら下がった。
いいか。そうしたば、やれ安心と思ったのもつかの間、
手元に何か怪しき響きを感じてきたので、
ヒョイと上を向いたら、何と貴様、そのつかまっている蔦葛の根を、
リスめが来て、ボリボリ食いおった。
どうする?」
こういう質問なの。
そのままあなた方にも言う。どうする?
そのとき私はね、あなた方と違って、何べんか、もう駄目だという
生死のなかをくぐり抜けた後の、いわゆる生死体験の者でありますから、
あなた方ほどあわてませんでした。
私、にっこり笑ったよ、その時に。
どうせ、むこうの満足するほどの返事は
できないかもしれないけども、私としてはこう考えた。
何もあわてることはないじゃないか。
切れるまでは生きているんだから、切れて落っこちてから
後のことは、落っこちてから後に考えればいいと思ってね。
「落っこちるまでは生きておりますから、そのまま安住します。」
と言ったら、
「偉いっ、それなら先ざきの見込みがあるぞ。
それが人間の世のほんとうのありさまじゃ」
これが、人間の世のありさまなんです。
気づかないために安心しているんではなく、
気付いたときでも安心できるようでないと、
本物じゃないわけだね。
ところが、あなた方、気づかざる場合には知らぬことで、
我が心を煩わさないから何も考えないけれども、
わかったら大変だ、ねえ。
わかったら大変じゃいけないんですよ。
わかっても、我れ関せずの心になり得れば、
人間の世界に何の恐れも感じない、
実に安心した状態が続いてくる。
(上記は、中村天風著『成功の実現』より引用。)
上記の記事を入力していて、カリアッパ師の質問は
ただの質問ではなく、何かをたとえているんだなと思いました。
人間の世・・・。
それは、心そのものの性質のような気がしました。
ヨーガでは、師は決して自らが答えを弟子に教える事はありません。
自分で考え、自分で感じて、自分で気付くんです。
これを読んだ皆様は、何を感じたのでしょうか?
そして、なにか気付きはありましたか?
トラックバックありがとうございました。
早速、拝見しました。
自分で考え、自分で感じ、自分で気づくこと
特に「気づき」は大事だと思いました。
前にも「死ぬまで生きます」という答えに
感動したにもかかわらず、
今回も「え~、どうしよう」と
否定的な答えしか浮かんできませんでした。
もっと自分のアタマで、その状況に身をおき、
真剣に考えないといけないと思いました。
新入社員のころ、「どうして自分のアタマで考えない」
「先輩が死ねといったら、死ねるのか」、
「アタマは飾りでついているんじゃないぞ。
考えるためにあるんだ」
と教えてくれた上司を思い出しました。
今78歳の、カリアッパ師のような方です。
またいろいろ教えてくださいね。
いつもありがとうございます。
「まな板の上の鯉」って。
何となくですが、私はいつもそんな感じです。
言えてるなって思います。
あれこれ思い悩んでも同じ。
自分で信じた道を納得の行くやりかたで準備を進めていけば、あとは野となれ山となれ。。。
自身がないなぁって、もじもじしているのが最も醜く格好悪いことです。
自分を信じて「どう?格好良いでしょ!」ぐらいに思ってる方が私は幸せ。
生まれてきたのだから、生きているのだから、せっかくなら、今、この瞬間も自分としっかり向き合っていたいのです。
死ぬ時に後悔したくない。。。
(でも無理はいけないのでごじゃる)
素晴らしいお話を紹介していただいて、ありがとうございます!
カリアッパ師みたいな上司の方との出会い、すばらしいですね。
口から必要な情報を優しく教えるのは簡単なんですが、本当の意味で人にモノを教えるのは、難しいです。やはり、教えるのではなく自ら学んだという方が理解が深いと思いますね。
人生の良い教師はさりげなく、自ら学ばせてくれるようにさしむけてくれます。
「先輩が死ねといったら、死ねるのか」
すばらしい言葉ですね~。
会社勤めの方は、身にしみてわかると思う。
会社や業界の色に染まって(あ、これは子育て中の主婦も同じ)、その場所で明らかに異常な事がおこってもしたがってしまうんです。
(人間とはそういう心の性質を持ってるらしいです。
戦争モノにこってるrrounddさんなんてわかるかも?
ナチスへの国民の傾倒がそういう心理が働いたらしいですからね・・・。)
だからこそ、自分なりの価値観・信念が必要になってくるんですね。
未歩さん、こちらこそいつもありがとうございます。
私も、「ココロの貯金」がんばりますね
人生の道はまだまだです。(「40、50はハナタレ小僧。」天風先生のお言葉です。)
旅は、続きます。
ぼちぼち、行きましょう。
竹を割ったような性格といいますか、
ココロの芯がぶれないんですよね~。
「まな板の上の鯉」!いいこと言ってくれますね~。
(たまりません。)
ひらきなおるといいますか、勘念する気持ちが
絶対絶命の時には、必ず必要ですね。
迷うから、つらいんです。
迷わなければ、つらくない。
それが、人生のいい時ではなく悪いときに発揮されてこそ本物なんですって。
例えば、空を見上げると真っ青な気持ちのいい有様です。「気分いーなー」って思います。(たいがいの人は。)
じゃ、今の台風の時や大雪の時のような鈍色の空を見上げてはどう思うでしょう?
「イヤダナア。」って人が多いのでは?
でも、鈍色の大嵐の空の上に必ず青空はあるんですよね・・・。それは、事実です。
見えないけれど、表面の事実に惑わされない・・・。
青空をココロでイメージする。(それも事実だから。)
100%、ココロや身体や環境の状況が満足いくものでなくても、痛みにとらわれない・・・。
天風先生の言う生き方ってそんな感じなのかなあと直感しました。
「てよし、てなお
よし 富士の山」なんですもんね~。
私はまだまだハナタレ小僧です・・・
でも、素晴らしい話でした。こんな風になれたらいいなと思いますね。
あいかわらず、うめももさんには元気をいただいています。
ありがとうございました。
カリアッパ師と天風先生のやりとりは、まるで禅問答みたいです。
読めば、読むほど、心にしみますね~。
実は、この『成功の実現』は私がもっとも喉から手が出る(欲しい)本なんです。
いや~ちょっと高いんですね。(一万百円!)
でも、その価値はあります。
図書館でも本屋でもなかなかなくて、
今、ここにある本は薄汚れた昔の本・・・。
まるで、ハリーポッターの魔法の本みたいです。