「たにぬねの」のブログ

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texto_013;肚括らず、肝据えてなかったのは私_01.5

2006-07-07 09:16:43 | texto
texto_013は
”肚括らず、肝据えてなかったのは私”という副題で
texto_012に貼り付けました”肚括って、肝据える”(以下、肚肝)が
SFマガジン8月号(2006)のREADER'S STORY
でコメントを貰いました!、を記念して、
肚肝の周辺について舌足らずな独り言を延々と書いていきます。

というか、権利の獲得と行使について吠えたいだけです。
(↑といっても一部分)
などと書きながら発散の一途を辿っていますので書きながら公開してまいります。
とにかく、独り言です。
では↓。

一度あきらめたものが実はそうでないとうれしいものです。
(合理性に欠ける、、、。)
というのも私の勝手な計算では
肚肝が入選、若しくはコメントが頂戴できるとすれば
SFマガジン7月号(2006)と予測していたからです。

小さな奇跡を並べると
☆PVという表記がパーソナル・ビーグルであることを推し量っていただけたこと。
☆二人の初詣を12/25発売のSFマガジン2月号(2006)でコメントいただいていたこと。(もし、肚肝同様の時間運びであれば初詣に間に合わなかったことになり、略)
他(内緒)

肚肝を再読していただける方はここをクリック!texto_012にjump!


まずは”瀕死な状態で彼女”や”パメリア処置”について。
というか、なぜ、プライヴェートマシンで病院に行かなくてはいけないかである。

確かに
◇救急車の類の待ち時間+病院までの搬送時間>PVによる病院までの搬送時間

で、肚肝の男に疑問をもたれない方も多いかもしれない。
しかし、救急車にはそれなりの設備、専門家がいる(可能性のが高く)ので
◇救急車の類の待ち時間<PVによる病院までの搬送時間

であろうから一刻も争うという意味で男の選択はおかしい。
そう、だから、男は”応急処置”をして、”彼女の状態が分かる3Dスキャン映像を含めた情報”を向かう病院に送信していたのである。

ところで”応急処置”を施したということはこの男は救急隊や医師の類であったのだろうか。今回はショートということで特にこの男の仕事や経歴が特定しなくてもよい方針で書いている。すなわち、救急隊や医師の類であったてもいいが、そうでなくてもいい設定である。ただし、男には”応急処置”が出来る知識は持っていて貰わなくてはいけないのが書くに当たっての私の中の設定である。

付き合っている彼女は病気なのか怪我なのか限定はしていないが
彼女自身が自分の体について知っており、彼(恋人、夫、不倫相手?)も
そのことについて承知しているということだ。

さもなくば、今回の状況に陥ったこの男は
救急車(緊急PV)を呼び、任せるべきなのである。
従って、彼女も彼も今回のように大慌てをしなくてはいけなかったのは
突発性の出来事が起こったせいと考えられる。

ただ単に、郊外にハイキングに来たカップルを想定すると、
街中から離れていることもあり、体の調子が悪いときは
すぐ休める、薬を服用できる、応急処置が出来る、
パメリア処置が出来る施設、病院の位置が分かっている(決して遠くはない)
から大事のときは最小時間で駆けつけることが出来る。
↑この程度の準備はしているだろう。

だから、今回は
郊外でデートしていたときに、暴漢に襲われた、という設定だ。
そして、健康体の人が襲われるより、
少なくともそのときの彼女の身体状況のため、
より深刻な状態に陥ったということだ。

実はパメリア処置はちょっとした大きな病院では施せる治療のつもり。
だから、大概のケースは症状が出てからでも大事に至らずに済む行動・生活を
彼女はしていたはずで、彼もそれに準じている。

次に暴漢に襲われた原因であるが
◇三角関係、ストーカなど恋愛関係のこじれ
◇逃亡者、犯罪者に出くわす
など考えられるがここでは言及しません。

いずれにしろ、暴漢にナイフ、銃、ショックなどにより
普段の生活からは想定しにくい重症な状況にきわめて短時間で陥ったことにより、
想定範囲外で緊急にパメリア処置が必要になり、
意識不明の彼女に代わって男が奮闘するストーリが肚肝なのである。

また、PVやノードについて、一つの交通網の形として
SFらしく、しっかり書きたかった。
しかし、その役割を肚肝では負わせないことにした。
≒私自身の頭の中でも複数の可能性、組み合わせを残したまま、
最小公倍数の要素で話を進めていった。

以上まではストーリにあまり関わらない?設定であり、
肚肝で私が主題にしていることと範疇外の話である。

「どうして、PVを作っているメーカーは制限速度を遙かに上回る浮遊式PVを製造し、販売しているのですか。」
私は法定速度を(遥かに)上回る自家用車を購入し続けるでしょう。
それは現存する自動車メーカーがその様な車を製造・販売しているから
仕方なくではなく、ありがたくである。

速く走れるが自動車に乗るたびに速く走るわけではない。
必要ないかもしれないがそうではないかもしれない。
肚肝のような状況や速い速度を出す以外にアクセルを一杯に踏むことだってありうる。

権利の獲得は須らくすべきであるが
獲得した権利は常に行使すべきではない、現実に近い言い回しをすれば
権利の行使の乱用は下品な行為である。

自家用車で言えば
速い速度で走行できる車を持つことは権利の獲得なのである。
制限速度を越える走行は権利の行使である。
言うまでもなく、公道における制限速度を越える走行は権利の行使に当たらない。

話は繰り返し気味になるが
緊急時には高速な走行、アクセルを目一杯に踏み込みが必要な場合もあろう。
”仕方がない”だ。
ただ、注意点は”仕方がないから、よい”ではなく、
”仕方がなくても、悪いことは悪い”のである。ここら辺は後半で再び触れる。

「どうして、PVを作っているメーカーは制限速度を遙かに上回る浮遊式PVを製造し、販売しているのですか。」
に戻ろう。こういうことを考えるのも権利の獲得で、口に出すこと自体は決して下品な行使に当たらないだろう。

この発言の理由(背景)、前後(流れ)などが上品・下品に関わるかもしれない。下品な言い方をすれば、中途半端な正義感が見え隠れする場合は下品であろう。しかし、これを含め大事なことは、どれだけ考えた末の発言、行使であったかである。一つの方法論をあげれば、さまざまな立場で考えてものをいっていないか、一方の見方(まさに中途半端な正義感)で考え、発言していないかチェックすることである。

ここで、唄の歌詞にもなっている、
飛行機事故を知らせるニュースで自国(主に放送される国になる)の人が搭乗者にいるか否かをアナウンスについて考えてみよう。

正直、私も小さいながらこの手のアナウンスに対して違和感を感じていた。でも、多少色気づいた十代突入の頃だろう、同様なニュースを聴いたときに、シミュレートをした。どんな、原稿にすればよいかを。

このときに限らず、ズッと思っていたのは飛行機事故が起きたという事実だけを知らせる原稿である。しかし、そのときは、そこから先を考えることにしたのである。
飛行機事故が起きたという事実を最も知らなくてはならないのは誰であろうか?。
飛行機に乗っている方の関係者であろう。
お叱りを承知で書けば、限られた時間で優先されるべきは

同時間帯で飛行機に乗っている方の関係者の中で
事故が起きた飛行機より、事故が起きていない飛行機に乗っている方の
関係者かもしれない。
それは無事、若しくは無事だろうを知らせる、病気の判定において
陽性より多くの陰性を伝えるべき必要性だ(うまく言えない)。

乗っている方の関係者でも情報を優先されるべきは
お客さんの家族であろう。

以上を踏まえて、原稿を考える。
飛行機事故がありました(事実の報告)。
事故を起こした便の情報(事実の報告)。
この便には自国の人は~(世界中のどこかの飛行機のお客さんとして搭乗している人のご家族にとって参考になる情報)。

文体系がコロコロ変わってすみません。
このときから、私に分かっていることは
自分の国だけの安否を知らせる情報を聞いて違和感を持つ中途半端な正義感より、

まさに、そのとき家族や恋人など大事な人が飛行機に乗っている方が
非常に私的な観点から情報を欲し、これに応えるの報道の努めであることを
万人が認めるところであるということだ。

もちろん、地球規模のグローバル化は進み、十分ではないことはわかる。
でも、飛行機事故を知らせるニュースで自国(主に放送される国になる)の人が搭乗者にいるか否かをアナウンスは非常に妥当である、少なくとも現時点まではそうであると私は思う。

何か違和感を感じたときに、それを現す前に、その違和感の原因と
原因が分かったところで、違う立場でもう一度考え直す必要はないだろうか。

「どうして、自動車メーカーは制限速度を遙かに上回る自動車を製造し、販売しているのですか。」
という台詞(敢えて、こう書く!)をまさに成長のど真ん中にいる少年・少女たちに、自信満々に言わせる環境でよいのだろうか。
私はタバコを吸わない。それだけの話で、後はお願いをするだけだ。
命令や正当化ではありたくはない。
ただ、この文章自体も押し付けになりそうで怖い。

下品、上品という言葉を使ったが、
寛容さとあわせて、よく考える、敢えて違うものの見方する、
追い風に乗るときは必ず状況を確認する、といったことをいろんな方にお願いしたい。

「正直、この質問の背後にいる大人の中途半端な正義感が見え隠れして少なからず嫌悪感を覚える」
に込めた、私の勝手な思いである。
しかし、兵器や軍備のような負の財産(的確な表現ではないかもしれないがご勘弁)についてはどうであるか考えなくてはならない。

権利の獲得は須らくすべきであるが獲得した権利は常に行使すべきではない、
と書いた私であるが兵器や軍備、特に核兵器などを持つことを権利として
認めるのかと尋ねられると、即答できないのが私の考察レベルだ。

拡大すれば、交通事故を引き起こしかねない法定速度以上の
走行が可能な車も負とみることができ、
先に、私が非難した
「どうして、自動車メーカーは制限速度を遙かに上回る自動車を製造し、販売しているのですか。」
という言葉を発する気持ちも分からないではないのである。

卑怯な言い回しをすれば”言葉”であれば共感でき、
”台詞”であれば賛同しかねるのだ。
もっと卑怯な言い方をすれば
グレーゾーンをいいことに、やりたい放題やる;下品な振る舞い
グレーゾーンに対して慎重に対処する、後日、白黒がはっきりした場合は、または白黒が変わった場合は速やかにその結論に準ずる;上品な振る舞い
という、リトマス試験紙的な使い方であろうか?。

さて、いよいよ、肚肝の本論に当たる、
「どうして、人を殺してはいけないのか。」
である。実はこれについては皆さんでじっくり、深遠浅近で考えていただきたい。特にアカデミックというか制度、法整備、秩序的にどう考えるべきかをコメントするには私の知っていること、考える力はあまりにも足りないからだ。
チラッと触れれば平和の反対は戦争なのか?と感じている私がいるとだけ、書いておこう。

今回、大いに触れたいのは心情的にどうであるかだ。実はアカデミック、秩序的二回答を出せないと無差別殺人や戦争をとめる根拠が薄くなる可能性がある。
先に書いたとおり、兵器や軍備、特に核兵器などを持つことを権利として
認めるのかと尋ねられると、即答できないのが私の考察レベルだから、
賢い人達には私などあっさり、論破されてしまうだろう。

しかし、根拠が薄い、私が相手を論破できなくても、心情的にどうであるかを、いろんな方に考えていただければ、肚肝を書いたものからすれば十分である(気がする)。

みっともないが、先にフォローから書こう。肚肝の解釈しだいでは
覚悟があれば、殺人など何をしてもよいととられるかもしれない。決して、とのつもりはない。だから、
「そして、重い覚悟が気付かせる、人を犠牲にする覚悟などこの世に存在しないことに。だから、減速したのか?。」と書いた(予断であるが、軸策のネットワークぶりの表現したかった)。

何をするのにも相当の覚悟と、周囲に気を配る敏感さのセットを主張したかったのである。
◇チキンレースを気軽にしてはいけない、
◇意を決したものを感じとり、なだめよ
である。

ここであれこれ書くより、
肚肝で書いたとおりであるで済みそうだなぁ。


「覚悟を伴わない無差別殺人や戦争は言語道断である。」
と書いたが、決して言語道断なく、覚悟を伴われなかったら
気付きにくく、お互い不幸になる。
↑こんなこと書くと
「私、これから自殺するの」と誰かに伝える人を擁護しているみたいだなぁ。
そうではない、上記は覚悟の質がよくないからとだけ書こう。
というか、このテーマ、やっぱ難しい。

肚肝のタイトルは出来ることなら、あの名作と同様、
”覚悟のススメ”としたい位だ。
何事をするにも覚悟がなくてはいけない、いってみれば、
書きたかったことはこれだけだ。

覚悟のススメを引用するば、あっという間にすっきりした。
さすが、覚悟のススメ

結論、何をするときもそのことに対する覚悟の程を確認してください。
勿論、大した覚悟がなくてもやっていいことがありますよ。それを確認しましょうってこと。または、大した覚悟をしなくてもよいことでも、大した覚悟をする、というのもよいのでは。

今からしようとしていることは、あなたの利益になればよいレベルなのか、
あなたを含めた全体に利益になればよいレベルなのか、
あなた以外の全体に利益になればよいレベルなのか、などなど。

覚悟するということは、評価を一切気にしないことといってもよいかもしれません。あなた以外の全体に利益になればよいレベルのこと側を実践して、評価されなくてもよい覚悟がなければなりません。評価を望むのであれば、
あなたの利益になればよいレベル
なのですから。

これについては、ここでやめ!。独り言だからいいや。

「俺は警察に呼び出されることなく、出頭する。警察官は淡々と話す。症状を示す映像を病院に送信するとはうまい考えだ。貴男のPVは(遡って)病院に情報を送信した段階で緊急PVに指定されている。従って貴男は一切交通法規を犯していない、と。」

警察は無罪放免であったが本当にそうであったのであろうか?。
警察は以後、この男を緊急事態では何をするか分からない人物リストに載せたかもしれない。また、半年ぐらい監視を続け、その行動パターンから、今回の行為は例外的と位置づけ、本当の無罪放免になっているかもしれない。

そもそも、警告を発する前のプロセスが気になる。

ここについても少しは書きたいから。
つづけるつもり。更新したら02とします。

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独り言のついで、
誰か、教えてください。
アフリカ西部シエラレオネのタクガマ動物保護区域に住んでいるオスの殺人チンパンジーは「ブルーノ」がどうなったか。
もう一つ、
この三月?頃にロンドン動物園で生まれたがコモドオオトカゲの子供4匹の父親は誰だったか。

では。
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1 コメント

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父親は (taninuneno)
2006-12-25 12:20:50
2006年12月24日のアサヒコムなどによると
コモドオオトカゲは単為生殖だったようですね。
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