時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

人流抑制の強烈なショック療法

2021年05月10日 | 時のつれづれ・皐月 

多摩爺の「時のつれづれ(皐月の18)」
人流抑制の強烈なショック療法

先週末に、緊急事態宣言の延長が発表されてから
迎えた・・・ 週末だったが、
繁華街に繰り出す人の流れは、全く持って減る気配がなく、
なにを言っても聞く耳持たずの人々が巷に溢れている。


一方でステイホームを頑なに守り、その状況を腹立たしく見ている人々と、
完全に二極化されたこの国は・・・ もはや、行き着くところまで、行くしかないのだろうか?
東京の受け入れ患者数には、まだ少し余力があるようだが、
関西圏に関しては、病院に入れない可哀そうな人たちが、致し方ないとはいえ、
もっともっと増えるのだろう。


そういった状況のなか、週末の報道番組で話題になったのは、
相も変わらず「もっと強い対策を・・・ 」だったし、

あれほど、私権の制限に反対してきた、野党第一党の幹部でさえ、
国民の理解がないなら致し方ないと言い出した。


特措法改正のとき、私権制限は憲法違反だといい、改正案を完全骨抜きににしたのは野党である。

さんざん強い対策を拒み、ワンチームにメッセージすら出さなかったくせに、
なにをいまさらである。


それもこれも本を正せば、緊急事態宣言が発令されたものの、聞く耳を持たない世代が引き起こす、
法律の範囲内での細やかな抵抗だが、生活者の切なる声だとの視点で見れば、
抵抗する方々の覚悟が、どの程度かは分からないが、
江戸時代に起こった、一揆のような反発なのかもしれない。


良く云えば、若者や現役世代と、年金世代の思考の違い、
いわゆる・・・ ジェネレーションギャップであり、

視点を変えれば、自分さえ良ければ、
それでいいというエゴイズムと、生きてく上での、やむに已まれぬ叫びだろう。


この状況(一揆)に対し、江戸時代風に罰則を加えるなら・・・ 死罪ということになるが、
さすがに、21世紀の民主国家では、そういったことにはならない。
とはいえ、このままだと過料程度の罰則が、個人に適用されることも、覚悟せねばならないだろう。

こういった抵抗の一番の問題点は・・・ 悪いことをしてる、申し訳ないとは思うものの、
法律に違反しているわけではないという、良識というか、倫理感に欠けた言い訳ではなかろうか?

それを踏まえて・・・ 自由と我慢の境界線にある、倫理や良識という判断基準に、
法律によって制約を設け、罰則を掛けようといった議論が・・・ いよいよ、本当に熱を帯びてきた。

先の大戦下における、大政翼賛会的なことに、なってはいけないので、
オープンに議論をすることは否定しないが、その前にできる強烈なショック療法が一つだけあるので、
それができるか、できないかは別にして、
いささか暴論だが「緊急事態宣言」及び「まん延防止特別措置」における

私案を紹介させていただくので、笑ってやっていただけたら幸甚である。

それは・・・ 「計画停電」である。
東日本大震災が起こったとき、現実のものとして受け入れざる得なかった「計画停電」である。
原発の処理水や、さまざまな不備があって、すっかり悪役となってしまった電力会社に、
もう一度、悪役を引き受けてもらったら・・・ どうだろうか?

まる1日「計画停電」をやるのではない。
多くの人々が帰宅し、床に就き始めようとする、22時から2時間だけ「計画停電」をやると、
飲食店などは、必然的に2時間程度早く店を閉め、帰宅する必要があるため、
自動的に20時には店仕舞いとなる。

電車も、バスも、タクシーも動いているので帰宅するのに問題は起こらない。

また、週末には午前中の10時から2時間程度の「計画停電」を加えると、
原宿や、渋谷などの繁華街では、開店準備が遅れるし、外出の準備も遅れることから、
密の時間帯を大幅短縮できる。


もちろん、病院や介護施設などの医療をともなう現場で、対策がとれるかどうかが課題となるが、
無停電電源装置や、蓄電池を使ったエコシステムの活用が可能なら、
必要な数を揃えれば、2時間程度は堪えられるだろうし、
温暖化対策の先駆けというか、シミュレーションになり、
世界に向けてのアピールにもつながるのではなかろうか。


また、10年前の東日本大震災では、医療関係者はどういった対策を取っていたのか?
「計画停電」で亡くなった人がでたという情報は聞かなかったし、
いま一度、検証してみてはいかがだろうか?

これをやれば、確実に人流は抑えられる。
電気を止めることができたら・・・ おそらく、出歩く人はいなくなるだろうし、
「計画停電」ができれば、私権に制限を加えるような法律改正は、必要なくなると思うし、
アクリル板などの対策が取れてる店舗では、
お酒を出しても感染は最小限に抑えられると思うが・・・ どうだろう?


緊急事態宣言を受けて、制約を受けるのは、飲食店や百貨店、映画館などの店舗や、
スポーツなどの興行だけじゃなく、

みんなで我慢することを・・・ 分かち合えば良いんじゃなかろうか?

「計画停電」は、いささか突飛すぎる暴論だが、みんなで我慢を分かち合うという視点だけは、

しっかりと盛り込まれた、妙案ではなかろうか?

いまのような状態が今後も続き、月末目途の緊急事態宣言が解除されなかったら、
ホントに私権制限といった法律が議論されるだろうし、
与野党が協力したら来月中にでも成立するだろう。

本当に・・・ それで良いのだろうか?

法律で、休業やステイホームを要請から義務化に変更されると、
仮に休業に見合う一時金に、不満があったとしても、違反は違反ということになり、
夜間の不要不急の外出禁止が、義務化されれば・・・ 否応なしに違反であり、
違反には漏れなく罰則が付いてくるし、こんなはずじゃなかったと思っても、後の祭りである。

他国は別にして、個人的には・・・ 民主国家では、
私権を制限することはあってはならないと思っている。

とはいえ、法律が成立してしまうと「まるで、戒厳令じゃないか?」と反発してみても、
緊急事態宣言が発令されるということは、有事であり、戦時下であるとの理由から、
従わざる得なくなってしまう。


では・・・ この国の根幹にあったはずの「民主主義」による判断とは、いったいなんなんだろうか?
私なりに考えた解は、主権を持つ有権者の民度(知的レベル)の高低に、
政治の判断は、左右されるということなんだと思っている。

民度が高ければ、判断は90対10ぐらいの圧倒的な差で決まり、普通に納得するが、
民度が低くなってくると・・・ その判断は51対49の僅差で決定され、
決まってなお、迷いが見え隠れする。


51対49とは・・・ なんだ?
それは、過半数の支持があったとはいえ、
どちらの案を選択したとしても、ほぼ同数の反対があるということであり、
メディアやネットを通して、対極から言いたいこと言い合い、不毛の議論を続けることである。

メディアやネットの煽りには・・・ もう、うんざりではなかろうか?
この期に及んで「計画停電」だから、いささか放言が突飛過ぎて恥ずかしい限りだが、
2030年に向けて、温暖化対策の目標を掲げてるんだから、
ひょっとしたら、ありなのかもしれない。


メディアやネットに釣られ、多くの国民が総理の言動や判断に批判を繰り返す昨今、
意見はいろいろあっても良いが、
小さなミスを繰り返しながら、少しずつだが前に進み、
けっして取り返しのつかない大失敗をしないところに着目すれば、

この国の国民は、自由を制限してなお、取り返しのつかない失敗を繰り返す、
世界の為政者を買いかぶり過ぎている。


こういった事態に陥ったとはいえ、私権の制限までは勘弁願いたい。
臆病だと思える対策だが、国民サイドがもっと賢くならなきゃならないと思うが、
楽観すぎるだろうか?


さまざまな思いがあるかもしれないが・・・ いまは、とにもかくにも、
ワクチン接種にヒト・モノ・カネと、あらん限りの知恵を、惜しむことなく投入し、
ひたすら汗を掻く・・・ 
それしかないのではなかろうか。


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