退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
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先生との出会い(21)―しかし、車体の状態を見て覚せいした。―(愚か者の回想四)

2020年11月28日 20時12分50秒 | 日記

先生との出会い(21)―しかし、車体の状態を見て覚せいした。―(愚か者の回想四)

 川越街道を上り環状七号線を右折して内回りに入る。

 途中まではプールへ行くときいつも通る道だ。

 だが、国道20号線には入らず直進した。

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 何時頃着いたか記憶が無い。

 あらかじめ大家さんには話をしてあったので荷物を運び入れ施錠し、再びトラックに乗った。

 来た道を引き返す。

 今度は実家に至る道を途中で外れ後輩の工場へ向かった。

 暗くなっていた。

 指定された場所にトラックを置きSRに乗り換えた。

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 今度は妻を彼女の自宅へ送る。夜が遅いのは普通であったが今日はずいぶん遅くなった。

 アパートに戻ったのは何時頃だっただろうか。SRは、たまたま空いていた下の駐車場に入れた。後日とんでもないことが起きるがこの日は何も考えなかった。

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 部屋は中二階にある。

 階段を3分の2くらい上がると部屋が二つ。

 さらに左にUターンするように上がると少し長い廊下がありその両側に部屋が数個。

 突き当りが共同の水道。

 そして便所。

 私が借りた部屋は中二階の左側。

 右奥には別の人が住んでいた。

 後日、厄介なことになる。

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 部屋に入った。少しかび臭い。当然だろう。窓を開ける。

 大家さんと棟続きなので大家さんの台所の明かりが見えた。

 天井から下がっている裸電球のスイッチを入れた。

 あまり明るくはならなかった。急に寂しくなった。

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 カセットラジオも持って来た。

 この時間はいつも自宅で深夜放送を聴いていた。

 ラジオをつけた。

 「ラジオでこんばんわ」という番組をやっていた。

 いつもの声だ。表現のしようのない気持ちになった。

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 この頃、ラジオをつけると決まって甲斐バンドの「裏切りの街角」や「かりそめのスウィング」が流れていた。

 それを聴きながら、布団にくるまり益々増してくる寂しさをこらえて眠った。

 一人暮らし初日の夜はこんなふうだった。1974年の暮頃だったと記憶している。

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 早朝、「Hさ~ん!」と大家さんが台所から声を掛けてくれた。

 あの駐車場は別の人が使うので早朝には出さなければならない。

 出すとは言っても出した車を置くところが無い。

 やむを得ず、建物の裏の空き地に置くことにした。

 だが、そこへ至る道が非常に狭い。おかげでずいぶん狭路通過の技術が上がった。ような気がした。

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 事件はそれから数日後に起きた。

 いつものように「Hさ~ん!」の声が掛かったので半分眠っているような状態でSRの所まで来た。

 しかし、車体の状態を見て覚せいした。

 ドアからボンネットからトランクまでそこいらじゅうに線を引いたようなキズがつけられていた。

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 購入先のディーラーが遠くはなかったのでとにかく持ち込んだ。

 「子供のイタズラですね。」

 応対してくれたFさんが傷を見てすぐ言った。

 「路駐ですか?」

 「いや、アパートの車庫です。」

 「心当たりは?」

 「・・・」

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 そうか、と気づいた。たしかに子供だ。

 だが、追及はできない。証拠も無い。否、そんな事よりその子供達の様子が心配になった。

 なぜか小さな怒りは消えていた。

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 不快だったのだろう。自分の父親がいつも使っていた駐車場に突如知らない車が停まっている。

 おそらく、折に触れ父親が不平を言っていたに違いない。いや、それだけではあるまい。

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 その男性は既婚者だった。だが、その時は一人だった。子供は二人いた。いちばん母親を必要とする時期に母親がいなかった。

 毎晩、電話で難しい話をしている声が聞こえた。なにせベニヤ一枚で仕切られた部屋なのだから。

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 どうやら母親は別の男性と一緒にいるらしく、その別の男性と毎晩難しい話をしているようだった。怒鳴るような声も聞こえた。

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 子供たちのたまったストレスが見慣れぬ自動車に向けられ爆発したのだろう。かわいそうだと感じた。

 そして電話の内容からその家族の様子が手に取るように分かった。

 問題は、その日から毎日、SRをあの狭路を通る裏の空き地に停めなければならない事だけだった。

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 引っ越した翌日からは、某区のプールには定刻よりずいぶん早く到着することができた。

 以前、私が遅刻すると壁の時計を眺め、ニヤニヤしながら私を見ていた後輩が、今度は私の後から控室に入って来るようになった。

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 このプールは25m。水深は最も深いところでも1.2m程度。

 ただし、水深90cmほどの子供プールがあった。

 こういうプールの監視は非常に難しい。入場者自身が水の怖さを自覚していないからだ。

 一緒に元のプールから移ったWは一所懸命監視体制の要綱をつくっていた。だが、難しく考えずとも役割分担はすぐに決まった。

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 役所が開設時に採用したライフガード達がたいそういい加減だった。その為、すでに勤務に就いていた後輩が私達を呼び寄せたのだった。

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 バカバカしいことだが先にいたチームは私達と激しく対立し、やがて一触即発の事態に発展した。(つづく)

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。



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