田中正造に学ぶ会・東京

真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず人を殺さざるべし!

フィールド・ワーク、明治と戯れる。

2014-06-22 19:36:57 | 足尾鉱毒事件の田中正造・関連

明治の御世、都電荒川線の巣鴨・庚申塚に当時はキリスト教を
母胎とする先駆的な思想を散りばめ、相馬黒光や野上八重子、
羽仁もと子等を輩出した明治女学校があった。

時代の潮流に乗れずして明治42年に幕を閉じたが、
北村透谷、島崎藤村といった錚錚足る教授陣に加え、
学校の一角には荻原禄山も住まいしていた。

秋口に何名かの人をお連れして、ご案内
する予定があり、雨の中、傘をさしての下歩きとなった。

巣鴨刺抜き地蔵通りを北上し、荒川線をわたる。
直ぐの角を左に曲がれば突き当りが
明治女学校があった場所に辿り着く。
野上八重子は当時を振り返り
「表の通りまでつづく森がいっそう鬱蒼としていた。
ほとんどがクヌギ、野鳥もおびただしい・・・・・
お伽噺の学校めいていて・・」と小説「森」のなかで記している。

校長は巌本善治であり、善治の妻、若松賎子は、
バーネットの「小公子」を訳したことでも知られ、
美貌のヴァイオリニスト巌本真理は姪にあたる。
十年一昔と言うが、十年前に訪ねたときには木杭の稗が
あったのだが、経年に耐え切れず石碑だけがポツネンとしていた。
雨は間断なくビニール傘を叩いている。

明治女学校を後にして、中仙道に面した「やっちゃ場」の
裏手に回り込み染井霊園に入った。
サクラの時期には、さぞやの感もあるのだが、さすがに雨の霊園は
人の数も少なく、むしろ猫の姿の方が多い。

黒猫が墓の横に座り小首を傾げている。
舌を鳴らし、猫を呼ぶと俊敏に身を翻し植え込みに隠れた。
すると、今度は毛が荒れている三毛猫がのっそりと現れた。
手を突き出しチッチと呼ぶと逃げはせず、小太りの身体を寄せてくる。
足許にくるとしきりに身体を寄せ付けてきた。
人間慣れしているのであろうか。

猫と別れを告げ、道標にしたがい、高村光太郎の墓に足を向ける。
石段を上り、墓に回り込み智恵子の名前を探したが
印刻が薄く見つけることが叶わず、又一度、
天気の良い日に見つけることとする

先に、NHKで放映された「足尾から来た女」の福田英子の墓や、
そのお隣にある巌本夫妻の墓も整然として手入れが為されていた。
思い起こせば十年前に訪う人が無く、見る影もなく荒れ放題、
草ぼうぼうの巌本(墓)を汗を拭きながら2、3時間がかりで草を刈り、
整地した思い出がよみがえってきた。

降り続いた前も小雨となり、ようやく止む気配をみせている。
石垣の傍らに咲く紫陽花の雨に打たれた風情は
この時期特有の物。
紫陽花に雨はよく似合う。