典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

1984年初版のこの一冊から・・・

2012年03月02日 | <記録・雑感>教育・学校・教員

 物置、いや本置き部屋から一冊の新書を取り出してきた。学校や教育にはさほど興味がないので、冊数はわずかだが、資料として保存している。時期は、1970年代後半からの10年間の雑誌だ。ただし、教員向けの図書ではない。

 序章の(1)「戦後教育」とは何か 第1章 機会の均等化と質の画一化 (2)平等化と競争 第2章 集権的効率とその代価 (4)効率の代価 第3章 優秀さの吟味 (1)学力オリンピックの成績 (2)優秀さを支えるもの (4)枠づけられた競争 第4章 もう一つの優秀さ (1)対比の意味 (6)授業改革の歩み 英国と日本 第5章 教育における公と私 (1)公教育の役割 (2)公と私の分離 第6章 教師のジレンマ (2)役割とイメージの変化 (3)役割の混迷 (4)プロフェショナルとしての教師 第7章 できることは何か あとがき・・・

 午前7時現在、この本の「目次」の章立てと気になる項目を書き出した見ました。

 先週の2月24日、「大学生の24パーセントが『平均』の意味を理解せず」という日本数学会の報告および「ゆとり教育」が問題だというニュースに接して、苦笑、嗤らわずにはおられませんでしたゆえ、少し考えてみようと思って、この一冊を取り出しました。

  結果を重視し、プロセスを軽んじる算数・数学の授業。算数・数学の要は、論理的に思考する能力を培うことにある。これが私の考えですね。

 テストで点数さえとれればよしとする「教育」の結果であり、すでに教える側の教師の認識自体が「数学を学ぶことの意味」を欠落させてやってきた・・・。

 このように考えるようになった理由・背景は、わたし自身の「数学」をめぐる体験があるんですよ。小学校の一年生・二年生の授業経験、大学受験をめざす生徒の家庭教師経験・・・。

 長年、生徒や若い人たちに質問することの一つは「イコール」とは何かです。「平均」についても、それが何かについて、生徒たちに教えてきました。

 「テストで出来る」こと、つまり正解で点数を獲得することと、「分かる」ことは、まったく違います。

 さて、ぼちぼち、今日の本読みにはこの一冊を加えるとして、取敢えずのアップ!am7:23

 

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