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Más vale prevenir que lamentar.

若松島  土井ノ浦教会

2013年10月05日 | 佐世保・五島・天草・熊本

土井ノ浦教会

 

かずおばんの家の智子さんの案内で「土井ノ浦教会」を訪れました。場所は、若松港から車で10分ほどの土井の浦集落の高台にあります。ライトグレーの尖塔を持つ白い綺麗な教会で、聖堂内部は三廊式、4分割リブヴォールト天井で重厚な造りでした。

 

明治25年に仮の教会が建てられたのち、大浦天主堂に次ぐ古い教会堂であった旧大曽教会堂を買い受けて大正7年に完成しました。現在の姿は昭和14年・平成10年に大改築が行われ、外観は新建材の壁にアルミサッシと近代的に見えますが、建替えではなく外部だけが改修されていて、アルミサッシの窓も以前から使われていたであろうステンドグラスを内部に取り付けてあります。

 

中に入ると祭壇の方を見る限り、近代化された外観を感じさせるものは見当たりません。内部には彫刻を施した柱など初期木造教会建築の名残りもうかがえます。先祖代々、祈りを捧げられた空間は、信者さん達によって大切に残され引き継がれています。



 かつて、慶長時代には土井ノ浦の隣の神部集落には180戸のキリシタン信者がいたそうですが、島原の乱に全員が従軍したまま誰も帰らなかったといいます。



カリスト殉教顕彰碑

 

寛永元(1624)年、五島藩はキリシタン弾圧を誇示するため伝道士カリストを若松近傍で処刑した。カリストは日向で生まれ、豊後・有馬地方で布教後、若松を根拠地として27年間伝道に努めキリシタンの父と慕われた。



キリシタン洞窟

若松港から瀬渡し船をチャーターして約15分、島の先端断崖絶壁に囲まれた岩場にその洞窟が有ります。船でしか行けない場所は昔も今も変っていない。
明治初期、厳しいキリシタン迫害、弾圧を逃れた信徒3家族が身を隠して住んでいた場所と伝えられている。


結果的には生活用の煙が立ち昇っているのに気付かれ、捕らえられ拷問を受け殉教した

者も居た。キリスト信者がこの地を訪問する時、そこは神秘的な力を感じる聖地である。地元の人々はこの洞窟を「福者の涙」=人は悲しい時だけ涙を流す訳ではない=と呼ぶ。

「誰がキリストの愛から私達を離させるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か、私達を愛して下さった方によって、私達はこれらすべての事において勝ち得て余りが在る
私達は確信する、死も生もどんな被造物も、私達の主イエスキリストにおける神の愛から、私達を引き離す事は出来ない」聖書

 

 

ルルド

 

  カトリック信者の巡礼地と知られる南フランス、ピレネー山脈の山麓にあるルルド。このルルドの洞窟で起った奇跡にちなんだ場所が、日本にも長崎を中心に点在しています。

 

世界中に再現された巡礼地ルルドで起きた奇跡とは?

 

  1858年(安政5)、ピレネー山脈の山麓にあるルルドのマッサビエルの洞窟で、羊飼いの少女・ベルナデッタの前に聖母マリアが現れ、マリア様のお告げどおりに、足元の土を掘ると洞窟前に清水が湧き出し、この霊泉で難病が治るなどという奇跡が起こった。この奇跡にあやかりその後世界各地でこのルルドを模倣し、聖母マリア像を収めた“ルルド”が造られるようになったのだ。つまり、本場のルルドは地名だが、日本では “奇跡の泉”や巡礼地の意を込めた固有名詞として使用されている。そんなルルドに設置された聖母マリア像には例外もあるが、ある共通点がある。ベルナデッタの前に現れた聖母マリアが、〈私は汚れなき孕(やど)りです〉といわれたことから、その時の聖母の姿、白いベールと服、そして青い帯の姿が〈無原罪の聖母〉として定着したのだ。


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