あふさきるさの日常

旅の画像やらいろいろ

怖かったあの日 

2015年03月11日 | 日記

これからも毎年3月11日は死ぬまで忘れられません。

ただただ「怖いよ、怖いよ」とテーブルの下で「まだ、まだ」と揺れる
家で一人どうなるのかの不安に必死に耐えていた。

携帯にかかる子供からの電話も充電がままならず「大丈夫」としか
言えなかった。「避難所へ行くからと」と安心させた。そしてひと月
近く風呂も入れず、ベビーバスを利用してしのいだ。

この日から一人暮らしの不安さを痛感し、近所の人々との交流が
一番大切なことだと心から思い、集会や寄合を避けず、進んで参
加した。遠くの友達よりもいざとなったら近所の人たちだ。

家をなくした娘。

そして今私たちは東北を離れた。
しかし、今住んでいるこの地域にはあまりにも危機、防災感覚の
希薄な人々が多い
当然ありうる「防災マニュアル」も決めてない。

決して他人ごとではなく今の日本ではどこでも起り得る。

せめて地盤の固いところ、水の流れに遠いところ。私たちの最低
条件として住まいを求めた。

しかしこの日は落ち込む。故郷はない。今住むところが故郷。

テレビでは「美談」的に演出している局もあるが実際は復興に
ほど遠い。

マニュアルを作り部屋に置いている。


 

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池上本明寺 境内そして墓地など見る

2015年03月06日 | 日記

池上本明寺にて

京都散策は多いがここ池上本明寺は始めていく。
日蓮聖人入滅の霊場として日蓮宗十四霊蹟寺院のひとつ。
鎌倉、室町時代を通して関東武士の庇護を受けて栄えた。
加藤清正、紀州徳川家、狩野探幽墓所がある。庶民にほど
遠い墓所だが高野山には及ばない。
四国八十八ヶ所巡りで
最後にお礼参りした、高野山で見た墓所は歴史の重さを感
じ荘厳さを感じたが・・・・。

本門寺に庭は小堀遠州作と言われる「松濤園」に西郷と
勝海舟が江戸城明け渡しのことで密談した建物が施設
の朗峰会館から見れた。
ここの昼食「湯葉丼」と「桜素麺」のセットはおいしかった。

 

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梅を見に「池上梅園」に行く。

2015年03月04日 | 日記

「池上梅林」に梅を見に行く。七分咲きとのこと。

『源氏物語』では

[第二段 二月十日、薫物合せ]
二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに
、兵部卿宮渡りたまへり。御いそぎの今日明日になりにけることども、
訪らひきこえたまふ。昔より取り分きたる御仲なれば、隔てなく、
そのことかのこと、と聞こえあはせたまひて、花をめでつつおはするほどに、
前斎院よりとて、散りすきたる梅の枝につけたる御文持て参れり。

【御法】では
紫の上が桜とともに愛し、匂宮に紅梅の世話を託す場面など有名だ。

甘酒を飲みつつ本当に久しぶりに心がゆったりとした。

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お雛様を見に 2

2015年03月03日 | 日記

目黒雅叙園にて

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お雛様を見に。

2015年03月02日 | 日記

『百段雛まつり』~瀬戸内ひな紀行~を見に

 

目黒雅叙園にいく。瀬戸内の雛ということで瀬戸内生まれには思い出が
ある。うちは貧しく紙のお雛様だったけど思い入れがある。
どの家もそれなりのお雛様があった。

京風、江戸風、大きいのやいろいろのお雛様、歴史があり想像する。
そして目黒雅叙園の『百段階段』といわれる昭和10年の木造建築の7部屋には
鏑木清方はじめ有名な当時の日本画家たちの名画が各部屋の天井や欄間に描かれていてその
部屋にお雛様が沢山並ばれている。中でも小さい2寸雛は日本屈指の細工師の一品とのこ
とで素晴らしい。「紫式部」のお雛様もあった。

 

以前宮城丸森齋理屋敷で

仙南地域の豪商、齋藤家の蔵屋敷で、20畳の座敷に代々伝わるお雛様の段飾りを見た。
享保雛や古今雛、嫁いできたお嫁さんが抱いていた市松人形など、齋藤家の繁栄が雛人形
や道具類の豪華さで想像された。 

 

機会があれば瀬戸内鞆の浦の太田記念館に行きたいな。

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