昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

2011年02月25日 | 日記

2011年2月28日

 

 今日28日は2月のつごもり。明日からは春だ。雪の季節は今日をもって終わりを告げる。3月にも雪は降るだろうか。

 雪を可憐とか美ととらえることができるし、それは一番たのしい。子供のころは冬は雪が東京近郊の街中でもよく降ってつもった。こごえる手をおおう手袋に雪片が輝いて、虫眼鏡でみると、実に均整のとれた美がそこにある。だから、雪子さんとか、伝説や童話の雪ん子とか、それを聞くと白雪姫のような北国の美女が連想される。でも、雪の美には妖しさもあるのだ。小泉八雲や小川未明の童話などにでてくる雪の精は、人の命を奪う。ゲルダからカイを奪い去ったアンデルセンの「雪の女王」を思い出さないわけにはいかない。自然を愛し、雪山にあこがれる登山家たち。雪山は彼らを必ずしも生還させるとは限らない。どんなに用心しても、雪庇が突然崩れてなだれとなり、あっという間に亡くなってしまう。

 私は北国、雪国の生活を知らない、だから山田耕作の曲「雪の降る町を」などを耳にして、なんと心にしみる歌だろうと思った。そこで生活している人々にとっては難儀なことだろうが。それでも、地理に興味があったので、雪にまつわる風土や文化には関心がある。大学生になったばかりのころ、英語の授業で “Wandering  Through Winter” by Edwin Way Teale を読まされた。ほかの教科書はとっくに処分してしまったが、これだけはずっと手元においておいた。ティールというひとは、今風にいえばアウトドアライフの魅力を伝えた人で、文学上のジャンルは nature writing というふうになっている。北アメリカの四季を、ずっと奥さんと一緒に旅しながら、自然の写真を撮り、それにエッセイを書き加えて、かなり著名な作家だった。彼が活躍したのは1945年だから、もう65年も前のことだが、そのころのアメリカは多分もっとも輝いていたのだろう。

 この本の7章は、雪片の国というタイトルがついている。場所はニューヨーク州から雪原広がるヴァーモント州にかかる地域。そこで雪の博物学者というべきベントレイという人の記念館を訪れるのだが、そこでティールはこんな引用をしている。”Hast thou entered into the treasures of the snow?”

 これは、ユダヤの聖書(旧約聖書とキリスト教徒はいうが)の、ヨブ記の一節である。神が義人ヨブにつむじ風のなかから呼びかけられたのだ、「そなたは雪の倉に入ったことがあるか?」

Treasure はもともとは「倉」だそうだ。倉に納めるようなものは何であれ宝物だろう。このヨブ記というのは、ユダヤの聖書の中でも難解なことで有名なものだ。おびただしいくらいの宗教家、神学者、哲学者、心理学者、文筆家、たちの本がある。皆、このヨブ記から大変感銘を受け、それぞれの視点からコメントをしているので、自分もそうしてみよう。しかし、ヨブ記なるものを読んだことも、いや聞いたのも初めてという方もあろう。これをわかりやすく簡単に説明せよ、といわれてもそれはできない。だから、ただ感じ取ってみてほしい、以下に書く言葉の向こう側にあるひとつの光景を。

 このヨブ記は作者も成立年代もまったく不明である。ただ、内村鑑三の系譜、無教会派の旧約学者で関根正雄はこう言っている。「救済史の外に立つヨブという個人の苦難が主題であることからも(イスラエル・ユダの)王国以後の作であり、より具体的には前五~三世紀をその成立時期として考えさせる。「序曲」の敵対者(サーターン)もいわゆるゼカリア書に出てくるものに応じ(中略)成立の場所については・・パレスチナだろう」

 同じことをもう少しふくらませていうなら、今パレスチナ、古代ユダヤ人はカナンの地と呼んだ地域は、紀元前8世紀アッシリアがイスラエル王国を滅ぼし、さらに前5世紀、新バビロニアがユダ王国を滅ぼした。王国の滅亡は、ユダヤ預言者たちによれば神の怒りによるものであった。すなわち、神ヤハウェはアブラハムの子孫を特に選び出して神の民とされ、ヤハウェのみを唯一の真の神として民がつき従うなら末代までパレスチナで繁栄させよう、そういう契約を神はイスラエルの先祖と結ばれた。これがイスラエルという民族の起源である。ところが、ユダヤ民族は王国を求め、異文化と交わってヤハウェ神をないがしろにする生活習慣を築いた。これをさまざまないわゆる預言者といわれる徹底した原理主義者が、このままではイスラエルは滅びると予言した。マックス・ウェーバーというドイツの社会学者が『古代ユダヤ教』という大著を残している。彼の分析では、預言者は社会学的には、政治的扇動者とみなされる。預言者のなかでもイザヤ(イザヤ書には第二イザヤという別人格も混じっている)は王の助言者であった。エレミアも同様である。王たちは預言を半ば信じ、しかし半ばこの世的な外交や戦術での打開に頼ろうとし、この神に全託しない姿勢こそが預言者たちがさらに厳しく糾弾する原因となった。王はそう簡単に、理性では判断できないような神の指示にすぐに全面的に従うことができなかったのだ。結局、イスラエルもユダも滅び去った。

 その後、ユダヤ人の支配階層は「バビロンの捕囚」といってイラク方面に連れ去られ、その後帰還して神殿再建の道を歩んだのだが、ヨブ記はこの期間にできたのだろう、と関根はいう。

 ユダヤ人の問題意識には、神の真意がわからない、神の義は不条理すぎる、という思いがあるのかもしれない。私はヨブ記の作者は特にそういう問題意識をもっていたのではないかと思う。たとえば、関根は「「序曲」の敵対者(サーターン)もいわゆるゼカリア書に出てくるものに応じ」という。序曲を読んでみればわかるが、サーターンは天界にいて、神の特命を帯びてヨブを試みるのである。ヨブ記とは、神の不条理へのヨブの悲痛な抗議の書なのだ。しかしヨブはあくまで神への忠誠心を失わなかった。ただ、ヨブが何故試みられなければならなかったのか、それは神へのヨブの期待、神は義であり義以外のものであるはずがない、という期待の根がどれほど確かなものか、これを試みられたのだ。問題は、神は不条理だ、と感ずることは、われわれからみればむしろあたりまえで、それでもまだ信じるというほうがよっぽどおかしい、と思える点にある。本当に、神は義なのだろうか、それとも悪魔をも使いにする邪なのだろうか。ここが問題なのだ。

 ヨブの友人たちは、ヨブは義人であるというのはごまかしだ、といったり、ヨブには隠された不幸の原因になるものがあって、それに気づかない愚か者なのだ、という、厳しい批判を投げつけてきた。ヨブはそれにも抗弁する。そして、最後に、神ご自身がつむじ風の中から、直接ヨブに答えられる、というのがヨブ記の結末である。さきほどの、「そなたは雪の倉に入ったことがあるか?」は神ご自身が初めて直接ヨブという被造物に憐れみをかけられ、問いに応えられるという異例中の異例の事態なのだ。

 わたしの理解をいおう。ヨブ記は、神の摂理は、因縁因果という仏教の教えをも超え、絶対からみれば善も悪もない、そこに気づいていわばきわめて高い天使のように、無尽蔵で無条件の愛の中に入れ、とヨブに促されたように思われる。

 ヨブ記には、イエスの福音にあるような愛の神について説くところはない。しかし、神はヨブに直接お答えになるために、つむじ風という物質的次元にまで神が自らを限定され、いわば低い次元に降下されたのである。そのこと自体が「愛」ではなかろうか。インドのヴェーダーンタ哲学にも、神の愛を説く思想がある。絶対が自己限定される、という理解なのだが、いってみれば絶対者が混迷する魂の救済のために絶対の自己を死んで、相対の中に限定的に多神的に現れ給う、ということで、それは神が愛のために自らを死なれたようなものである。ただ、それを神の痛みとするか、神の遊戯とするか、そこはよくわからない。

 ヨブ記はもうひとつ、見落とせない謎が書かれていて、それがこれからの地球が宇宙と精神的なコンタクトをもち、天使的宇宙人と交流する上で意味があると思われる箇所がある。それは、神がこうヨブにいわれるところである。「君はプレアデスの鎖を結びオリオンの結びを解きうるか。」

 前に書いたように、プレアデスとオリオンはそれぞれ宇宙文明である。なぜ、こんな古い書に、こともあろうにプレアデスとオリオンがあるのか。ヨブ記の記者とはいったい何者なのだろうか。