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点の風景

心に感じた風景です。ご一緒にお楽しみ下さい。

中田島砂丘

2008年08月31日 | 8月写真館
夏休みは娘と二人で旅行をした。夫は一緒に行かなかった。なぜか。旅行前日、甘えが出た夫は、職場まで迎えに来いという。暑いからヤダと断ると、とぼとぼと帰ってきたが、翌朝、「迎えに来てくれなかったから、疲れて旅行には行けない」と、「超」 子供っぽい仕返しをしてきたのである。しかし、いつもなら「三人じゃなきゃ嫌だ」と言う娘が、今回は早くおばあちゃんに会いたいので、あっさりと「いいよ。ママと二人で行くから」と夫を見限った。よって、さっさと二人で名古屋に向かってしまったのだが、娘にまで振られて、予想以上に傷ついたらしい夫は、傷心のあまり九州へ旅立ってしまった。

夫のことはどうでもよい。気になるのは娘である。このところ「やばっ」(やばい)、「こわっ」(怖い)、「きもっ」(気持ち悪い)の三語で全てを済ませてしまっている。子供特有の舌足らずな口調で言うので、そんな言葉すらも内心かわいくて仕方ないが、しかしこのままいったら本当に「やばっ」と思ったので、今回の旅行はじっくりと話す良い機会でもあった。高速道を一路名古屋へ向かう。カセットもついていない軽自動車なので、自分達で声を張り上げて熱唱。娘は「カントリロード」や「Believe」、私は松田聖子の「青い珊瑚礁」や「夏の扉」。ついでに80年代の「ぶりっこ」を解説し、方法を伝授すると即「きもっ」。娘とのラブラブ旅行が始まったが、何せ夫がいないため、肩に荷物を、右手にビデオ、左手にカメラといういでたち、簡単なビデオばかり撮ってしまい、写真は殆ど撮れなかった。

名古屋にて

2008年08月31日 | 8月写真館
名古屋では、お墓参り、科学館、ボーリング。科学館では、特別展「エジソンと日本の発明家」。映画の原型であるゾートロープ、プラクシノスコープ(回転のぞき絵)を何度も回転させて楽しむ。(娘もとても興味を持ったため、夏休みの自由課題で作成させようと思ったが時間が無かったためできなかった。)「日本の偉人」パネルも興味深い。鈴木梅太郎は、世界で初めてビタミン1(米糠から抽出しオリザニンと名づけた。)を発見。しかし論文がドイツ語に訳される際に「新しい栄養素である」という一行が訳されなかったため、世界初の名誉をポーランドの学者に奪われてしまった。ボーリングはアマチュア県大会で優勝している姑の直伝。子供向けにガーター防止の枠を立ててもらい、90点のスコア。

中田島砂丘

2008年08月31日 | 8月写真館
中田島砂丘は浜名湖ICで降りてからすぐだと思っていたが意外に遠い。昔訪れた時よりも随分汚くなってしまった印象を受ける。とても良い天気だったにも関わらず、曇天のようになってしまったのはカメラの設定が悪かったため。御前崎を一周してから焼津へ向かう。(中田島砂丘の写真を入れ忘れた。当ブログでは、順番にしか掲示してくれないため、冒頭に掲示しておいた。)

焼津

2008年08月31日 | 8月写真館
焼津健康センターで宿泊。健康ランドは衛生の心配がなくはないが、行き当たりばったりの旅行には有り難い。館内も最近は分煙のため、以前の煙草臭さが無くなった。しかし、仮眠室は男女同室であった。翌日宿泊した富士須走の「天恵の湯」も男女同室であった。昨今多くなった若いカップルの利用者などに配慮してのことかも知れない。私と娘は衝立で囲われた「女性専用」コーナーへ。焼津は昔ながらの健康センターで、一癖も二癖もありそうな中高年が多く「港のおじさん」臭い。「天恵の湯」は若いカップルが多く、施設もきれい。プールや露天風呂の数が多くて楽しめる。両施設とも、テレビ付き寝椅子が設置されており、各々オリンピックなどを楽しんでいた。
「天恵の湯」では、仮眠室に通常ベットとテレビ付き寝椅子が両方ある。ちょうど2つ並んで空いている席があり、娘が「ママとそこでテレビを見たい」と言ったが、隣でいびきをかいて眠っている男性がおり煩かったため、「こちらで寝なさい」と女性専用コーナーへ連れて行く。しかしどうしても寝椅子でテレビを見たいと言い張るので、仕方なく再び席に行き、イビキーを睨みつけて大きな声で、「この席は、いびきが煩くて眠れないから嫌なの」と言うと、一瞬でイビキーは目を覚まし、寝ぼけた顔のまま私を見上げると、すごすごと外に出ていってしまった。以後、いびきを聞く事がなかったので、おそらくイビキーは廊下かどこかで一晩過ごしたのだろう。「静かになったね。ゆっくりテレビを見ようね。」と娘に毛布をかけてやると、「ママ、こわっ。」 娘が就寝した後、廊下で梶井基次郎の文庫を読む。

絵になっているではないか・・・(泣)。

2008年08月31日 | 8月写真館
富士サファリパークに連れて行ってやろうと思ったが、何でも誕生月は入園料が無料になるとのことなので、娘に来年の5月まで待つように言い含める。次候補であった「富士山こどもの国」は、偶然、県民の日のため入場料が無料であった。水遊び場あり、アスレチックあり、馬あり、ヤギありで娘は大満足。

ハイジはありえない。

2008年08月31日 | 8月写真館
順番待ちでヤギの散歩をさせてもらえた。ヤギというのは、柵の内側にいると、餌を求めてメエメエと寄ってきてかわいいが、ひとたび外に出ていつでも草を食べられる状態となると、まるで自分本位な動物である。(当り前であるが・・)。ぐいぐいと綱を引っ張り、こちらが散歩されている状態である。娘が綱を、私が糞用の塵取りと箒を持って歩かされたが、とうとう娘が音を上げたので役割交代。我々の動揺を見抜き、すっかり態度が大きくなったヤギは友達のヤギのところまで突き進み、一歩も動かなくなってしまった。ヤギ友は木につながれていたが、その木を巡って追いかけっこが始まったため、綱を持っているこちらはどんどん木に巻かれていき、とうとう木に縛られた格好となってしまった。見物人の失笑を買う中、勝ち誇った二頭は、人の足元に糞をぼとぼとと落としてとどめを刺した。今回わかったことは、ヨハンナシュピリ著「アルプスのハイジ」は幻想小説である。

日本人をやめたくなった。

2008年08月31日 | 8月写真館
間抜けとはこのこと。こどもの国はパンフレットを見ると、富士山をバックにしている。しかしこの日、見えている山で一番高いものは、この山しかなかった。どうもパンフレットの写真と方角が違うような気はしたが、この山を富士と判断するしかなかった。この日は昼間とても良い天気だったので、富士山が見えないなどとは考えられなかったのである。何だか筑波山よりショボいが、近くで見ると富士もこんなものかと納得し、この山を背景に何枚も写真を撮った。帰る時に気付いたが、入口に富士山と示した矢印があり、この山とは逆方向を指していた。白い空の向こうに富士が隠れていたらしい。天下の富士がもったいをつけたことをするものである。夕方から大雨となり、そこでようやく天気を読めなかったことがわかったが、あれほど完璧に姿を隠すものとは知らなかった。それにしても一抹の懐疑は残っていたので、この山を指して「富士山」と口に出さなかったことはせめてもの救いであった。
こどもの国にはパオがあり、寝袋も貸してもらえる。パンフレットによると、それこそ目の前にどかんと富士山が見られる。次回、完全に天気が保証されている状態で、再び訪れてみたい。

SAからの富士

2008年08月31日 | 8月写真館
結局旅行中、富士山を見られたのは、日本平のSAからのみであった。
「天恵の湯」からは露天風呂につかりながら富士山を見られるはずであったが、翌日は朝から曇天で、真っ白に霧がかかった状態であったため富士も見られず、また小富士に登る予定も諦めざるを得なかった。「天恵の湯」のパソコンから近辺の子供の遊び場を探し出し、御殿場の「ふれあいプール玉穂」へ。大人500円という安い料金の割りに、25mプールや子供プール、各種ジャクジーに、ウォーターライダーまで備えている。水深3メートルの深水浴プールは透明の水槽になっており、外から眺められるようになっている。温水プールのためオールシーズン対応。泳ぎながら、歩きながら心と体の健康づくりができる。(だんだんパンフレットの引用になってきた。)2階の食堂で、焼肉定食と焼きそばを注文。「盛り」が良いし、食べながら下のプールを眺められるのでこちらの食堂も気に入った。

そのまま一般道を走って帰ってきたのだが、今回の旅は、本当にリラックスできた良い旅行であった。
夫は電気情報の信者である。信者というより、もう頭がPCの電気回路に組み込まれてしまっている。ひとたび旅行となると、全てパソコンからの情報を駆使し、プリントアウトした膨大な割引券やら案内書やらを持ち歩き、いかに少ない時間で多くの箇所をまわるか、いかに少ない金額で名物に投資するかに自分の存在意義の全てをかける。うっかりとジュースの1本も飲もうものなら、「あんたがあそこでジュースを飲んだばかりに、どこそこの何とか鍋の無料配布に間に合わなかった。あんなジュースはどこでも飲めるのに何とか鍋はここでしか食べられん!」。と丸半日しつこく責めたてられる。そのしつこさを自分の人生に活かしてくれれば、今頃どこぞの教授にでもなっていて、こんな貧乏生活しなくても良かったと思うが、ともかくも煩くてかなわない。しかし、今回の旅行では、喉が渇けばコンビニに入ってジュースを買って一休み。名物でなくてもその時食べたいものを食べ、時間を気にせず景色を眺めていられる、本当に素晴らしい旅行であった。

さて、夫も翌日には帰宅。旅行カバンからは、いつものように石やらお菓子の空き袋やらと一緒にくしゃくしゃになったパンフレットが出てきたが(中学生くらいの息子を持ったような気分である)、どうやら鈍行列車で大阪まで行き、そこからフェリーで九州へ、再び、鈍行で山口から新潟、信州、と周って帰ってきた様子である。憔悴した顔で、ものも言わず憮然としたまま、「これ洗っておいて」と差し出してきたのは、横川駅と書いてある弁当の釜であった。傷つきながらも名物だけはちゃんと食べ歩いてきている夫にちょっとズッコケたが、それにしても富士山まで行って、夕食に健康センターでカレーを食べたことがわかったら、それこそ落胆のあまり寝込んでしまうだろうなと、おかしくて仕方なかったことであった。