典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

ここまで来て 中止はないだろう、八ッ場ダム

2009年09月23日 | <歴史>
 「人間にとって、生きていくために必要なものは何?」
と問うと、初めのころは
 「お金」と返って来た。

 今は「水」と「食べ物」になった。

 これを踏まえむなきゃ。地理や歴史の授業はできない。最後の社会科授業をしている今年、地理学習では、人と自然の関わり、自然事象などなどを本質的に見極める思考を目指している。

 わたしが歴史を学びたいと思ったきっかけは、中学校二年の<弥生時代>の授業だ。なぜ、貧富の差が生じたのか? 
 そのときまでの私は、歴史が好きだったけれども、歴代天皇の名前を覚えたりしていた、皇国主義とでもいおうか、右翼かぶれとでもいったらよいのか・・・。家に送られてくる赤尾敏の雑誌を読んでいた中学生だった。
 それが、ころりと変わった。
 すとぉんと「目から鱗が落ちる」感触をまだ忘れていない。

 今まで、社会科の教師として自分の授業に求めてきたものは、「分かった!」、「なるほど」と生徒たちが感じたときに、教室の空気が変わる瞬間だ。
 何か引き締まった、すっとした静けさと笑みがその瞬間に生まれる。

 わたしの授業は面白い・・・。
 教師の私は、舞台の上の芸人であり、生徒たちはお客さんだからである。ネタの仕込みにもリキを入れてきた。
 「がっこのせんせは、落語を聞いて、話の術を身につけなきゃいけません」という「師匠」の指導もうけて、マクラからオチまでどう展開するかを計算して、授業をする・・・を目指してきた。

 3分で、5分以内にこの話をしようと、秒まで時計の針をみている。

 寄り道みたいな話題で喋っていても、すっと本筋に戻して、生徒を驚かせることもある。

 今の中学校では、生徒をどやしつける必要もなく、にこにこと授業をさせてもらっている。中一だ。
 最初の授業で「明石・たこやき・東経135度」をやったりしているので、生徒たちの中に、「○○の社会科は面白い」という先入観をうえつけた?

 明日の授業は、地図帳97B③、群馬県の長野原からスタート。教科書(帝国書院)70ページ・・・。
 地図帳は、常時携帯。教科書は自宅に1冊、置いてある。
 なお、教科書はすべての出版社のものを購入して、比較。これは、小学校から中学校に異動した時から続けている。

 今夜は利根川水系について、もう少し調べてから

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