建築士の制度が創設され、創業者福山武雄が一級建築士の資格を取得。試験ではなく実務経験によるもの。
以下、ウィキペディアよりの引用。
建築士法は1950年(昭和25年)7月より施行されたが、一級建築士及び二級建築士に関する規定の施行は1951年(昭和26年)7月とされた(法附則第1項)。法施行以前から建築士の業務を行っていた者については、一級建築士については建設大臣、二級建築士については都道府県知事により、それまでの学歴及び実務経験による選考が行われ(法附則第2項、第3項)、23,000人の一級建築士と38,000人の二級建築士が合格とされた[6]。
建築士に関する逸話として、しばしば「(一級)建築士第1号は田中角栄(元首相)だ」といわれることがあるが、これは誤りである。田中が、「建築士法を議員立法として引き受け成立させた功で一級建築士資格をもらった」との邪推からくる誤解といっていい。確かに田中は、彼自身最初の議員立法として同法の提案者となり、法制定後、「(自分も)一級建築士にしておいてくれ」と秘書を通じて語ったとされる。しかしながら、田中の実務経験は土木が中心だったため、当時の建設省担当者たちが苦心して建築の経験を拾い上げて資格を授与させた、というのが正しい。それでも、選考の途中では田中を第1号とする方向で進められたこともあったらしいが、最終的には極めて事務的に決められ(当時の選考担当者の証言)、山形県在住者の渋江菊蔵が第1号となった。ただし、同法の成立を実質的に牽引した、時の建設省建築指導課長・内藤亮一すら、のちに「田中角栄が一級建築士第1号」と語っており、そのせいで誤解が定着してしまった可能性がある[6]。なお、田中の実際の番号は第16,989号である[7]。
丹下健三など戦前より活躍した著名な設計者が一級建築士資格を持たなかったといわれることもあるが、これもおおよそ誤りで、丹下のように法制定時すでに建築に関する実務経験を有していた者たちは、たいてい試験を経ることなく選考によって資格を得ている(丹下の登録番号は15,182)[6]。