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ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧千畑町畑屋を往く-4(その6、終)

2022年08月26日 | 旧千畑町を往く

<歩いたところのH28年の航空写真>


●歩いた日:2022年7月14日(木)

●歩いた所

 ・中野:砂館、打上、寺田、内城、外城

 ・金沢東根:柳田、蛭川、川原田

 ・千屋(旧千畑町千屋):下相野

●歩いたログ(足跡)(道のり5.0km)

 

(以上の地図:国土地理院)

 (📷018の地点で)県道の方に目を向ける。

(「下相野」付近の「県道11号」)

 橋の南は旧「千畑町」の「畑屋」であるが、県道沿いに家が建ち並ぶ橋の北側は旧「千畑町千屋」の属する「下相野」である。この先少し車を走らせると「美郷町役場」がある。

 「鞠子川橋」の歩行者用の橋を渡って県道を横断し、車に戻る。

 最後にいつものように航空写真をご覧いただく。まずはH28年の写真。


 黄色の線が歩いた道筋。左上に「鞠子川橋」が写り、「P」が車を停めた場所。

 「県道11号」と記入した辺りの田んぼ一帯には、現在、何十棟ものハウスが建っているが、H28年当時は一面の田んぼでハウスは建っていない。

 赤紫色の➡は、県道から「八幡神社」への入口として神社名が刻まれた石柱が立つ位置である。現在は、すぐ北の、ハウス脇を通る道が入口のように見えるが、昔の写真を見るとその道はなく、➡から神社に至る曲がりくねった道が、正式な?道であったことがわかる。

 「丸子川」の東側、本文の写真にあった昔の道跡を示した。後でS23年の写真でその道を確認してみたい。

 次にS51年の写真。

 中央下端の辺りをのぞいて田んぼの区画整理が終わっている(その後、大区画化は進められたが)ので、道筋も現在とほとんど同じである。
 ただ、ピンク色の線はその後に整備された現在の道筋である。「1」のところは、カギ型に直角に折れていたところを斜めにつないだのは車の通行の便を考えたものか。「2」のところは未整備であったため、現在は十字路の交差点が当時は三叉路になっている。

 三叉路から東に延びる道が「丸子川」を越える橋の位置に着目しておいてほしい。

 最後にS23年の写真。


 ほとんどの田んぼが未整備だが、右上の一帯はきれいに整備されている。整備されているところは当時の「千屋村」で、未整備のところは「畑屋村」である。「畑屋村」よりも「千屋村」の方がいち早く田んぼの整備に取り組んだように見えるが、そうとだけ言い切る訳にもいかないようだ。

 当時、「千屋村」を含めた「東山」(「奥羽山脈」)の麓の多くの地域は、水不足のため開田できず、大半は原野や畑地となっていた。一方、今回歩いた「畑屋」地域は「丸子川」が流れていることから、その水を利用して古い時期に開田されたと考えられる。川の西側一帯に広がる未整備の田んぼはそうした田んぼである。

 では、写真に写る「千屋村」のところはなぜ田んぼになっていて、しかもきれいに区画整理されていたのか。その背景には、「真昼岳」の山あいから流れ下る「赤倉川」の存在と、その水を貯留する「一丈木ため池」の造成があったと考えられる。

 ここでS23年の写真をもう一枚ご覧いただく。


 左下に「丸子川」と今回歩いた「蛭川」、「川原田」が写る。右上隅の方に「一丈木ため池」がのぞき、右上から左下に向かって流れ下るのが「赤倉川」である。

 「赤倉川」の上流では川の南側、下流では川の両岸が開田されているのに対し、その北側には畑や原野と思われる土地が広がっている。

 「一丈地ため池」は、調べると1938年(S13年)に竣工したとある。それ以前は、そんなに水量の多くない「赤倉川」沿いの一部や沢水を利用できる沢の出口付近だけが田んぼで、この地域の大半も畑か原野の状態だったはずである。

 ため池が完成することによって、「丸子川」の西側よりもだいぶ遅れてこの地域全体が開田されたことになったと考えられる。開田時期が遅く、計画的に行われたために、「丸子川」西側、早い時期に開田された「畑屋村」田んぼに先駆けて、きちんと区画された田んぼが作られることになった、というのが正確なところだろう。

 余談だが、右上に「旧千畑町千屋を往く-3」(2019.6.14~掲載)で歩いた「一丈木の松・杉並木」が写る。

 話を一枚目のS23年の写真に戻す。

 「丸子川」はまったく蛇行していない。ここからずっと下流の「高梨」辺りでは、激しく蛇行している姿が写っていた。ここは川沿いの木立もほとんど見えないことから、すでに改修されているのだろう。

 「県道11号」の赤紫色の➡が「八幡神社」の石柱が立つ道角である。見えにくいが、ここから曲がりくねった道が神社まで伸びており、ここが神社への入口であることがわかる。

 下の方、三叉路から「丸子川」に向かう道が大きく曲がりながら伸びている。川に突き当たった道は左右に伸びており、川には細い橋が二つ架かっている。ここになぜ二つの橋が架けられたのだろう。現在はその中間に橋が架かっている。

 本文の写真に写っている昔の道跡の場所を、この写真に示してみた。今はない昔の道筋をたどるのは面白い。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:535.9km)

 緑の線が今回歩いた道筋。

 次回からも「丸子川」沿いの地域で、今回のさらに上流のところを歩いた記事を掲載する予定です。


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