田中正造に学ぶ会・東京

真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず人を殺さざるべし!

珠玉の愛情

2015-09-13 06:53:51 | 
▼今回の豪雨災害に、
「人の不幸は密の味」と、タテマエは殊勝な態度を見せるものの、
内心では、これは美味しい食材とばかり、マスメディアは
死肉に群がるハイエナのごとく獲物をつつきまわす。
事実をありのままに伝えるのは、マスコミの使命であり、
最も大事な事ではあるのだが、現象面ばかり追いかけて、
なにが欠けていて、これからのセフティーネットをどのように
構築しなければいけないのかと言った問題提起も、
また大切であろうと思うのだが、
そんなことは、お構いなしの取材合戦となっている。

歯痒くてならないのは、さきの東北大震災にしても
犠牲者の多くは高齢者である。
力のないものが犠牲になる、至極当然なことではあるが、
天台の開祖、最澄は[一隅を照らせよ!」と託宣をしている。
そも、行政の本来は「一隅を照らせよ」ではないのか?
「ごまめの歯軋り」ではないが、マスメディアの役目は
行政の働きかけのアシストでなくてはならないと私は思っている。

▼さて、
有り難い事に、ご近所の矢口さん(仮称)が
金具のついた杖をつきながら、パソコンでデジカメで撮った
画像を編集した小冊子を手渡しに来てくれた。

当方より大分人生の先輩である矢口さんは、
お仕事をリタイアし、愛妻と共に、さてこれからと言う矢先、
突然の病魔が襲い掛かった。
おどろおどろしい病の名は「脳梗塞」
矢口さんの半身は麻痺し、言語障害や記憶障害も
発生し、病に追い討ちをかけた。

お子さんが居ない矢口夫妻は退院後、
リハビリに精出す矢口さんの車椅子を押す奥様の姿を
何度見かけたことか。

矢口さんの懸命な努力が実を結び、やがて薄紙を剥がす
ようにとはいかずとも、二歩進んでは三歩戻り、三歩戻っては
四歩進むと言う具合の牛歩ではあるが、車椅子から杖で
歩行が出来るようになり、言語障害も見事に改善された。
ときおり記憶が灰色になるとは本人の弁だが、どうしてどうして、
お話をしていても、まるでその気配すら感じられない。

矢口さんの体調が回復基調に向かいつつあるとき、
今度は攻守交替とばかり、奥様の体調が思わしくなく、
入院生活を余儀なくされた。
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ」と、
綾太郎の「壷坂霊験記」ではないが、妻の入院する病院へ
日々、杖をつきながら通う矢口さんには頭が下がる思いだ。

さて、その矢口さんに手渡されたものは
「歌のしおり」と題された矢口さんの短歌集であった。
そのキララな感性と、細君思いに、さながら
愛妻物語を見る思いであった。


「フリーズし反応示さぬ我がパソコン
長年夢を紡ぎ来たるに」

「衰えは互いに見えて淋しくも今こそ
愛が試される時」

「永らえて術後一年を迎えたる妻よ
たおやかに余生を生きよう」

「吾に固有の脳障害のその上に老いという
普遍も重なりくるらし」

「一杯のコーヒーに甦る生命あれ
診察終えて喫茶に憩う」

「病み臥せる妻をば置きて出掛けきぬ
春を告げいる花を撮らんと」

「病む妻に健康食をと励みしに留守居の
我はコンビに頼り」

「判るわよ忍び足でも征夫さん
寝ているけれども眠ってないらし」

「持ち家のメンテナンスを頼む時
我の余命と秤にかける」

「病院から掛けてると妻の弾む声
「百円玉入れちゃたからまだ喋れるわ」」

「苦楽を共に五十余年ぞ我に備われ介護の心」

「君の人生のラストランまだまだずっと輝けよ
純朴の愛われは傾けん」