
1年ぶりに原発事故の被災地を訪れました。
毎日にように、ネットで被災地の記事をチェックしていますが、
「放射能の影響はほとんどなく、復興は着々と進んでいる。」
と思わせる内容が並んでいます。
復興事業で、ショッピングセンターが開業し、住宅が立ち並び、
海岸部には堤防が完成しソーラーパネルが並び、明るい表情の人々がインタビューに応えています。
はたしてそうなのか?
この1年間で、どれくらい変わったのか?
自分の目で見てみたい。そして伝えたいと思い、
2018年5月31日。常磐線の特急でいわき駅に降り立ち、
レンタカーを借り、R6を北へ。車を走らせました。
四倉の海岸線では、ほとんどの堤防が完成し、復興が順調に進み、
津波の傷跡は、あまり見えなくなっています。
事故前の生活が戻ったような広野町を通り、
楢葉町へと入ると状況が一変します。
楢葉町では、事故前の人口の4割超、3000以上が生活し、
小学校も昨年、6年ぶりに再開。
所々で、畑が耕されていたり、田植えが始まっていますが、
やはり目に付くのは、耕作放棄地と仮置き場。
町全体の様子はどうなのか?
町が見渡せる、天神岬スポーツ公園へ登ってみました。
やはり目立つのは、放射性物質を含んだ土などを詰め込んだフレコンバッグの山と、
放射性物質を含んだがれきを分別する施設・・・
福島第2原発近く、楢葉町北部の波倉には、仮設焼却(減容化)施設が稼働中。
やはり、復興はピンポイントでしか進んでいないようです。
原発事故被災地では、面で見るとほとんどの場所が、放射能の影響が酷いため放置され、
一方で、ピンポイントで完成した施設や堤防などや、
いつになるか分からない復興計画ばかりがメディアに取り上げられ、
福島県民でさえも浜通りの復興が順調に進んでいるように錯覚しているように見えます。
その姿は、さらにR6を北へ向かい、富岡・大熊・双葉の現状を見ると明らかになってきます。
楢葉富岡大熊双葉2018初夏
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