田中正造に学ぶ会・東京

真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず人を殺さざるべし!

老人は一日にしてならず!

2015-09-22 07:09:55 | 社会
昨日は敬老の日。
東京新聞のコラム欄「筆洗」に思わずハタと
膝を叩くかのような文に頷きを得た。

【年を取れば、動きは若い方に比べれば、ゆっくりとなる。
脚本家の山田太一さんがスマートフォンを使う若者の
指の速さについて、書いている。
「言葉というものは、あんなに速く打たなければ
いけないものでしょうか」
(『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』)

▼なるほど、若者の指遣いは魔術師のようであるが、
これが心配だと言葉のプロフェッショナルの山田さんは
やんわり警告する

▼あのスピードで書けば、ありきたりの言葉しか出て
こないはずだし、「キライ」「死ねば」とドンドン短くなっていく。
「決まり文句だけになって、お互いの内面の本当は、
枠の外に取り残されるのではないか」という指摘である。
思い当たる若い方もいるか

▼敬老の日である。
高齢化社会といわれて久しいのだが、
社会の方は高齢者には合わせてくれぬ。
相変わらず、スピードと効率が尊重される社会である

▼「六郎兵衛さんも能老入(いいおいれ)だ」
(式亭三馬『浮世風呂』)。
「老入」とは「老い入れ」。
江戸期には現在の「老後」ではなく「老入」の方が一般的だったという。
「老後」よりも前向きであり、老いを一つの到達点として
大切にする語感もある

▼年を取れば、素早い指遣いで書けぬが、その分、
心を静めて言葉を選んで書けるということもあろう。
「ゆっくり」とは「じっくり」でもある。
前向きに評価される世間にしたい】。

まったくもって見事なる指摘である。
老いを素直に受容し、「急いては事を仕損じる」の例えあり、
若さ故の無謀さと比べ、熟年の輝きは「じっくり」と地に
足をつけることこそ肝要であると思うのだが、いやはや思うだけで
一歩も二歩も前に進むどころか、「こんな筈ではなかった」と
常に後退のだらしなさである。

青春は青春であることを知らずに居るが、老年ともなると、
あちこちに痛痒を感じ、日々、十分老年の厳しさと
向き合うことを余儀なくされている。
まあまあ、それも人生の苦味であり、おもしろさと言うことかも
知れぬが、「山に金太郎、野に金次郎、予は昼寝」と嘯くのが
精いっぱいであるとは、いささか淋しい!















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