昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

言霊―4

2011年02月18日 | 日記

2011年2月21日

言霊―4

 

 心理的に厳しい一週間だった。この一週間のことはいつの日か慰められ和らげられて心の痛みが癒されるのかもしれないが、まだ先のことだ。急激な認知症の症状を呈して一刻も猶予なくなって母親を、前々から予定していたとはいえ予定を急遽くりあげて、相談していた介護施設に預けなければならなかった。タイミングがすべてだ、そう確信して連れて行った。なぜか、親のほうも自分が今いる家をでて、どこかへ「帰る」と納得していた。「どこか」がどこかはわからないが、出かけることは承知してくれて、それでタクシーに乗ることができた。一日遅れたら、もう収拾がつかないと確信した。実際、その翌日に雪が降った。

 もちろん、そのあとが大変だったがそれでも介護施設のほうは専門家なので対処してくれて、数日がすぎている。まだまだ予断を許さないが。

 こんなときでも、絶対大丈夫だ、と心の奥は落ち着いている。ひとつには、この2ヶ月、欠かさずやった「あいうえお言霊修行」を実践していたことも大きい。

『あいうえお言霊修行』(ビジネス社 刊)という本がある。佐賀県立病院好生館外科医局長をされていた、矢山俊彦さんの著書だ。矢山先生は真言密教への深い理解がおありだ。それでこのような本を書かれたのだろう。真言密教では「真言」つまり「マントラ」が修行というより、それ自体が仏と自己とを結合させ一体とさせる媒介なのだ。真言を唱えること、その時そこに仏が信仰者自らにおいて顕現される。

 もし、仏教徒でなくても森羅万象を生み育て給う大生命に気づいた人であれば、別に密教教義で定まった真言でなければならない、ということはない。実際、真言そのものはもっとも根源的なものはといえば、前にも書いたように、ただ「オーム」なのだ。ひたすら、「オーム」と唱え続ければ、それで立派に真言を唱えているのだ。

 でも、それではものたらない、という人のために、いろいろな真言はある。

それはともかく、『あいうえお言霊修行』の真言はとても使いやすいし、習得しやすい。あっけないほど簡単なのだ。ただ、やりぬく決意はいる。

唱える真言とは、これだけだ。

「あ」  ありがたい

「い」  いつくしむ

「う」  うれしく

「え」  エンジョイ

「お」  おおらか

 

と、これだけだ。これを、「ありがたい、いつくしむ、うれしく、エンジョイ、おおらか、ついている」とくちずさむ(心の中でもOK)。

それを、まず、千回唱えるのだ。

千回いったら、一万回、唱える。それでめでたく、「達人」だ。

 でも、やってみると、結構始めは気が乗らない。一日、20回、それが数日は続いた。いやいやながら、無理やりやっているのだ。よさそうだ、とは思うけれど、そう簡単には気が乗っていかない。それに、回数のカウントも面倒だ。100円ショップで通行人の数を調べるのに使うカウンターを用意するのがよい、とあったので買った。しかし、こんなものを始終もっているわけにいかない。結局、指折りして数えて、唱えた回数を記録して、翌日に、前日やった回数に加えて、というやりかたで2週間くらい模索した。そのうち、唱える回数が一日100回から200回はいくようになった。道を歩きながら、電車に乗りながらのことで1万回やるのに、2ヶ月かけた。

 それが終わったとたん、母親の症状が急激にきつくなった。目に見えない力が、私が1万回唱え終わるまで母親の症状を抑えてくれたのかもしれない。