典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

夢からさめて浮かんだ顔は・・・

2011年11月12日 | 〈記録〉モノとしての本・地図・資料

 最近、睡眠の状態が悪い日が増えています。両足を真っ直ぐに伸ばして足首を組むという姿勢・・・。非常に、精神的にへたっているんですわ。

 まあ、身体的に健康すぎるにも拘わらず、頭が幼児化?している91歳の存在が心にど~んと圧し掛かっていると申しますかね。実際の面倒は、同居の実弟が「覚悟している」と荷っています。しかし、経済的な負担が「見通し」と計画を狂わせてしまっていますのさ。

 「一日一生」、人の死というものはいつ訪れるやとも知れずして、明日をたのみに徒に日々を過ごすまい。炎をもやすように、己が生をまっとうすべく、心しておけ!の自戒をこめた言葉です。

 非凡な一生をまっとうした父。悲しくて、切ない末路をたどった祖母(母方)、わたしの養育・世話をしてもらった伯母(父の姉)・・・。

 そして、自分の死と向かいつつ、覚悟して若くて旅立った妹もいます。幼い子を残して旅立ち、その辛さ、せつなさは、言葉では尽くせないでしょう。

 三橋節子さん、昭和52年に梅原せんせい、「湖の伝説」。その10年後に滋賀県立近代美術館からも「三橋節子の世界」が出版されています。1977年ですか・・・。わたしが子ども生もうと決断したときですね。

 子どもを生み、育てるということは、命を預かるといことてす。

 「家庭」なる器をつくったとしても、そこは保育器じゃあるまいし・・・。次に、ペット並みに餌を与えておりゃ、そこそこの世話をしていりゃ、勝手育つもののではありません。生物としては、成長するでしょう。

 子どもというものは、すでに乳幼児の段階で、「人間」として育つかどうかの瀬戸際に立っているうに思われます。ペットのように、可愛い、可愛いだけでは済まないっちゆうことですか。

 孫と付き合って学ぶこと、改めて然りです。確固たる人格をもった存在と、三、四歳の彼から思い知らされますの。

 子の親をして、学ぶことは我慢、忍耐・・・。自分の感情を抑えてつつ、自省もしばしでしょう。「児童虐待」なんてのは、決して<異常なこと>と捉えるのは間違っていると思います。

<続き>はありますが、もう一眠りいたします。ちょっと、薬が効いてきました。取り出してきた本2冊、元の場所に戻しますわ。「美術史コーナー」へ・・・。

 あんまり、早く起きてしますと、おなかが空いて、検査の時間までもたなくなつちゃいます。

 ひらいのおっちゃんとの思い出話を書こうかという夢見ではありましたが。話が逸れてしまいました。 まっ、本の整理を急ごうということで、「母を見送るつとめ」に縛られない選択をとったということですかな。

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