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蛙の掘立小屋~カエルノホッタテゴヤ~

蛙のレトロ探求と、本との虫と、落語と、日々の雑事。

『奥様は魔女<吹き替え版>』~夏の映画リレーその1

2005-09-08 21:52:47 | お話大好き・映画編
1000円デー&カードポイント、その他割引措置を活用できる限り活用して、この夏見た映画は5本。(『SWエピソード3』『姑獲鳥の夏』『皇帝ペンギン(吹き替え)』除く)
鑑賞順に、
『奥様は魔女(吹き替え版)』
『ロボッツ(吹き替え版)』
『ヒトラー ~最期の12日間~』
『妖怪大戦争』
『サマータイムマシン・ブルース』
以上、簡単身勝手な感想をば。

先ずは、『奥様は魔女』から。

★あらすじ★
ハリウッドの空き家に降り立った、キュートだけれど何処かテンポがずれている女性・イザベラ。実は彼女は、「普通の生活」を夢見る魔女だった。指を一つ鳴らせば全て手に入る、そんな生活はもう飽き飽き。料理を作って、ビデオのケーブルをセットして、ダーリンとペンキの色で喧嘩してみる。
しかし、いざ生活をするとなると、どう働けばいいのかわからない。そんな彼女に女優の話を持ちかけたのが、落ち目の俳優・ジャック。彼は『奥様は魔女』のリメイクドラマに再起を賭けていた……。

冒頭部分で看板が「EMPTY」ではなく「空き家」になっているのを見て、ようやく自分は吹き替えを見ているのだと思い出しました。つくづく、金髪ねーちゃんを見ると外国語を期待するように、脳味噌が条件付けされているなぁ。パブロフの蛙。
今回は元ネタが米TVドラマということと、実力派声優さん(イザベラを岡本麻弥さん、ジャックを山寺宏一さんetc.)を起用したことで、『皇帝ペンギン』のときのような違和感は感じませんでした。個人的に。

今回大変面白かったのが、ダーリン・ジャックのキャラクターです。自分が目立つようにズブの素人を登用しようとしたジャックですが、本当はオリジナル『奥様は魔女』の大ファン。プロデューサーたちとの打ち合わせで、最初は自分を引き立たせる為に無茶を要求していた筈が、いつの間にか無邪気なファントークになっている。魔女の奥様・サマンサ役は自分の引き立て役だと言いつつ、鼻ピクピクの動かし方には誰よりも拘る。ワルになりきれないのでドジは踏みまくるし、頼りない。しかし、イザベラはその頼りないところにマイってしまう。所謂、「母性本能をくすぐるタイプ」という奴です。
ジャックやいい奴ぶりを発揮し始めるのは、イザベラが魔法を使わずに怒りをぶつける後半以降ですが、如何にもアメリカTVドラマ風の大げさで陽気な演技で前半もバカだけど憎めない男を好演。ウィル・フェレルのくるくる変わる表情と山寺さんの声の演技がマッチしています。また、こんなどうしようもない男のいい部分を直感的に見つけてしまうイザベラが、とてもキュートな女として魅力が増してきます。
さて、このダーリン役。オリジナルでは「ダーリン役の俳優が途中から代わっても、誰も気づかなかった(byジャック)」そうですが。今回、ジャックという欠点だらけだけれど愛すべきダーリンを設定したことによって、奥様とイコールの関係になったように思います。多分、今回の映画版スタッフも、その辺りを狙ったんじゃないかな……と。よかったね、ジャック。少なくとも、途中で変わったら気がついてもらえるよ(爆)。

次に面白かったのが、話の構造です。まだダーリンと奥様になっていない二人が、リメイクドラマを作る過程で恋に落ちていく。この辺りはまだ二次創作の技法としては平凡なんですが、最後。ドラマのセットそっくりの二人が「一番ハッピーに暮らせる家」に入っていくシーンで、ドラマ版のご近所夫婦に当たる人が出てくる。奥さんの方はイザベラの魔法を目撃して腰を抜かすが、旦那さんは気づかない。物語の終わりが、物語の始まりになる。しかもよりオリジナルに近い形の。
確かにこれも斬新なオチではありませんが、映画とTV版の対比があるからこそ綺麗に決まりました。

イザベラの魔法は、女性ならずとも人間なら誰でも「な~んちゃって」と妄想してしまう種類のもの。自分を認めない相手をギャフンと言わせる為に、呪いをかけて自分の崇拝者にしてしまうとか。我が物顔で近づいてくる元カレ元カノの嫌味な態度にブチ切れて、撮影所ライトの下敷きにしてしまうとか。人間なら出来ないから笑い話で終わり、魔女なら取り返しがつくから「自制心無さすぎ(byイザベラ)」と落ち込む程度で済む。「こんな馬鹿な仕返ししてると、笑われるのはあんただよ」と思わせてくれる辺りが、落語と同じ?

面白い映画でした。個人的にはスクリーンで観てよかったと思っているのですが、TVで見ても良い意味で遜色ない。よってお勧め度はちょっとばかし減少するので、評価は控えめです。
蛙的映画ランク:C+

花咲けるSF騎士道『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』

2005-07-29 09:54:06 | お話大好き・映画編
始めに断っておきますが、蛙はスター・ウォーズファンというわけではありません。ですから、根っからのファンから見れば、納得いかない評価・感想になっているかもしれません。面白い映画、作りこまれた設定は好きなので、勿論「スター・ウォーズ」も好きですが。

★あらすじ★
クローン戦争から三年。戦況は激化の一途を辿っていた。アナキンも師であり友であるオビ=ワンとともに、銀河各地を転戦していた。二人は長年の宿敵・ドゥークー伯爵も倒し、人質にとられていた最高議長を見事救出するが、そのことが却ってアナキンを政治とジェダイの間の複雑な位置に追い込むことになる。また、秘密の結婚をした最愛の女性・パドメに死の影が迫りつつあるという予知夢をみるようになったアナキンは、一人の男性としても追い詰められるようになっていった……。

相変わらす円卓騎士してますね~。中世騎士道物語とSFを組み合わせようという程度の発想なら誰でも出来ますが、それをここまでレベルの高いものに昇華できる才能は滅多にないと思います。八公熊公に無理やり背広着せたヘボ創作落語と、三枝さんの125選落語の差です。(どんな喩えだ?)
あと、様々な星の様々な種族を描く点でも、多くを語るわけではないのにあそこまで説得力のある描写をできるのは、多民族国家アメリカだけだなぁと思います。そういう点では、アメリカを尊敬します。
<以下、今回ネタバレですので、ご注意ください>















さて。今回の物語ですが。アナキン・ファンの方すんません。しかし、蛙はアナキンが苦手です。あんまり主人公に感情移入できなかったなぁ。何と言っても許せなかったのが、裏切られたと思い込んだとは言え、身重の女房に手ぇ上げやがったこと。亭主の自覚も、親父の覚悟も無いとまでは言わないが、低すぎる。
アナキンを弁護するなら、心・枝・体の後者二つが飛びぬけて早く成長したのに、心はあくまで普通の青年ペースで追いつかなかったことが、彼の悲劇の元と言えるでしょう。しかし、正直に言ってヘイデン・クリステンセン君には役のほうが重すぎたようで。年齢が近すぎて、自らの未成熟を自覚できない青年の葛藤を演じるには、まだ役者としての成熟が足りないなと思います。メイス・ウィンドゥの破滅に手を貸してしまうことになり、座り込む姿も、ジェダイ聖堂の事件をパドメに誤魔化すシーンも、シスの命を受けて捨て駒にされた星を抹殺した後、アナキンの心を取り戻し涙するシーンも。後半の大切なシーンどれもが、イマイチ。自信マンマンのやんちゃアナキンなら、彼でもよかったのですが。
パドメにしても、今まであんなに気丈に頑張っていた彼女が、夫の豹変で脆くも崩れ去る姿は納得いきませんでした。スター・ウォーズファンではない蛙には、暗黒面に落ちるという深刻さが分かっていないせいもあるかと思いますが。
一番感情移入しやすかったのがオビ=ワンです。彼がアナキンに対して「お前の育て方をまちがえた」と言うシーンが、一番胸に響きました。確かに、彼にはアナキンの自尊心の高さを良い方向に伸ばしてやるチャンスは何度かあった筈です。アナキンへの絶ちがたい情愛と、自分の指導者としての力不足にたいする悔恨が伝わってきました。


どっちにしろ。ヨダじいが達者なら、蛙はそれで満足です。(おいおいおい!)
それにしても、「スター・ウォーズ」は、どのエピソードから見ても面白く、それなりに話が通じ、完全に(?)完結してしまった「6」を除けば話の続きに期待が持てる点が偉い。シリーズ最終作といわれる今回から見ても、決して新たなファンを拒むことはないだろうという点が凄い。
他のシリーズもの製作者は(他ジャンルも含め)、是非ともジョージ・ルーカスの爪の垢を煎じて飲んでほしい。

公式サイトはこちら。(日本語版)

蛙的映画ランク:B+

癒してやってるヒマは無ぇ?!『皇帝ペンギン』

2005-07-28 23:12:36 | お話大好き・映画編
またもや映画を観て参りました。『皇帝ペンギン』と『スター・ウォーズ エピソード3』の2本をば。今回も方言放言プレビューいたします。先ずは南極のアイドルから。

★あらすじ……なんてあるのか?★
南の果ての大陸・南極で、季節が冬に向かおうとする頃。皇帝ペンギンたちは次々と海から上がってきた。遥かな故郷の地、厚い氷が覆う大地へと行進する為に。そこで、一年にただ一羽のパートナーを見つけ、一羽の子を育てる為に。

癒し系なんて、簡単に言わないでほしい映画です。恋、慈愛、悲しみ、落胆……そういった“表情”として伝わるものが、何と豊かに映し出されていることでしょう!
彼らの必死に生きようとする姿が、厳粛なものを感じさせます。ヨタヨタと歩く姿が、決して笑って観ていられるものじゃなかったです。(勿論、可愛いことには変わりないんですが<爆>)
皇帝ペンギンの子育てスケジュールって、超タイトなんですね。一日ずれれば、命取りになりかねない。確かにメスも産卵で体力を使いますが、メスが餌を捕りにいく間、飲まず食わずで卵・雛を守るオス。メスが帰ってきて子供の面倒を見ることが出来るようになったら、今度は自分が疲れきった体で餌のある海まで行かなければならない……。確かに、これじゃあオスの方が少なくなって、メスがオスをめぐって喧嘩をするようになるワケだ。メスの喧嘩も、前半の恋の3~角合戦なんか、黙って見ているオスとの対比もあってコミカルですが、自分の雛を失ってヒス(?)を起こして仲間の雛を奪おうとする姿は、まさに鬼子母神でした。(……ということは、『皇帝ペンギン』を観れば、ある意味『うぶめ~』を観たことにもなる?<おい>)

……と。ここまでは、Aランク級なのですが。
吹き替えがなっていない!
今回、愛用している劇場が吹き替え版のみの上映だったので、「ま、いっかぁ」ということで観てきたのですが。吹き替え語りの下手さ加減に、
イライラ、イライライライライライラ
吹き替えの役者さんがダメというわけではないのです。これが、普通の洋画や洋物アニメの吹き替えなら、全然問題は無かったと思います。
しかし、今回の主人公はペンギン。人間でもなければ、人間が作った擬人化する為のキャラクターでもありません。映像の表情に誤魔化してもらうわけにはいかないのです。
或いは、これがテレビのドキュメンタリーなら、問題は無かったと思います。しかし。劇場という空間に堪え得る語りではなかった。
別に、声優か話芸人を登用しろとは言いませんが、話力がある人が語り手となるべきだった。顔を出さなくとも、朗読一発で人の心を動かせるような人を。
自分の母国語だと、粗が目立ってしょうがない。だから、何となく字幕の方が高等なイメージが付きまとうんでしょう。

ところで、この映画。子供の観覧者が多かったです。退屈して落ち着きをなくす子が出てくるんじゃないかと思いましたが、大変失礼な杞憂だったようです。子供たちは必死に見ていました。少なくとも、蛙の隣の隣で寝ていた大人よりは。
こんな、子供向けというワケじゃないけど、彼らに是非みてもらいたいような作品は、子供たちが声を出して笑ったり、泣いたり、画面の物まねをしたりしてもいい上映時間を作ってあげられたらなぁと思います。(その間、大人は我慢料で割引とか、さ)

公式サイトはこちら

蛙的映画ランク:C+

スター・ウォーズはまた今度。

映画版『姑獲鳥の夏』~なるか?かつての金田一級

2005-07-19 22:51:54 | お話大好き・映画編
観て参りました、うぶめ。実は原作を読んでないんですよねぇ……。そんな蛙が話していいものか?(←よくない)
とにかく、原作を知らない人間の視点で書かせていただきます。

★あらすじ……いる?★
小説家・関口は、今自分を悩ませている謎を古書籍店・京極堂の店主に打ち明けずにはいられなかった。20ヶ月もの間、子供を身ごもっている女性の話。頼りの京極堂は衒学的論理を展開するが、関口には納得がいかない。探偵であり友人の榎木津の元に行くよう奨められた関口は、そこで件の女性の姉・久遠寺涼子と出会い心惹かれるとともに、何故か既視感を感じるのだが……。

蛙は自分の中で映画のランクを次のように分類します。
S……正規の観覧料のほかに、何がしかの募金がしたくなるような映画。
A……正規の料金で身銭きってもいい映画。
B……会員カード等、割引料金で観てもいいかな?という映画。
C……1000円デーにしとこ映画。
D……1000円でもちょっと高い。まけてんか?という映画。
E……ビタ一文たりとも払いたくない映画。
BOO!……時間を返せ!と叫びたくなる映画。
今回のランクはBでした。私の中では割と高いです。
映画しか観ていない蛙の目からすると、京極堂シリーズって「小栗虫太郎」+「横溝正史」に「乱歩・少年探偵団もの(というか小林少年もの?)」を隠し味にして、「水木しげる」風にアレンジしたキャラクター小説?……といった感じです。(小道具の、水木さん紙芝居もレトロでグロくて、そのくせ親しみやすくていい感じ♪)
京極堂の理論に「頭がパンクしそうだぁ」とヘタりこむ関口くんを見て、「いやいや、それじゃぁ『黒死館~』読んだら、君の頭はゼネストするよ」と思いました(笑)。衒学探偵小説の中でも、ピカ一のワケ分からん度を誇りますから、『黒死館~』は。しかも長いし。
京極堂と言えば、堤京極堂。公式サイトを見たときは、原作を読んでいないにも関わらず「イメージ違うんじゃない?」と思いましたが、いざ動き出し、喋りだすと、それ程違和感はなくなりました。
安部榎木津も目立ちまくっていました。彼と京極堂妹が並んで立つと、雰囲気はすっかりコスプレ軍団(おいおい)。でも、ちゃんとキャラクターが生きていたように思います。

さて。映画全体の出来ですが。もう一息……といったところでしょうか。謎解き編のハッタリ力(笑)がイマイチだったのと、映像美が作りこまれている部分と安っぽく見える部分の差が激しかったことが、マイナス要因です。金田一級にムラの無い映像美だったら、もっと得点は高くなったでしょうが。
金田一と言えば。京極さんが某役で出ておりまして。見ていて、横溝先生が『犬神家~』の宿屋亭主で出てきたのを思い出しました。ある意味、金田一パロですね、これは。

一言で言うと、『黒死館殺人事件』を読み直したくなる映画でした。(謎)

映画公式サイトはこちら

蛙的映画ランク:B-

これであなたも検閲官?『笑いの大学』

2005-06-07 22:14:49 | お話大好き・映画編
先日、『笑いの大学』の初回限定版DVDを見かけました。いやぁ、おまけに笑った。検閲官・向坂さんが使っていた「許可」「不許可」印が特典なんだから。実用性は限りなく低い(高くちゃ困る!)、それでいて遊び心一杯のグッズです。冒頭の向坂さんをはじめとする検閲官たちが、テーマ曲に合わせて不許可印をドンドン押し捲るシーンが大好きで。

★あらすじ★
お笑い劇団「笑いの大学」座付き作家・椿一は戦々恐々と警視庁の門をくぐろうとしていた。新しい台本を検閲に通す為だ。
新任の検閲官・向坂睦男は大陸で思想統制に当たったという辣腕家。
「ロミオとジュリエット」は敵国の物語だからいけない、台詞に「お国の為に」を入れろ、登場人物に警官を出せ。
向坂の無理難題は、逆に椿の台本の水準を押し上げていく。笑いは二人の間に友情と信頼を育みつつあった。
とうとうある日、椿は向坂に笑いの台本に込めた自らの反骨のメッセージを打ち明けるのだが……。

映画しか見ていませんが、舞台を見たくなりました。
先ず、笑いが権力によって統制されるという状況が、恐ろしいけれど可笑しい。
おそらくこの劇は、笑いをも統制されることがあるのだということを理解できない人には、半分も面白くないんじゃないかなぁと思います。逆に、骨身に沁みて分かっている人には、笑うに笑えない。
もっと可笑しいのは、笑いを摘み取る側のツッコミの方が、笑いの本質をよく突いていること。だから、蛙のようなヒネクレモノには向坂さんの台本のクレームに共感してしまったり。寛一お宮のイチャイチャを見逃す警官、それならば最初から「こら!お前たち」と声をかけなければいいんじゃないか?全く以ってそのとおり(笑)。無理に笑いを作る為に、不自然な台本になっているってよくありますね。笑いは人間の本質を突く必要がないのか?なんて、中々厳しい突っ込みだと思います。
本当は大して面白くないのに、釣られて笑ってしまって悔しい。去年のM-1グランプリで審査員の誰だったが、そんなことを言っていましたが、「分かる分かる」と共感。(一昨年のM-1は割と素直に笑えたけど、去年はイマイチ趣味に合わなかった)面白くないものに笑ってやる程の、ボランティア精神は持ち合わせていません。簡単に笑わない人だからこそ、潜在的に笑いの審美眼があったのかもしれませんね。「お笑い芸人は本当は暗い」という俗説が、まことしやかに囁かれる原因もここら辺にあるかと。
この映画と木久蔵さんの『昭和芸能史』で戦前~戦後のお笑いに興味が湧きました。エノケンのCD買っちゃった(汗)。エノケンさんの話は、機会があったら、またいつか。

同じところで泣いちまった『Shall we ダンス?』(日本版)

2005-05-07 22:18:19 | お話大好き・映画編
昨晩米朝師匠の噺を聞き損ね(2005年5月6日の記事参照)、同じく交流試合の影響で開始時刻が遅くなった「タイガー&ドラゴン」を意地で待つ間、ポチポチとチャンネルを変えながら見ておりました、『Shall we ダンス?』。
やられちゃいました。劇場で見たときと同じところで泣いちゃいましたよ(笑)。パートナーが見つからずイラつく渡辺えり子女史に「気持ち悪い」と怒鳴られて、「ダンスしていても気持ち悪いですか?」と田口浩正サンが泣き出すシーンで、ン年前も昨晩も一緒に泣いておりました。進歩が無いのぉ……。
久しぶりに見ましたが、素敵でした!シャイで真面目な主人公が日常(?)を舞台に頑張るこんな感じの泣き笑いコメディが大好きです。『ラブ・アクチュアリー』とか。『フル・モンティ』とかも。(蛙の頭の中では、上記三作は同じ分類に入るらしい)
ハリウッド版も見たいみたいと思いつつ、未だに見ておりません。飛行機内で見た先輩は「日本版まんまだった」と言うので、チョイと不安。
不安要素といえば、主役のリチャード・ギア。冴えない真面目一筋サラリーマンを演じるにはいい男過ぎる?これは、我々日本人が「ハリウッド俳優」=「格好いい」という図式を刷り込まれすぎているせいもあるかと。向こうの人が見れば、ちゃんと真面目だけが撮り得のおじさんになっているのかも。冷静に考えれば、役所広司だっていい男過ぎる。それでも日本人は、同じ文化背景に立っているから、違和感なく彼が哀愁漂うサラリーマンであるという設定を受け入れることが出来る。
あと、社交ダンスとそれぞれの社会のギャップ。渡辺えり子女史の演じていたパワフル兼業主婦の娘さんが言った一言「笑っちゃいますよね、日本人が社交ダンスなんて」が、この映画の可笑しさと素晴らしさを同時に言い表した一言だったわけです。有酸素運動なことは知っているけど、イイ歳こいたオッサンオバサンが自分の世界にトリップしちゃって、恥も外聞も無くバタバタやってる……というのが日本のイメージ。そんな世界で一生懸命になっちゃっている主人公たちが、笑えちゃって、同時にその勇気と努力に羨望と希望を感じるわけです。
アメリカって、社交ダンスに対して抵抗を感じる価値観が無さそうだなぁ……と思ってしまいます。もっとも、女の子にモテたくてダンスを習っているという設定の登場人物がいるので、ハイソでクールなイメージがあるのかな?

それでも、やっぱり是非見たいです。ハリウッド版。
キャッチコピーは日本版の方が好きだけど。
日本版「もう一度、人生に恋してみよう。」
ハリウッド版「幸せに飽きたら、ダンスを習おう。」

最近CGが凄いと思えない。

2005-04-23 23:06:39 | お話大好き・映画編
何とはなしに、市川崑監督の『竹取物語』ふと思い出してしまいました。おそらくアニメ以外で、蛙が最初に自分の意思で見たいと言った映画だと思います。それにハマって、ハマって、テレビで放映されるたびに見て、ビデオを撮っては再生し。要は竹取物語をSF解釈したものです。現在のCGに慣れてしまった人間には、SFシーンがショボくてショボくて、どうにもならないだろうなぁと思います。だからこそ、映画館で見た世代でよかったなぁと思うのですが。

……ところで、最近映画のCGを見て、綺麗とは思っても、凄いと思うことが少なくなりました。
ディズニーの『美女と野獣』や『アラジン』の頃は、素直に凄いと思っていたのです。映画版『ファイナル・ファンタジー』も作品は見ていませんが、口あけて予告映像を見ていました。
しかし。去年の話になりますが、『スパイダーマン2』の予告を見たときに「………………」となってしまいました。映像は綺麗です。綺麗なんだけど、電車(地下鉄?)の車内で飛び回っているシーンの動きが、綺麗すぎたのです。確かに人間にできっこない動きをするヒーローなので、リアルにしろと言っても土台無理なのですが。だからこそ、人体の動きに対する観察が必要になってくるのではないでしょうか?ディズニーの上記2作品の頃は、映像技術こそ現在に劣るかもしれませんが、無言の言葉としての身体動作は、遥かにセンスがよかったように思います。
日本の作品にしてもそうです。アニメですが『スチームボーイ』は、作品全体は水準点はとれていましたが、如何せん、マシンの動きが綺麗すぎて、蒸気技術ならではの無骨さが伝わってこなかった。(その点は、『ハウル~』の城の動きの方が遥かに成功しています。比べる筋合いのものではないかもしれません)
勿論、製作者の方は技術に慢心して観察を怠っているわけではないでしょうが。しかし、美しく見えるものを手軽に作り出せる時代になったからこそ、自分の目を使うことを意識するべきだなぁと思うワケです。それが出来る人間と出来ない人間の作品の差は、広がる一方になるんじゃないかな?

逃げる!ヒーロー『ナショナル・トレジャー』

2005-03-27 23:23:08 | お話大好き・映画編
先日Kさんと映画を観にいきました。観にいった映画は『ナショナル・トレジャー』です。直訳すると『国宝』なのが、笑える(爆)。

★あらすじ★
歴史学者であり冒険家であるベン・ゲイツには、心に秘め続けた夢があった。少年の頃、祖父から聞いたテンプル騎士団とフリーメイソンの財宝を突き止めること。そして、財宝を探し続けたが故に学会からは変人扱いされてきた一族の名誉を挽回することだった。
祖父から教えられた謎の言葉どおり、沈没船シャーロットを見つけたのだが、そこにあったのは財宝ではなくその手がかりだった。次の段階に進むには「アメリカ独立宣言」が必要だと判明する。しかし、強硬手段で独立宣言を手に入れると主張するイアンと対立、銃をつきつけられることになる……。

ディズニーがバックについているというだけあって、見るからに春休み向けの明朗快活冒険劇でした。何と言っても、悪党役のイアン(ショーン・ビーン)が何でもありの悪じゃない。悪役って、悪党仲間に平気で暴力ふるったり殺したりするのがいるじゃないですか。勿論、映画の趣旨によってはそういう役でもいいんですけど、個人的には悪なりの仁義を通してくれた方が安心して見られます。多分、アメリカ(向こう)でも、家族連れを意識して作った映画だったんだろうなぁ。何と言っても、主人公のお父さん、目立ってましたし。「亀の甲より年の功」と「年寄りの冷や水」の間、丁度よいバランスを保った、素敵なオジサマでした。
登場人物の中で一番気に入ったのは、ベンの相棒、ハッカーのライリー(ジャスティン・バーサ)です。こういう、ヘナチョコだけど得意分野では役に立つキャラというのが大好きで。
さて、主人公ベンはニコラス・ケイジが演じるわけですが。この主人公、相手と戦うと言うよりは、逃げ足(爆)と火事場のくそ力的知恵(よく言えば機転……更に爆)で逃げ倒しているような気が……(笑)。アクションが無いわけではありませんが、最小限。海軍兵の訓練を受けたっていう設定はドコ行ったとツッコミたくもなりますが、それでも「基本は一般人」というポリシーは一応あるみたいで、そういう点に好感をもてました。

……今思えば、アメリカアクションは「冒険野郎マクガイバー」とか、「ナイトライダー」とか、丸腰主義、或いは矢鱈銃は振り回さない系が好きだったなぁ……。
そんな、懐かしい匂いがちょっとする映画でした。

折角ハウルの話をしたので……(バレ注意)

2005-02-19 15:53:42 | お話大好き・映画編
映画の話もハウルでいってみようかと思います。
今回は、映画・原作ともにバレ注意なので、未見の方はご用心。先ずは映画版のあらすじを。

★あらすじ★
父の遺した帽子屋を継いだソフィーは、パン屋に奉公している妹に会いに行く途中、そうとは知らず魔法使いハウルが追手を撒くのを手伝った。しかし、そのことで荒地の魔女の怒りを買い、90歳もいこうかという老婆の姿に変えられる。
老婆になったことを知られまいと、こっそり家を出るソフィー。向かった先は、動く城があるといわれる荒野だった……。

原作を読んだとき、映画は原作と完全に別物になるだろうなぁ……と思いました。だって、宮崎映画で主人公が魔法の世界にやってきた現代ウェールズ人って……考えられます?(原作では、ハウルは現代英国ウェールズの人で、学生時代から魔法のことを研究した人ということに)逆なら、まだありそうだけど。
ところが実際映画を見ると、思った以上に原作をちゃんと踏まえていました。ソフィー自身に密かに魔力があって、彼女自身気づかずに自分の姿を変えているところなんか、ちゃんと意味を持たせて映像化されていましたし。
……逆に原作を知らないと、欲求不満になるだろうなぁという部分も結構(笑)。例えば、髪の色が変わったくらいでハウルがなぜあこまで大騒ぎをしたのか、とか。そもそもハウルの髪は何色なのか、とか……。
それにしても高齢者(含むソフィー)が元気!荒地のおばあちゃん、正体が露見した後のほうが、とってもキュートで魅力的です。ソフィーもいろいろな年齢に化けてくれますが、蛙が一番気に入っているのは魔法空襲のとき、キっと外を睨んだ40代ぐらいのソフィーです。(←年寄りじゃないけど)筋金入り宮崎ファンにはいろいろ議論もある作品ですが、蛙は元気でチャーミングな年寄りが見られれば、それでOKです。

……が。映画にちょっとばかりモノ申したいことも。
ソフィーの義母・ハニー(原作ではファニー)の扱いですけど。宮崎監督は彼女のことを「面白い」と感じていたようですが、それでも劇中の扱いはアンマリ良くないなぁ。原作では娘を“売る”ような人じゃありません。
お伽の世界(常識と言ってもいいかも)で邪悪な魔法使い(ハウル、荒地の魔女)、意地悪な継母さま(ファニー)、愚かなお姉さま(ソフィー)とレッテルを貼られる人にも、それぞれの立場があるんだよ……という視点で書かれているところに作者らしいユーモアとウィットがあるのに。娘と敵対している人に手を貸しちゃったら、彼女には彼女の守るべき新しい夫がいたとしても、結局「意地悪な継母さま」になっちゃうじゃん。

さて、発信するメッセージが大分変わった映画版を、ジョーンズ先生はどのようにご覧になるでしょう?

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