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ノブとキョン+2の日々

日頃の出来事を書いています。
楽しく過ごせたらいいなと思います。

西へ(その2)

2013年05月18日 | ノブ
一休みしてまた歩き始めました。

麦が色づいています。もうすぐ麦刈がはじまり
田植えの準備がはじまります。


大町町に入り
しばらく行くと 新たな街道の案内板が出てきました。


小田宿に到着


大庄屋中島家跡



小田宿の町並み




小田宿を西にあるくと古い楠がありまして、
シーボルトやケンペルの記録に残っている馬頭観音が彫刻されていたそうです。




とぼとぼ歩いて行くと 街道沿いに立派な家がありました。


重要文化財 土井家住宅


中はどうなっているのか?と思い障子の引き戸を開けたら
普通の人家で、おまけに犬にほえられました。
「失礼しました!」と声をあげ閉めました。すみませんでした。

北方町に入るとこのような街道の案内板になりました。
焼米宿というところ


追分 長崎街道塚崎道と長崎街道塩田道の追分

長崎街道塚崎道へ 塚崎は武雄のこと

案内板要所要所に建っており歩きやすい。


北方宿

本陣 (稗田家)立派な建物が残っており、人が住んでおられます。


九州自動車道 武雄北方ICの出入り口を横切り
高橋宿をぬけて
朝日小学校の校庭南側に武雄市内の街道の案内板があり


いよいよ塚崎宿(武雄)へ入って行きます。
閻魔大王の石像にご挨拶して


武雄市内の案内板。八並の石塔


武雄市内の街道


イベント広場「夢本陣」に到着

昔の地名は「柄崎」といったそうです。

脇本陣跡

ここには「蓬莱門」がありますが現在修復中です。

せっかくなので武雄温泉に浸かり汗を流してさっぱりして
JR武雄温泉駅から鳥栖に帰りました。

今日も足腰がガクガクなってしまいました。

西へ

2013年05月18日 | ノブ
旧長崎街道を西へ向かいます。
この前4月14日に田代宿から佐賀城下まで歩いた続き。

佐賀市内のこの前歩いたところからスタート
今日は何歩あるくかな?万歩計を確認して


佐賀市内の堀


細かい水路が引き込まれいます。


側溝の蓋に旅人の絵が書かれ長崎街道がわかりやすい。
この目印で長崎街道を歩く人や自転車の人とすれ違いながら


恵比寿様が街道沿いにおられ




石の道標




諫早へ


佐賀市内の旧街道は歩きやすい。


街道沿いの古い建物
良く見ると街道にそって斜めに建っています。
上からみると ノコギリの刃ののように建っているそうで
「ノコギリ型家並」と言うのだそうです。
敵が攻めてきたときに 建物を盾にして守るのだそうです。


天気も良くて まだ暑くなく順調に歩いていきます。

高橋 復元されたものだそうでう。




しばらく歩くと 別れの松がありました。

車で通ると気がつきません。
これより西に 森林公園の駐車場あたりが 嘉瀬刑場跡だそうです。

嘉瀬川を越えて

ここは 毎年行われるバルーン大会の会場です。

10時過ぎに久保田宿に到着 国道207号線を歩きます。


さらに歩いて牛津宿




牛津の赤レンガ館 寄ってみました。




倉庫だったそうです。

隣の牛津会館


また街道に戻り


恵比寿さん 3人組


牛津は津でもつ

船を利用して物資が集積されまた送りだされた場所だったそうです。


牛津大橋を渡って 向こうにはJR長崎本線が見えます。


街道には大黒様もおられました。


車で国道34号線を通る時「カンカン石」という案内板を目にしており
いつも何だろうと思ってました。
歩いてみてその場所がわかりました。


小石を拾って たたいてみると カンカンと金属音がしました。

なるほど・・・

まだまだ先は長いので ちょっと一休み。