典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

タイトルは新地通い?/東アジアの片隅に

2024年03月22日 | 東アジアの片隅で 
 カテゴリーは東アジアの片隅○にしました。(*⌒∇⌒*)
 壊れかけだから、捨てたらよさそうな品なのに、つい手元に残してしまう思い出のモノがあります。
 その中の一つに、日本髪の髪型のミニチュアでした。
 親父に連れられて、今里新地に行くとわたしは検番に預けられるのね。彼は40代半ばまで独身!ゴリラ顔で男前やなあけど、「くろうとさんにはもてた」た叔母から聞かされいます。父の姉でわたしの養育をしてくれたのが、この叔母ムメノね。父は遊び人じゃなく、生真面目な律義な男で相応な人物から信頼された裏方だったに違いありません。
 「あの男の娘さんか!」が父の没後半世紀の間に御座いました。教員として窮地に追い込まれた時…。まぁ、この話はまだ未公開やわね。
 芸事が好きなんと色街自体に思いがあったと推理します。( ̄▽ ̄)松島遊郭の何人斬りとか信貴山に芸子さんが籠った事件の話は幼い頃、本人にから聞いとる…。きっと、ガキやから分からんと油断していたのでしょうよ❗
 ところが、おっとどっこい!私は記憶力に優れてる?黙って聞いて覚えてる…。無口なおとなしい、暗いがきでした。ちびまる子の野口さん、あのイメージかな?
 笑っている写真は一枚もない…。
 
 今里新地で思い出すのは、宝恵駕籠に公園での盆踊りでした。それとげいこさんが相手してくれたことも微かに覚えてる…。日本舞踊を習っていたしで、身近な文化ちゅうか!じっはお座敷遊び、ちょっぴりで三味線、端唄も歌えますぜ❗
 私が大学生の時も今里新地の検番のおかあさんは元気でした。自民党院外団の婦人部長でした。

 ええっと? 話がそれましたかね!
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