「『辞表』を持って来い。」(7)(愚か者の回想二)
(「『辞表』を持って来い。」はファンタジーです。実在する個人及び団体とは一切関係ありません。)
7.5月のお祭は無事終わった。学生諸氏の評判も良かった。「センセイ、けっこうやるじゃねぇ~か。」という声に感動した。知り合いが増えた。私を紹介してくれる人もいた。
「こいつ知ってかぁ~?」
「しってっどぅ~、今度来た大学の先生だっぺ。ミコシバカだぁ~。」(笑)
渡御後、M宮の祭礼実行委員会の鉢洗いにもよばれ美酒を堪能した。めまぐるしく周囲の環境が変化していった。紹介されるのは大変嬉しく有り難い。ちなみに、皆、すごい迫力で慣れるのに時間がかかった。これがこの町の文化だということが分かるにはもう少し時間が必要だった。
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あのときの専務のおかげで知り合いはさらに増えた。この町で最も大きなお祭。それは、利根川が太平洋にそそぐ河口付近に位置するK神社の祭礼だ。
これまでに見たことも無い巨大な御神輿だ。「大きいですねぇ~。」と感嘆したところ、「これはちっちぇえ方だ。」と専務。そして、もう一基の御神輿を神輿庫に見に行った。大きい。実に大きい。いずれも浅子周慶作。鳳凰の両の羽が大きく前にせり出しているのが特徴だ。立派だ。
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この祭りの御神輿渡御では途中一部、御神輿を大型トラックにお載せする。祭礼の日が旧暦6月15日の大潮の日と決まっているので曜日に関係なく斎行される。したがって、多くの場合、祭礼は平日となる。
朝6時30分の宮出しには百人以上が集まる。だが、平日はそれぞれ仕事があるので宮出しが終わると担ぎ手は減る。夕方5時30分頃の宮入まで続く渡御である。どれほど屈強で御神輿好きでも、人には限界がある。やむをえずトラック渡御となる。トラックにはしめ縄が張られている。
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その大型トラックが近づいてきた。進路を妨げないように避けるとさらにこちらに近づいてきた。
「おぉ~、先生よぉ~、乗ってけよぉ~。」と呼ぶ声がした。助手席から知り合ったばかりの會の会長が私をよんだ。
トラックに乗る。運転しているのは別の會の会長だ。
「俺のダチだ。おぼえといてな。」
「先生だ、知ってっぺ。」
「おぉ、ミコシバカだっぺ。」(笑)
また一つ、知り合いの會が増えた。この年の大潮祭が終わる頃にはほぼ全ての會の会長を知ることとなった。有り難い。こうして増えた神輿仲間が私を助けてくれることになる。
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そんな愉快で有り難い日々が続くなか事件が起きた。
食中毒である。
はじめ、大学の保健センターに、「吐き気がする」、「熱っぽい」と訴える学生が来た。すぐにその数は増えた。異常に気付いた担当職員が学生部の職員に連絡した。ところが、職員の中にも、そして教員の中にも同じ症状を訴えるものがいた。
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敏腕ぞろいの職員である。あるものは上層部に指示を求め、あるものは直ちに学内一斉放送を使って「体調の悪いものは申し出るように。」と告げた。
さらに、不調を訴えて来た学生に「下校した仲間に連絡を取ってくれ。」と指示を飛ばした。最良の判断だ。案の定、自宅アパートで不調となり困惑している学生諸氏が少なくなかった。
続けて敏腕職員はそうした学生諸氏に学校へ来るよう指示を出した。これ以上は無いと言ってよいほど的確な判断と指示であった、と私は今もそう思っている。
しかし、このとき上層部からは一切指示が無かった。理由を後から知りすこぶる腹が立った。
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食中毒の原因は大学の食堂のメニュー「さんまのミンチハンバーグ」であった。不幸中の幸いというか、重症者はいなかった。
ところが、この事態について大学当局の説明が無い。翌日になっても無い。「このままでいいんですか。」というある教員のメールが回ってきた。良いはずはない。このメールに応える仕方で、大学当局に対応を照会した。しかし、反応は無かった。
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この種の事案は初動対応が重要だ。保健所の指摘を待てば大学の信用を失う。当然、不調を訴えた学生諸氏の中には保護者に連絡をしたものもいるはずだ。外からの指摘で動くのではなく第一報を大学から出すのが本来の姿だと私は確信しその旨を全教職員宛メールで発信し続けた。もちろん、本来の名宛人は責任者である。
メールの内容は、現状を逐次学生諸氏の保護者へ報告すべきだというものだ。故郷では保護者が大変心配しているはずだからだ。併せて、報道機関へも発信すべきだろう、早晩知れ渡ることなのだから。
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ところが、あるときメールを打った直後に広報部の責任者が私の研究室へやってきた。
「やめてくれませんか。」これが第一声だった。
「名宛人はあなた方ではありません。あなた方へ発信しているのは発信記録を残すためです。分かりますか。」
責任者は私の言葉に納得した。
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これは教員である私にしかできない。
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学内宛にメールを打ちながら、これと並行して事実関係の確認もした。
さんまのミンチによる食中毒について私には知識が皆無であった。そこで、神輿仲間の漁師と加工工場の知合いに話を聞いた。
「あぁ、あれね。たまにあたるんだよね。一晩苦しめば終わります。」実に軽い返事が漁師から帰ってきた。
「あれはねぇ~、調理するときの温度なんですよ。20℃を超えるとヤバいっすよ。皮と身の隙間にいるやつが20℃を超えると繁殖するんですよ。」と、加工工場の知合いが教えてくれた。
原因と症状がわかった。
なるほどそうか。重症には至らない。まず一安心だ。これを私の講義に出ている学生諸氏に伝えた。優秀な学生諸氏はこれを体調を崩した他の学生たちに伝えた。このようにしてほぼ全ての学生諸氏に原因と症状と回復までの時間が伝わった。
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その日の翌日だっただろうか、メールボックスに不審な文書が投げ込まれていた。その文書は私だけでなく全教員に配布されていた。
「本学を廃校に追い込もうとしている輩がいる。直ちに名乗り出るように。」という趣旨の文書であった。日付も作成者名も宛名も無い怪文書であった。
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ほどなく、最初に本件に付いて発言した同僚教員から「ヤバいですよ。」とメールが入った。丁寧に謝意を述べた後、「日付も作成者名も宛名も無い怪文書が出回っていますね。発信者は誰なのでしょうか。」という趣旨のメールを発信した。
その後しばらくして学長名で、「本件に付いては今後一週間いかなる発言、発信、コメントもしてはならない。」という趣旨のメールが回った。翌日、この地域を管轄する保健所から集団食中毒発生の公報が発せられた。
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学内では、本件発生直後に現場で体調不良の学生諸氏の対応をし、全学放送で体調不良者に出頭を喚起するなど神対応をした敏腕職員が、「事態を無用に拡大した」として注意処分を受けた。
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本件の当事者発表が遅滞した理由は当日の上層部の行動にあった。「中央からの客」の接待があり事態対応ができなかったということであった。上層部に属する人とは誰だったのだろうか。「中央からの客」とは誰だったのだろうか。探ってみるとおもしろいかもしれない。
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私が当事者発表を強く求めた理由は複数ある。理念的なことよりは現実の問題があった。
さんまのミンチが扱いを誤ると食中毒を起こすことはこの町では広く知られている事実だった。しかし、問題はどの段階で原因物質が繁殖したかだ。冷凍前に繁殖していれば適正温度で解凍して調理しても食中毒を起こす危険は残るという。他方、安全に冷凍されたにもかかわらず調理場の温度が適正温度を超えていれば原因物質は繁殖する。事情を知るものはどちらが責任を負うべきなのか見えて来る。食材を卸す側と調理に当たるものとの責任問題に発展する危険がある。これは当事者である大学が早い段階で明確な事実を公表する義務を負うべき状況だった。
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あの日、調理場の室温は適正温度を超えていた。経費節減のため調理場の空調設備の設定温度は適正温度より高くすることが業者に求められていた。(つづく)
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