当方、朴念仁で歴史認識が乏しく、
近世の歴史が何たるかもわきまえないので、
口を滑らすのも憚られるのだが、かまびすしい尖閣、竹島問題とも、
節操なきメディアのマッチ・ポンプには危険性さえ感じている。
国による公教育と言うのは諸刃の剣のように、
それもかなりの部分で自国の歴史の正当性を強調させる。
客観的な検証を必要とするのだが、それすらもスリコミで押し戻す。
したがって、いびつな形のまま両方が正当性を言い募る。
それも相手を罵るばかりでは何等解決の糸口さえつかめず、
もときた道を辿る危うさが露骨に顔を出す。
私たちは先の戦争で何を学んだのか。
話し合いは時間のかかる作業であるが、
英知をみつけだす時間である。
話し合って、話しあって、それでも駄目なら、又話し合う。
目には目を、歯には歯をとする愚かさは厳に慎まなければならず、
無責任な声高の議論に組してはならない。
黒白をつけるなら国際司法の場に持ち出すことに
当方も同意はするが、腹をくくる必要もあるのではとも思われる。
仮に司法の場で裁かれ、我が国の言い分が認められれば
良しとするものだが、負けようものなら、素直に従う事が出来るのだろうか、
またぞろ愚図愚図いいはしまいか。
無論、相手国とて同様であり、双方の確約をとってもらいたいものだが、
与党の民主党が国民との約束、マニフェストを平気で破るようでは心もとない。
第四の権力を標榜するマスコミ同士のシンポやフォーラムが出来ないものか。
極楽トンボの爺が世迷いごとを言って居るうちはいいのだが、
軍靴の足音は油断をすると直ぐさま燎原の火のように高くなり、
戦は、知らず知らず一人一人の心のうちに芽生える。