目覚めたのは、午前5時半頃でした。何せ陽射しが強い。寝室の東窓には、遮光シートを障子格子窓に挟みました。 これから実家にゆき、洗濯が住んだ、そして現在必要な衣類を運びます。
その後は、早朝ですが、母の入院する病院へ行ってタオルの交換をして来ようと思います。この2年間に3回3ヶ月入院したところですから、勝手は承知の助よ。
現今の殺人事件において、家族親族間の場合は半分以上です。しかし、これは氷山の一角でしょう。離婚といった手段、金銭で解決してケースの方が遥かに多いはずです。自分を殺す、自殺のという選択もあります。何よりも、その手前で、もがき苦しみ、或いはパチンコetc.といった射幸心をそそる事にうつつを抜かしたり、「飲酒」で憂さ晴らし・・・。
さて、おばあちゃんはなぜ、消えたんやろう?なんで、おかあちゃんが嫌いなんかな?小学生の小さい頃から、時には考えてきました。 死んだどうなるんやろう?これにも思いを巡らせて、育ちました。
まもなく、7時になります。昼のワカメスープを作ったり、珈琲を淹れつつ、朝食の素麺をこれから頂きます。やはり、胃の中に食べ物が入っていないと、一日一生、今日を生き抜くエネルギーがぁ・・・。am6:52(見出し画像)
テレビをみながら温玉入りぶっかけ素麺を食し、器もすぐに洗ったところです。薬、薬・・・。am7:05
午前7時18分、台車に荷物を載せました。まずは、病院へ行ってきます。
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午前7:25分の画像、実家の卓袱台です。画像を加工したのは、せめてもの情けである・・・。
片付けた後、卓袱台を外に出し、洗っても現在干し、干し中!
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病院へ着いたら、母ハクトーバは食堂で朝食中でした。あの卓袱台を、えげつない流し台も目撃してしまったので、「こんなやつに育てたのした誰じゃ!」という怒りが彼女に向いてしまいました。
洗濯したタオル類は、引出しにしまわず、ベッドの上に投げつけるようにして、帰りました。優しい娘は演じることは出来ません。
幼い頃から一人息子を連れまわしていた私は、周囲の友人・知人から「子離れせんとあかんで」という諭と励ましの言葉を頂きながら、彼を育てました。教員という仕事を通じても、「親離れ子離れ」が人間として、自立自存に必要な過程だと学びました。
子どもはペットではありません。
家族として、助けあったり支え合うことは大切ですが、それは「共存」であるべきで、依存は駄目です。「共存」という意味は、 たとい幼子であったとしても、養育を通じて、自分自身が人間として「大人になる」成長の機会を賜っているのです。
子どもに対する養育の責任、責務・・・。自分の欲望を抑えたり、耐えねばなりません。ただ、これは母親、或いは両親だけでは辛いことです。周囲のサポートや助言に包まれなきゃ、やっていけないと思います。
以上は、「児童虐待」「ネグレクト」への問題関心の根っこある考えです。
これは、洗濯をしながら、時々片付けも折り込みしつつ、綴っています。まっ、いつもそうですが・・・。洗濯を干していたら、立ち眩みがしました。朝に作った中華スープを食べ、少し休むといたします。
今日2回目の洗濯中・・・。いや、3回目かもです。今、麦茶が湧き上がりました。明日の分の!
さて、雨雲をチェックします。外に干した卓袱台が濡れるとまずいですからね。pm0:32
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