退屈男の愚痴三昧

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先生との出会い(29)― 電流窃盗 ―(愚か者の回想四)

2021年01月13日 19時14分27秒 | 日記

 後期も前期同様、勉強漬けの日々が続いた。勉強がしたくて大学に入り、勉強を続けたくて大学院に入った凡庸な私にとって、大学院初年度の日々は、新鮮で、刺激的だった。

 他方、質的にも、量的にも、時間的にも非常に厳しい日々の繰り返しであったが想像を超えて楽しく充実した一年だった。

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 二年生になった。去年の大忙しの日々が嘘のように時間にゆとりができた。一年生が教材を分担して報告するので私達上級生は座っているだけになった。

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 だが、「座っているだけ」という認識は甘かった。Si先生のゼミでは一年生が一文の報告を終えると、すぐに「H君、今の訳でいいかな。」とお声がかかる。

 一年生の報告の正否を質問されるのである。自分が一年生のときは無我夢中だったので全く気付かなかったが、思い起こすと自分が報告した後、先輩と先生とが何やら言葉を交わしていたことがあった。

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 「H君、今の訳でいいかな。」という質問に答えるのは大変だった。自分が報告する方がはるかに楽だったと実感した。

 なぜならば、私が「はい、いいと思います。」と答えると間髪入れず別の上級生が「そうですか?」と疑問を差し挟む。

 私が「いや、違うかなぁ~。」と言うと、「では、先輩のご見解を伺いましょう。」というSi先生の声で下級生だけでなく全員の目が私に向けられる。「いやいや、まいった、まいった。」といつも腹の中で呟いていた。

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 そんなわけで、Si先生のゼミの予習にかける時間は一年生のときとあまり変わらなかった。「変わらなかった」というより、予習の重点が大きく変わったという方が正しい。

 一年生のときは、とにかく横のもの(ドイツ語)を縦(日本語)にすることが先決だった。何と言っても、自分が発言しなければゼミが進まなかったからだ。

 これに対して、二年生になると一年生が横にしたものの正否と背景について発言しなければならなかった。

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 私が専攻した刑事法は罪と罰の関係を規律する法を扱う。しかし、条文を知っていればそれでどうにかなるという代物ではまったくない。

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 日本法においてもその難しさは容易に例示できる。長くなるが簡単な例を上げてみよう。

 誰でも「泥棒」という言葉は知っている。泥棒を罰する規定は刑法という法律の第235条に窃盗罪という罪として規定されている。

 窃盗罪という罪名を知る人も少なくはない。しかし、第235条という条文番号に至ると知っている人は激減する。

 この条文には「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」と書いてある。ここまで来ると法律の専門的訓練を受けた人でないと、知っている人は希ではないだろうか。

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 さて、この条文を知っていれば泥棒を捕まえて処理できるだろうか。まず、容易に気づくことだが刑罰に幅があり過ぎる。これでは扱いようがない。

 次に「財物」って何だ、という疑問が生じる。刑法を学ぶとすぐに紹介される電流窃盗事件というものがある。これは電力の供給契約が切れた後も料金を払わずに電気を使い続けた人について電流の窃盗だと電力会社が主張したものである。元々、契約もせずに勝手に使用した者も同じ罪に問われた事がある。

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 今の刑法典の前の旧刑法典の条文が適用された事件だが、行為当時の旧刑法典にも「財物」という文字が使われていた。ところが、刑法典には「財物」に関する定義が無かった。今も無い。

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 そこで、被告人は民法の定義を持ち出した。現在の民法85条には「この法律において『物』とは、有体物をいう。」と規定されている(ちなみに、『』は私が付けた。)。

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 条文の文字の並びは当時とほとんど変わらない。この規定を根拠に、被告人(側弁護人)は「『物』とは有体物だ。」と主張した。有体物とは形があり、目で見ることができ、手で触ることができるものという趣旨である。

 この点を重視すれば電流は有体物ではないことになる。有体物でなければ電流を勝手に使っても、少なくとも窃盗罪にはならないという理屈になる。

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 しかし、裁判所は「刑事裁判に民法の定義を持ち込むのは妥当ではない。」として、いとも簡単にこの理屈を退けた。~~~

 被告人は「この法律において物とは有体物をいう」という文字列の内、「物とは有体物をいう」という部分を拠り所とした。だが、裁判所は、「条文は途中から読むな」と言ったかどうか定かではないが、「この法律において物とは、有体物をいう。」という文字列の「この法律において」という部分を無視した被告人の解釈を誤りだと断じたのである。これは至極もっともだ。

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 しかし、被告人の主張を退けたとしてもそれだけでは被告人を有罪とすることはできない。被告人の有罪を積極的に論証しなければならない。(つづく)

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。