SEXTUS barbaroi-gambado 照深坊さんの遊行記録

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玉卵洞の治癒力

2016-08-28 | ソラチュアの旅日記
八代市は、現在9割くらいの土地が干拓で占められている。

つまり、昔は「ガタ」と言われる干潟で人が住める場所ではなかった。

大きな船も停泊できない様な遠浅の干潟で葦が茂る不毛の地だった。

大和の神話の舞台となった「熊襲討伐、八俣の大蛇」などの舞台になったとも言われる場所だ。

八代市を南に向かうと葦北と言われる地方になるわけだが、小さいころは葦北の南に葦原があったんだと思っていた。

でも、どう考えても葦原は八代の海岸で…。

時は人の表現まで変えるのだ、つまり「葦北」とは「「葦原」が北に在る地域」と言う事になる。

そんな風で、王卵洞の言い伝えも変だと言う方向に向かう。

古麓町の小高い丘に王卵洞の石碑が建てられているわけだが、「洞窟は丘の上にはないだろ」的な疑問が最初に浮かんでくる。

なんせ、弘法大使と一緒に帰って来た「清流権現」様を復活させた洞窟が在った場所なんでその歴史は古すぎる。

「征西府」とか「妙見さん」とかより五百年・千年単位で古い訳だ。

で、この石碑。

この丘の「たしかここら辺の」洞窟が「そうなんじゃないの」的に建てられた物だと思う昨今だよ。

結構壊滅的な地震が起こっている場所でもある、麦島城とかは一回の地震で壊滅したとされている。

今この丘の周りには、御陵・中宮・お寺跡など様々な状態になっている。

そして、九州自動車道・九州新幹線がトンネルを作るなどして昔の面影を探るなど不可能な状態になっている、

つまり、「あるかもしれないがあそこではないだろ」と言う結論に達した。

不可解な積み十字を刻んだ石の理由もなんとなく理解できる。

私はこの文章を自らの力で書いているわけだが、たぶん私だけが玉卵洞を見つける事ができる。

あの石を置いた方は「王卵洞の治癒力」を私より先に欲しがったのだ。

時間を超えても欲しいモノであることに、数々の疑問が解けてゆく。

でも、近くに居るだけで効果はありそうだけどね。





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