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ひとり ときどき ふたり旅 さんぽ

今までの旅、都内の散歩、趣味のこと書き綴ります。【カテゴリー】クリック⇓

送ることば 2014年 盛夏

2025年01月22日 | 🏯ふるさと
1929年(昭和4年) 鹿児島県 加世田市で生を受け


男3人 女4人の 7人兄弟の長男として


家を守ってきました




世は 大東亜戦争(第二次世界大戦)


徴兵を命ぜられた わけでもないのに


15歳で 帝国海軍に志願






横須賀 海軍機関学校(大楠海軍機関学校)」に


1945年1月29日に 入校









ここでは 特攻兵器である


「海龍(かいりゅう)」「蛟龍(こうりゅう)」などの 潜水艇


特攻要員の教育も 行われていたと






これは大日本帝国海軍の 特殊潜航艇の一種で


敵艦に対して 魚雷もしくは 体当りにより


攻撃を行う 二人乗りの 有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器




記憶では この潜航艇に 父が 乗ったかもしれないと


これで体当たりしていれば 私らは生まれているはずもなく


その後 本土決戦に向けて 教育内容は縮小 繰り上げ卒業が行われたと




鹿児島の基地に 赴任する途中 呉港を通るとき


列車の窓から見える「戦艦大和」を 機密のため見るなと


列車木窓をおろし 暗くしたと 語っていたこと




その後、「鹿屋航空隊」
 
 
帰ってこない 特攻機を見送る日々


兵舎では「ケツバット」


「軍人精神注入棒」と称し 痛い思いをしたと




入隊してから7ヶ月後


昭和20(1945)年8月15日に 終戦を迎え


数日後 「海軍鹿屋航空基地」から


同郷と 物資を「上陸用舟艇」に乗せ


錦江湾を渡り 「喜入」の海岸に乗り上げ


郷里の加世田へ山を越え 帰ったと


今の「知覧特攻平和会館」近くを歩き


ふるさとに たどり着いたそうです






その後は 大工や農作業に従事し


昭和25(1950)年に 陸上自衛隊の前身である


「警察予備隊」が発足し 21歳で入隊し






「保安隊」創隊を経て 1954年陸上自衛隊に入隊






これまでも このあとも 実家の生計を立て 働き続けてきました



入隊後は 豊川駐屯地や関東の駐屯地 第8師団(熊本)で勤務


職種は「武器隊」(火器・車両の整備及び不発弾処理。職種標識の色は緑。)


想い出すのは 首にみどりのマフラーを巻いて カッコ良かったこと




1968年ころ 不発弾処理で目の前で爆発し からだ中に破片が入り


包帯だらけの 父を見たこと





破片の刺さる位置が 少しでもはずれたら 死んでいた



1969年 新居を構え タヌキの出る藪の中


私は毎日毎日 学校の帰りに 家が出来上がる様子が楽しみで


何度も 見に行ったことを 想い出します






東京に来たときは 靖国神社の


「遊就館」の戦没者の 遺影のパネル前で


同郷の人を見つけ 手を合わせて 泣いていたことを想い出します




母を62歳で亡くし ひとり 弟夫婦の手助けで 過ごし




怖かった父 話しをすることもなく育った 18年間


働いてからも 仕事の話しをしても アドバイスもなく




弟とも 腰痛腹部大動脈瘤遺伝
 
腹部を切開大動脈を人工血管に取替えた 大手術


徘徊と認知症を患い 家族を思いだすこともなく


会えば 辛い日々



退職前に施設に赴き 挨拶をした日は


私を施設内で誇らしく 紹介してくれた父


翌年には 私のことも 孫の名も 忘れさり



2014年 暑い日


85歳で 胸部 大動脈瘤破裂で他界




父が毎日通った 家から遠い 母の入る墓を


弟・甥の近くに 移設することができ



草葉の陰から


父も母も 喜んでくれていると思います




父が建てた実家の地に


甥が家を建て


庭石や 裏口の金戸を


当時のままに 残し



今もふたりが


孫とつれあいと

ひ孫を 見守ってくれていることでしょう



父に あらためて 送ります 拝


上野 不忍池で撮影
 
 

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手塗りシーサー 西表島から 届きます

2024年10月28日 | 🏯ふるさと

お手紙も ついて

星のリゾート西表島ホテルの お土産もついて


箱には 「にーに ねーねへ」と 手書きで

 


見るたびに 笑みがこぼれる シーサー


欲しかった ツイのシーサー


笑える シーサーです


甥っ子の子が 作ってくれました


可愛い パイナップルも


ケースに入れて

背景には ファミリーの写真を入れて


シーサーの下には 

赤と白のコントラスト 沖縄瓦屋根に乗せて

 

 ありがとね!

 

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熊本 阿蘇 大観峰の雲海 阿蘇五岳のねはん 

2024年09月02日 | 🏯ふるさと
阿蘇の外輪山
 
雲海が 満ちてきました
 
下界の 田畑 民家は見えなくなり
 
ファンタジーの世界!
 
 
阿蘇山の五岳
 
涅槃(ねはん※仏様の寝姿)のお姿に
 
 
 
そして 雲海のない日は
 
こんな綺麗な景色が 下界に見えます
 
 
 
ここに阿蘇の民4万人が生活し
 
豊肥線のJR阿蘇駅があり
 
阿蘇神社を構え 水をたたえます
 
 

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見た人に 持ち歩けば 幸運を招く 

「バタフライアイランド」

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熊本工業高校 2024夏の甲子園 今回は遅い募金

2024年08月05日 | 🏯ふるさと
3年ぶりに 夏の甲子園に戻ってきました!
 
106回 夏の甲子園 出場決定!(夏は23回目)
 
 
 
さっそく 熊工から甲子園出場の募金依頼
 
熊工会の「甲子園出場対策本部」から
 
出場決まると 早々に
 
依頼趣意書が 送られてきます
 
卒業してから40数年 それからの春・夏の出場回数は30数回
 
その都度 募金の依頼
 
年に1回の「熊工会報」も届き
 
懐かしき熊工の 活動を確認できます
 
 
「東京熊工会」も 年に1回の集まりや
 
全国で各支部が 活動しています
 
 
 
相手は広島代表 広陵高校 25回出場」
 

ここは強豪です 3回戦に進むことを願います 

結果 2:1で 2回戦負け

 

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パリジャンひとり旅 山鹿来民うちわ 荒木遼太郎応援に 速報

2024年07月27日 | 🏯ふるさと

陸上トラックの色 紫色の効果 

緊張を和らぎ ムール貝から抽出した色でできています

東京オリンピックは 相変わらずのオレンジ
変える発想が なかったのですね〜
 
日本とフランスとの時差は 7時間

日本が午前10時なら フランスは夜中の3時

 

海外へ飛行機を乗り換えながらの ひとり旅

使えない フランス語ドイツ語をあやつりながら

なかなか出来ることではありません

 

教え子になる フランスオリンピック 

サッカー日本代表 荒木遼太郎君を応援に

熊本山鹿の来民うちわを持って 弟がまいります

 

7.25 3:18 パラグアイ戦 5vs0 勝利 荒木後半出場

7.28 4時 マリ戦 1vs0 勝利 荒木先発 後半12分交代 決勝トーナメント進出! 

7.31 4時 イスラル戦 vs

 

フランス国有鉄道のテロも回避して ボルドー駅に到着

 

駅は人であふれています

 

ボルドー駅近くのホテルに荷を置いて

カフェオレはこの店で

 

近くの中華総菜のお店には

スーパードライが売っています。冷えてますよ

 

 

路上テラスで クロワッサンとカフェ・オレで

 

街並みは綺麗です

 

道端には簡易図書館が

 

ここにもトラムが走っています 

2回ほど乗り間違えたり

 

時間があるのでワイナリーへ

モンパルナスからボルドーへ

トラムの切符は 往復切符を買うことがおすすめです

ボルドー駅は販売機が1台しかなく クセが強いとのこと

 

ブドウが育つ小高い畑まで 行つたそうで

 

ワイナリーは

「シャトー・ジャン・フォール グラン・クリュ・クラッセ ・サンテミリオン」

試飲もして

 

21時キックオフの スタジアムへ

うちわを配るのを スタッフに手伝ってもらいます

 

外人の方に大人気

 

日本の方にも渡せました

 

スタジアムはガ~ラ ガラです

 

"朝食食べながらブログ見てます"
"こっちは朝8時" 
"シーンとしてる、時々走る車の音と鳥の声しか聞こえない"

カヌレは ボルドーが発祥の地

赤ワインと合わせるとベストです

 

「ボルドー:歴史地区とシャルロン地区自転車ツアー」

所要3時間 芸術的、建築的、美食的な冒険でめぐります。

 

荒木遼太郎君の応援を終えて

お世話になった オーストリアのマワーキュウヘンの旅に向かいます

気をつけていってらっしゃい♪♪

 

ブログ「パリオリンピック サッカー 山鹿来民うちわ 荒木遼太郎」クリック⇩

 

旅を終え 届きました

Clos des Galevesses
Lalande de Pomerol 2016

 

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