たろ,はな&もみじの散歩道

たろはなもみじの愛犬日記。プリザーブドフラワー!旅グルメ、オータカラヅカ!アロマ!我が街湯島界隈!

心療内科を選ぶ(1) (PDと共に生きて)

2005年05月21日 | PDパニック障害の克服
児島医師(日大板橋病院)とはそれから、8年ほどの付き合いとなった。
診断は、特に病名は付けず、不安感とうつ傾向とのこだった。
患者の事を考えて、この医者はあえて病名は付けないのかなと、自分なりに
理解していた。

最初は週に一度、少し安定してからは2週間に一度となった。診察は予約制で午前中に
病院に寄ってから会社に向かう日々が続いた。家から池袋駅まで約30分、バスに乗り
換えて20分は結構負担だったが、上司に理解があり、会社にも、持病の治療があるから
と伝え、特に何も聞かず、大目に見てくれていた。

初めて診察を受けた日から、抗不安薬と抗うつ剤が処方された。
その効果はてき面で、胃の不快感を取り除き、全身を覆っていた不安感からも解放され、
自分が肉体的にも精神的にも、元気が取り戻されて行くことが実感できた。
その頃から、以前からやっていたテニス、スキーやダンスや日舞の稽古も再開した。
「やってみたいと思ったら、薬を多めに服用してもいいから、思い切ってやったほうが
いいよ。」と言われ、不安だった泊りがけのテニスやスキーの旅行にも出掛けた。

予期不安という言葉がパニック障害にはつきものだが、何事もなく、テニスやスキーに
行って来れても、一回出来たからもう大丈夫ではないのが、この病気のやっかいなところだ。
毎回が勇気あるチャレンジなのだ。一度起きたパニック発作で、自分は死ぬのではないかと
思い、苦しさや不安や恐怖が、身体に染み付いていて、また発作が起きるのではないだろうか
という不安が、いつも着いて回るのだ。特に初めて起きた場所や同じ状態の所は鬼門だ。

初めての発作から10年あまりがたった。この頃には発作の起きる回数も減ってきたが、
日大での治療の成果もあり、時々起きることには変わらなかった。
この時々起こるというのが、いつも不安から逃れられず、知らず知らずに、うつに移行して
いくというのが、PDとうつが密接に関係している、一つの原因とも言える。
私はその頃には最初の発作の地下鉄にも乗れるようになり(発作は時々あったが)身内と
だったら、新幹線も乗ることが可能になった。また、ラッキーな事に自分の会社までの
地下鉄区間が2つというのも、長く会社を続けられた大きな要因でもある。

問題は飛行機だった。勇気を振り絞り、3時間で到着するサイパンへ妹と旅行をした。
何が嫌かというと、飛行機の密室に閉じ込められるのが怖かった。発作が起きても
外には出られない。緊張の為前日から胃の調子が悪くなり、胃薬を飲み、病院の薬は
胃にに悪いと思い、薬をあえて飲まなかったのだ。それが間違いの始まりだった。

暑いサイパンでは不安感が襲ってきて、海がキレイだなどと言ってる場合ではない。
私は殆どホテルの部屋にいることになる。じっとしていても動悸が激しく、発作を
起こしていまった。まったく食欲がないので、日系のホテルのレストランで3,000円もする、
お素麺を食べていた。早く帰りたい、そればかり考えていた。

妹にはほんとに悪いことをした。でも妹は私の状態をわかってくれていたので、とても
ありがたかった。他人とは迷惑をかけるから、旅行はできないと思った。
帰る日になって、私は病院の薬を思い切って飲んだ。そしたら、どうだろう、胃の不快感が
なくなったのだ。徐々に不安感もなくなり、笑顔が戻っていた。胃は病気で調子が悪い
のではなく、不安と緊張によるものだったのだ。帰りは普通に飛行機に乗って帰る事が
できた。その翌年はやはり不安はあったが、弟とシンガポールに旅行したが、何事もなく楽しめた。

20代から30代前半に渡り何をするにもパニック発作と隣あわせで生きてきた。
恋愛、結婚のこと、仕事のこと本当に沢山の出来事があったが、とても書ききれないので
ここでは触れないことにする。

この頃には、心療内科が世の中にも広がり、患者数がグッと増えていつも待たされるように
なっていた。大学病院では一人一人に掛ける時間にも限界があった。この頃になると
「如何ですか」と聞かれても「相変わらずです」がお決まりの答えになっていた。
先生も診察時間を減らし、その分臨床心理士に任せる事が多くなった。
カウンセリング、自律訓練法、腹式呼吸の練習、箱庭療法などなど、正直,全く
私には役に立っていなかった。

そんな頃、8年あまりお世話になった児島医師が開業することになり、日大病院を辞めることとなった。

つづく。。。



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6 コメント

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はじめまして (まみにゃん)
2005-05-21 22:38:47
岐阜県在住の主婦です。

以前、もう一つのブログにトラックバックしていただいたものです。トラックバックの意味がわからず、どうしようと思っていましたが、今日始めてブログを見せて頂いて、あぁ、わたしと同じなんだと思い、書き込みさせて頂きました。ライブドアのブログにPDと不安神経症について書いています。わたし達夫婦も、子供は授かりませんでした。これから、たびたび遊びに来させてください。

また、よければライブドアのブログの方に一度覗きに来てください。
返信する
医師に「会いに行く」 (えみりん)
2005-05-22 21:36:35
たろはなママさま

医師に「会いに行く」

私もまさにそんな感じで受診しています。

よい先生に巡り合うまでにいろんなご苦労、そして知識を得られたこと、尊敬いたします!

私もSSRIのお陰で随分楽になりましたが、特定の場所に行くと発作が起こります。

なにか行動を起こす前には必ず受診して医師に励ましてもらい、薬を飲んで準備整えてから行動を起こすようにしたので以前に比べたら発作が起こる回数も減ったように感じます。

つい先日の医師にも言われました。

きっと、必ず、以前の明るい私に戻ることができるんだから今はこのまま薬や受診に頼っていいんだよ、と。

完治は難しいかもしれない。

だけど、上手く病気と付き合って生きていくことはできますね。

あんまり無理しないでお互い頑張っていきましょうね
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PD (たろはなママ)
2005-05-24 18:12:57
まみにゃン様



かなりの方がPDなどの、病気を抱えている

人が多くいらっしゃり、驚いています。

やはり同じ経験をした人にしか、わからない

ことですから、こういうところでも、お話で

きるのは、心強いことですよね。

PDから移行するうつに苦しんでいる人も

多いようです。

またまみにゃん様のブログに遊びに行かせて

頂きますね。

返信する
頑張りましょう (たろはなママ)
2005-05-24 18:20:55
えみりん様



先生も精神安定剤のひとつでしょうか

薬を飲まないで、何も出来ないのと、薬を飲んで普通の生活ができるのは、副作用のリスクはゼロではありませんけど、後者を選んで

日々、元気に過ごしたいですよね。

私も発作は最近でませんが、うつに移行して

しまっているようで、時々うつに落ち込むときは、何もせずに薬を飲んで飽きるまで

寝ています



完治は諦めましたが、無理せず、普通に

過ごせれば良いかなっておもってます
返信する
じっくり読みました。 (かな)
2005-05-26 21:08:25
実は私も,パニック障害がありますが,7月に海外旅行を計画しています。

初めての発作が,飛行機に乗る直前だったこともあり,不安もありますが,行くことに決めました
返信する
気楽に頑張って (たろはなママ)
2005-05-27 06:33:36
PDだと乗り物はほんとに悩みですよね。

でも行くことに決めたかなさんは

ほんとに偉いです

海外に行くには飛行機に乗るしかないし。。私は死ぬわけじゃないんだからと、

自分に言い聞かせて薬を多めに飲んで

(医者のアドバイス)乗りました

13時間のヨーロッパも経験済みです。

絶対大丈夫です

PDをもっていて、人生を楽しむには

勇気が必要です!これでまた、一歩

前進ですよかなさん

私もかなさんと同じ乗り物で発作をおこし

ましたから、気持ちがよーくわかります。

私も大変でしたが、今はまったく平気に

なりましたから、勇気をだして、旅行

言ってきてくださいね
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