ハラキリ

小説、映画、漫画、えろげーとかの感想日記。★0個は論外。★1個はいまいち。★2個は結構好き。★3個はかなり好き。

「D-蒼白き堕天使2」

2006-03-21 20:06:15 | 小説
 菊池秀行「D-蒼白き堕天使2」ソノラマ文庫、を読了。
 今回は、「伝奇小説」ということについて少々。

 今の世の中、「ライトノベル」というものが小説のひとつのジャンルとしてほぼ確立していますが、この作者はまだそういうものがない、もしくはあまり目立たない時代にもっとも活躍していた作家のうちの一人で、今で言えば「ライトノベル」に近いジャンルとして、「伝奇小説」というものがありました。あまりジャンルにこだわる必要もないのですが、要するに推理、ミステリー、青春、歴史小説といったようなメジャーなものを書いていた人ではないという意味で、「伝奇」という部分を強調します。

 この「伝奇小説」というのはSF、ファンタジーといったものと非常に関わりが強く、両方の特徴をあわせもつことも結構多いです。作家としては山田風太郎、平井和正、半村良、夢枕獏……あたりになるでしょうか。作家の側はジャンルを意識しないで書いているかもしれませんが、一読者としてはそのような位置付けです。
 この中で有名なのは夢枕獏「陰陽師」あたりでしょうか。映画化も漫画化もしてますから、名前くらいは知っている方が多いかと思います。
 ジャンプやマガジンといった少年誌でも漫画化しやすそうな小説、と思えばほぼ間違いないでしょう。
 歴史的に有名なところでは、「八犬伝」などが伝奇小説のルーツと言えるかもしれません。

「D-蒼白き堕天使1」

2006-03-19 15:11:21 | 小説
 菊池秀行「D-蒼白き堕天使1」、ソノラマ文庫を読了。
 「吸血鬼ハンター」シリーズの⑨巻の1冊目という妙な位置づけを読了。
 このシリーズ、このあたりから⑨巻が4冊組、⑩巻が三冊組というような構成になってきます。連載中にどんどん出版するためにどこまで続くか作家にもよく分からないため上下、などとするわけにもいかず、場当たり的な感じのする構成ですね。
 ゲームをする方は、ファイナルファンタジーⅩを思い出していただけると雰囲気がつかみやすいかと。FFⅩ-Ⅱ、慣れてしまいますが、最初は随分違和感があるものです。

 内容について少し触れますと、時は西暦五桁。いつのころからか現れた「貴族」たちによって人間たちは……というのは一巻の冒頭で説明してくれるので、ここでは省きますか。
 極論としては、Dという主人公が吸血鬼を一冊に一匹ずつ、もしくはそれに相当する敵を倒したりするというのが基本の構成といえば構成。主人公であるDが半人半鬼のダンピールであること、倒す相手が片方の血を持つ吸血鬼であることなど、私としましては
 仮面ライダーを思い出さずにはいられないのですが、当然というべきか、中身は全く別物です。
 いわゆるネタばらしをよしとしないので中身の説明はここらへんにしますが、結構面白いと思います。惜しむらくはちょっと古いので、置いてない書店も多いこと。とらのあなとかアニメイトといったマニアックな書店なら置いてあるので、その筋の方はそちらでどうぞ。

哀しみキメラ、ひいてはライトノベルについて

2006-03-15 20:02:31 | 小説
 来楽零「哀しみキメラ」電撃文庫、読了。
 さて、日常の感想というよりは、観たもの読んだもの紹介となってきたこのブログ。初の電撃文庫感想文です。ジャンルとしてはライトノベルと呼ばれるもので、漫画のような表紙が目印。イラストさんと作家、あとは編集が三人一組で作品を作っていく(とも限りませんが)のがライトノベルの特徴です。
 ちなみに、私もメディアワークス主催の「電撃小説大賞」応募用の小説をひーこらと書いてまして……四月十日必着でまだ完成していない有様ですが、投稿するつもりである以上、この文庫の本には必然的に手が伸びます。

 さて、物事を語る前には、その物事を語るためのことから語るのが正しい姿勢かと思います。
 あまり前おきばかりが長くなってもよくないのですが、前提、基礎知識というのは大切なものです。油が燃えると知らずに料理をすれば、大事故を引き起こしかねません。
 だから、ここではライトノベルというものについて、出来るだけ簡単に。

 ライト=軽い、ノベル=小説という名称が示す通り、比較的薄いものが多く(最近はそうでもありませんが)読みやすいのがライトノベルという小説の特徴。ライトというところが、軽い≒薄いというような思い違いをされることもありますが、
 寝言を言いたければ、墓の底で永遠に言ってな
 というのが私の意見。純文学だろうがライトノベルだろうが漫画だろうが、書くほうはそれでおまんま食ってかなければいけない上に、それだけを夢見て生きてきたなんて人もいますから、手を抜こうなんざ思っちゃいないですよ。出来るだけ面白いものを、人を感動させるものを書こうと努力しているのはもはや当たり前なのです。中身のあるなしはしょせん、作家の度量と読者の感受性なのですから。
 一大前提として断っておかなければならないのは、ライトノベルには薄い小説も多いです。読みやすさを重視するために改行も多めに、どちらかといえば理屈を並べません。ですが、
 読みにくいだけで面白くもない純文学に比べれば、中身がなくても読みやすくて、多少でも面白いほうがいいと思います。
 対比で勘違いされがちなのは、純文学は高級なもの、ということです。
 ですが、純文学という名称は、利益目的で書いていない=純粋=純文学というのが、そのネーミングのもとです。これは、一見ストイックでかっこいいのですが、一つ重大なことを見逃しています。
 それは、売ろうとする工夫が欠けていることです。
 売れるというのは、別に悪いことではありません。
 むしろ、売れるものを書こうということは、向上心ということでもあります。
 ただ純粋に書くとだけならば、日記でも書いていればいいのです。それもブログのようなものではなく、紙の日記に。
 そういうものを商売にして成立してしまったがために、日本の小説界は変な時期を経験し、変な文学者たちを尊敬し、変な文壇を作ってしまったのです。純文学、面白いでしょうか。推理小説とかミステリーとか、SFとかファンタジーのほうが面白いような気がします。ライトノベルのほうが、面白いと思います。
 面白く書こうとしているのだから、当然です。
 小説の売れゆきが悪い、若者が活字を読まない。どちらかといえば、純文学などという面白さを追求しない小説をもてはやした人々の責任だと思います。映画は面白いから見ます。漫画も面白いから読みます。ならもちろん、小説だって面白いから読むわけです。
 少なくとも、私はそうです。
 さて、一応オチがついたところで、長くなりすぎた今日の日記はこのあたりでおしまいです。もし、ちょっとライトノベルに興味がわいた方がいたら、
講談社ノベルス:西尾維新「クビキリサイクル」シリーズ、那須きのこ☆「空の境界」
角川文庫    :滝本竜彦「ネガティブハッピー、チェーンソーエッヂ」
角川スニーカー文庫:十文字青☆「薔薇のマリア」シリーズ、谷川流「涼宮ハルヒ」シリーズ
電撃文庫    :甲田学人「missing」シリーズ、橋本紡「半分の月がのぼる空」シリーズ
ハヤカワ文庫  :森岡浩之☆「星界の紋章、星界の戦旗」シリーズ
ソノラマ文庫  :菊池秀行「吸血鬼ハンターD」シリーズ

 あたりが私のオススメです。
 これでも結構しぼったのですが、まだだいぶ多いので、その中からさらに三つ「こりゃ面白いだろう!」というのには、作者名とタイトルの間に☆を入れておきました。
 最後まであまり飛ばさずに読んでくれた方、あなたに無上の感謝を。
 

遠藤周作

2006-03-13 08:42:53 | 小説
 遠藤周作の「さらば、夏の光よ」講談社、を読了。
 したのですが、ブログの匿名性であるとか、乱雑に公開されるという特徴を考えて、つまり北斗で検索してここについた方のための説明として、内容についての感想などより、遠藤周作という作家について説明したいと思います。
 まず大事なのは、
遠藤周作、司馬遼太郎、那須きのこ
 というのが、このブログの主の好きな文章書きBEST3です。
 参考までに4位以下を思い出せるまま書きちらしていきますと、菊池秀行、山田風太郎、清水義範、落合信彦、陳瞬臣、森岡浩之、十文字青、ヤマグチノボル、谷口流、西尾維新、川上稔、賀東昭二、といったところでしょうか。
 漫画も好きなので、好き漫画家も書きますと、荒木飛呂彦、松本零士、平野耕太、高河ゆん、山口貴由、木城ゆきと、赤松健、内藤泰弘、、西条真二、宮下あきらといったところ。
 タイトルで書いたほうが分かりやすいとは思うのですが、それだと好きなタイトルだけで二、三十行独占してしまいかねないので、あくまで「ぱっと作家が思い出せるくらいには好き」レベルとして、並べさせていただきました。
 ものの好き嫌いなどというのはよく分からないものですが、ここに書いた作家陣に多少ピンとくるものがあれば、遠藤周作を読んでみてもいいかもしれません。一応純文学作家ということになってますが、私個人としましては遠藤周作非純文作家論を打ち上げたく思っているので、純文学と聞いた瞬間にキンタマ縮み、背筋に悪寒、ゲップどころか嫌悪という名のゲロがが出る、という方でも、安心して読んでいただけると思います。汚い表現ですみません、好きなもので。
 あとは、北斗で検索してたどりついた方のために説明すると、

ラオウ   「貴様、なにをしておる!!」
遠藤周作 「私は文章書きです。文章書きは、文章を書くものです」
ラオウ   「……」
遠藤周作 「……」
ラオウ   「よかろう、我が生涯を記すことを許す」

 みたいな人です。
 書きたいことが多すぎてまとまらないのですが、あんまり余計なことを書きすぎて先入観を詰め込ませてもよくないだろうということで、乱雑ながら今回はここまで。

真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝殉愛の章

2006-03-11 19:27:47 | 映画
 さて、前日のブログにも記しましたので、観てまいりました。
 救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝殉愛の章
 感想としましては、阿部寛、かなりいい感じではないかと。ラオウの声の人、名前の読みづらい方はちょっと原作ファンは違うかなー、と思うかもしれません。声に関してはサウザー、サウザーです。
 あってます。
 ほぼ9から10割ジャストフィットという感じです。サウザーに関してだけは期待しても期待はずれということは少ないかと、あくまで声に関してですが。

 内容とは関係ないんですが、立川の映画館で観たところ、ラオウフィギュアもらいました。明らかに「我が人生に」ポーズで、芸の細かいことに、胸に傷跡があります。ケンシロウにつけられたやつですね。

 観ようか迷っている人の指標としましては、「じんせいのしゅう」というのに正確な漢字を当てられるならば観てもいいかと思います。南斗白鷺拳ですね。あとは、「YOUはSHOCK!!」を知っている方。見せ場でアレですので、この曲を知らないと盛り上がりが半減してしまいそうです。リアルタイムで毎週テレビの前で聞いていた方なら、かなりくるかもしれません。
 要するに、北斗が好きだーという方が一番楽しめるでしょう。ファンに対応する部分は結構盛り込んであると感じたので、好きだー、という方なら損というほどではないと思います。

 歯切れが悪いので、最後に素直に。
 つまらなくはないけど普通、でした。

北斗の拳

2006-03-10 11:34:06 | 漫画
 今日でかけようと思っていたのですが、
北斗の拳 ラオウ伝殉愛の章 
が、明日かららしいので、今日は家でチクチクしていることに。ヲタクなので、出不精なのです。
 いやでもほんと、北斗は面白いので、最近増えまくりの漫画喫茶とかで読んでみましょう。
 ラオウ編は16巻までなので、そこまででもいいので是非読みましょう。
 女性ならまだしも、男で読んでないのは論外です。読みましょう。
十年以内に世界文化遺産確定です。世界に誇りながら読みましょう。

 まずは読め!!全てはそれからだ!

魍魎の匣

2006-03-10 11:09:54 | 小説
 京極夏彦「魍魎の匣」講談社、を本日読了。
 小説界では有名なお方、京極夏彦。
 私はこれとあと一本、いわゆる京極堂シリーズしか読んだことはないのですが、なんといってもファーストコンタクトでの印象は「厚い」。多分誰しもが思わずにはいられない「厚い」ということ。
 何年か前から講談社の出しはじめた異様に厚いシリーズの筆頭をひた走るのが、この京極先生。今作「魍魎の匣」はなんと千ページオーバー。当然のことながら、五百ページの上下分冊と同じボリュームとなっております。電車の中で読んでれば、一瞬で「京極夏彦かッ!」と分かりそうなこのボリューム。正直、鞄にいれておくと形が崩れます。正方形とはいわないまでも、相当の体積を持ったこの作品、鞄のポケットに差し込んでおくのはもはや不可能。
 さて、「匣」などと字づらからして怪しげな魅力満載の京極夏彦作品。本文に入っても旧漢字なのか創作なのか判然としない漢字の山。黶(ほくろ)とか、この漢字で正しいのか分かりません。とはいえ、きっちりルビはふっていて、新聞が読める程度の国語力で不自由はしません。多様される怪しげな漢字は、雰囲気を盛り上げるには役に立っても、読む際にさまたげとなることはあまりないでしょう。
 千ページもある内容に触れるのは大変なので触れませんが、面白いということにはほぼ疑いがありません。表紙からかもしだされる怪しげな雰囲気に抵抗がない方なら、素直に楽しめるでしょう。
 表紙を見て、自分には合わないかも、と思う方もいるでしょう。九割がたは食わず嫌いでしょうが、まぁダメそうなら我が道をどうぞ。

2006-03-09 16:31:34 | うんちく
 偽、という字がある。
 この字を分解すると、「人為」となる。
 偽者、生まれつきではないもの、後天的なもの。
 あるいは努力と意志によってなるもの、という意味でもあるだろう。

初回投稿。タイトルの意味と理由。

2006-03-07 12:06:16 | 初志
●ハラキリ
 切腹という意味の西洋語。漢字になおすと腹切りだが、そんな日本語はないので、西洋で妙な感じに造語されたものだと思われる。フジヤマ、ゲイシャ、ハラキーリという勘違いコンボは有名だが、フジヤマという言葉もない。この三語に、西洋の日本に対する勘違いと偏見、そして無知ゆえの理想がこめられていると信じてこのブログを記す。