今朝の1本は、映画、邦題『テディ・ベア誕生物語』でした。放映したチャンネルは<LALA TV>!
劇場公開はされずのDVD版ですわ。よって、ネットでもどういう内容か、あまりわからないみたい・・・。
今日の場合、<LALA>の海外ドラマや映画は、良質でレベルが高い作品が少なくないので、マガジンとHPでチェックしております。ああ、「海外」といっても、「韓流」は別枠・・・。
さて、「テディベア」といっても、熊のぬいぐるみだとしか知識のなかったわたくしめにとって、この映画、目を瞠らせてくれました。
テディベアを考案したマルガレーテ・シュタイフは、1847年生まれのドイツ人? でも、まだ「ドイツ」という国には出来ていませんから、「どこ?」があります。まあ、ザルツブルクに近い何とかという町でした・・・。
「全ての困難を乗り越えて」という副題を日本語版制作でおつけになった?(未確認) としたら、邦題といい、拍手!拍手ですね。
車椅子の歴史は古いらしいですが、廉価になって、普及するのはそんなに昔ことでないでしょう。学校へ行きたいと願う彼女に、弟が手作りの車椅子をつくります。
いや、それ以上に19世紀半ばに、学校へ、教会へ、外へ出て行こうとするマルガレーテの力強い生き方が、驚きでした。「治したい」、医者にみてもらいたいと願う彼女は、役所?に働きかけ、ウイーンの病院へ・・・。これがそのシーンです。
その列車で出会ったセールスマン?に「ミシン」の存在を知らされ、やがて仲間とお金を出し合って購入する。でも、驚きは、これが19世紀のまだ半ばだったということです。ちょうど、「軍服」を縫うために、ミシン製造が盛んになっていく、その時期
さて、ミシンを買ったものの、彼女は右手が使えません。そこで、どうしたものかと思案、「反対」に置けばいいんだ!と、自分でも使えると気づく・・・。思案し、工夫を重ねる姿勢に、共感させられました。
テディベアの元になった「象の針さし」が考案されたのが1877年とのことで、それが子供向けのおもちゃとして、売り物になるっ!とマルガレーテの工場は生産をすすめますが、不況になれば、当然行き詰まる・・・。
そんなとき、最愛の弟と共に考案したのが、頭・手足が動くぬいぐるみ・・・。しかし、経営難で工場は閉鎖直前、雇っている娘たちを解雇しなければならず、それを工員に告げますが、「もうすぐ見本市。それまで、わたしたちが無給で働けば」という言葉が返ってきました。これが、1880年代のようです。
まあ、実際のところは?
しかしながら、「見本市」で、アメリカの商人がテディベアに目をつけ、大量注文が入り、苦境を乗り越えることが出来る・・・。そして、20世紀の初頭、この熊の縫い包みを気に入ったセオドア・ルーズペルトによって、「テディ」と名付けられ、ヒット商品になったようですね。「セオドア」の愛称が「テディ」!
なお、こちらの「ルーズベルト」は、日露戦争を仲介をして「ポーツマス条約」を結ばせた方のアメリカ大統領・・・。「ニューディール」や太平洋戦争のときの大統領は、フランクリン・ルーズベルトですよ。「1945年4月12日になくなっているから、ポツダム会談には出たのは、トルーマン」と、 語ったのは、何年前でしょうかね。テストでは、「F」をつけなきゃ、「減点」にしていましたわ。高校で世界史を習った時のためにね。
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