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あふさきるさの日常

旅の画像やらいろいろ

市原市菊間 鍛冶屋前遺跡 及び菊間陣屋

2021年11月30日 | 史跡探索

鍛冶屋前遺跡

菊間台地は住みやすかったのか縄文前から人が住んでいたそうですが、そこは千光院の傍と
「一歩散策」に出ていたので何度も探したが見当たらない。近所の旧家のご主人に迷惑なが
らお尋ねした。教えて頂いた。何年も前に大掛かりな発掘調査が行われていたとのこと。

現在立っているあの家の場所だとのこと。


そして菊間のお殿様の屋敷も傍だとのこと。

菊間城主とても菊間の人でも知らない人がいる。この辺には家来だった人の子孫の家も何軒かあると。

面白い資料を読む。土地の歴史として知ってもいいのではないかなと思う。

 明治元年水野忠敬によって築かれた。水野忠敬は駿河国沼津藩主であったが、明治元年将軍徳川慶喜の家督を  継いだ徳川家達が駿河国駿府藩七十万石に封ぜられため、上総へ所領を移され菊間に築城を開始した。沼津に比べれば辺鄙な田舎ではあったが、藩士一同が苦心して菊間移住と共に沼津時代の校名を継承した「明親館」を開校、これが明治5年の学制発布の後に菊間小学校となった。また、藩士族への授産として養蚕伝習所を設けて蚕業をおこし全村に普及させた。藩庁や藩校の建設を進めたが、その完成をまたず、明治4年7月、廃藩置県となってしまった。

沼津からついてきた武士たちは沼津へ帰った人が多く残った人たちもその後も菊間の為に尽力し菊間小学校もそうで後菊間藩は菊間県となり、その後いくつかの変遷があって明治6年には千葉県に吸収された。沼津からついてきて乏しい土地で努力した人たちの胸の内を考える。

鍛冶屋前遺跡跡

菊間忠霊塔

水野忠敬 屋敷跡


市原市若宮西崎堂墓地

2021年11月23日 | 史跡探索

西崎堂墓地 六地蔵

六地蔵を見かけると死後の世界で地獄を行かないようお願いします。
本来、仏教の目的は、悟りを開いてこの六道の輪廻転生から抜け出すことにありました。
浄土真宗では、全ての死者は阿弥陀如来によって極楽浄土に招かれると考えられているので、
六道に生まれ変わることはありません。
とはいえ地獄へ行きたくない。で手を合わせます。

 

市原市真高寺

 


千葉市原市大邁 庚申塔と弁財天 

2021年11月16日 | 史跡探索

良く歩いた。やっと巡り合った大邁 庚申塔と弁財天

辰巳を歩き三人の親切な方に教えてもらい、ここに至ったとき、あんなに探して歩きまわった処が時々来ていた場所だったので見逃していた自分にがっかり。

神崎川上流の左岸大邁台地と交わる道に比較的新しくフェンスに囲まれた庚申塔と弁財天がある。

中には入れないので読めないが菊間コミュニティセンター 運営協議会理事長 安東高志氏による資料によると

弁財天の裏に神崎川の水利権争いがあった事が覗われるとのこと。興味を惹かれた。

資料より

 庚申塔は、庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔 のこと。昔からなんか身近に感じてきた

関東地方では数多く建立されているが、現存最古の庚申塔は埼玉県にある庚申板碑。

 

庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多いそうだ。