時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

頑張れって言いたいが・・・

2021年05月12日 | 時のつれづれ・皐月 

多摩爺の「時のつれづれ(皐月の19)」
頑張れって言いたいが・・・

いま住んでるマンションに、引っ越してくる直前だったと記憶しているから、
あの日の出来事から・・・ もう20年以上も経っている。
それは、娘がいる前で「頑張れ!」っていう言葉を、使うのは止めようと話し合った日のことだった。

その日は、働き始めたばかりの娘が、悲しそうな顔をして帰宅していた。
夕食を食べているとき、私が「なにかあったの?」と声をかけると、
彼女の目から、大粒の涙がこぼれて来た。

見た目では分からないが、娘には軽度とはいえ知的障がいがあり、
普通の人のような判断力はなく、さまざまなことに限界があって、
テキパキとした行動を取ることもできない。

もちろん成績はオール1だったが、支援学校には行かず、公立の小中学を卒業させてもらうと、
通信制で高卒の資格が取れる、お菓子を作る専門学校に通い、
市の福祉の方々にお世話していただいた、障がいのある子たちを雇ってくれる、
パン屋さんで働かせてもらっていた。

一緒に仕事をしていた障がいがある子が、
仕事に手を抜いてることが許せなかったらしくて注意すると、
その子が泣きだし・・・ お店の方から自分が叱られたというのだ。

よくある、ちょっとした誤解なんだと思う。
女房が、お店に電話しておくので「あなたは、自分の仕事を頑張りなさい。」というと、
「私は一生懸命頑張ってるので、もうこれ以上は頑張れない。」と、
さらに・・・ 涙がこぼれてしまった。

困った・・・ 本当に困った。
障がいはあるものの、素直で真面目な子供だった。
まさか・・・ この子が、そんなことを言うとは、思いもしなかったし、
彼女は彼女なりに成長し、一生懸命仕事をしていることを、
最初に気づいてやることができず猛省した。

返す言葉というか、かけてやる言葉が見つからなくて、
ほんのひと時だったと思うが・・・ 私と女房は、顔を見合せたまま固まっていた。

ひと呼吸おいて「じゃぁ、今日はよく頑張ったねっていうのは・・・ 良いの?」と聞くと、
静かにうなずいてくれた。

彼女の良いとこだけにフォーカスして、褒めることだけに注力しようと、女房と話し合うと、
この日を境にして、我が家で「頑張れ!」という言葉が・・・ 自然に使われなくなっていった。

何年か経って、家族で四国旅行に出かけたとき、
金毘羅さんの石段で、彼女がへばったときも「ちょっと、休もうか?」とは言ったが、
けっして・・・ 「頑張れ!」と声をかけることはなかった。

あの日から約20年、孫たち(息子の子供)が遊びに来て、
つかまり立ちや、よちよち歩きを始めたとき、
娘が孫たちに向かって「頑張れ!頑張れ!」と、優しいまなざしで声をかける場面が多くなっていた。
やっと、我が家を覆っていた「頑張れ!」の呪縛が解けたかと思った矢先、
今度は、昨春から・・・ 女房がコロナうつを患ってしまった。

うつ病の人に「頑張れ!」の一言が禁句だということは・・・ 私でも知っている。
娘の居ないところで、お互いに「頑張れ!」と励まし合い、共に支え合ってきた女房に対して、
いまは・・・ 「頑張れ!」が言えなくなってしまったのだ。

幸いなことに、近所に住む息子が、それを察して「大丈夫なの?」と声を掛けてくれるが、
共稼ぎで、子育て真っ最中の息子夫婦に、心配をかけるわけにも行かず、話すことも限られてしまう。
さらには、ここんとこ、女房に付き合っての病院通いもあったりして、
けっして、心が折れたわけじゃないが・・・ 少し疲れてしまったようだ。

私がいま頑張れる糧は、女房が障がいをもった娘に対し、
泣き言を言わず40年も向き合ってくれていたこと、
それを思うと・・・ いま、女房に向き合ってやれるのは私だけだから、
面と向かって「頑張れ!」とは言わないが、
心の中では・・・ いつでも、どこでも「頑張れ! 早く元気になれ!」とエールを送り続けている。

私のブログを、フォローしていただいている方々のなかに、
関西の若いお母さんが、うちの娘より、もっともっと重度の障がいがある子供さんを育てているブログがあり、
それを毎日読ませていただくと、女房が口に出さなかった苦労が、
なんとなく分かるような気がしてくる。
うちの女房も強かったが、この若いお母さんも本当に強いと感心するし・・・ 頑張ってほしい。

しばらくは、大変な日々が続くのだろうが、ずっとこのままではないと信じたい。
自分にだけでも「頑張れ!」と言えることは、ひょっとしたら、幸せなのかもしれない。
そのように気持ちを切り替え、頼りない私だけど・・・ 頑張ろうと思う。

一番苦労した人、一番頑張った人が・・・ 一番幸せになる。
世の中の道理って、そんなもんじゃなかろうか?

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14 コメント

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おはようございます (けんすけ)
2021-05-13 06:57:01
そうだったのですね・・・
頑張ると言う言葉は難しいですね
私も10年前の東日本大震災の時に
東京や大阪にいる小学校の友人達が常に
頑張れガンバレ・ファイトとメールが続き
ふざけるな~
それしか言えないのか・・と辛くなったことがありました
どんな時もただ一生懸命生きているだけにしました
生きてりゃそれだけで幸せです。
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Unknown (keitaipochanmarumi)
2021-05-13 08:21:58
おはようございます。いつもブログを見に来てくださり、ありがとうございます!!とても励みになっております。

そのようなことがあったんですね。。。
娘さんも奥様も、、、もちろんタマジイ様も、これまでずっとたくさん頑張ってこられたのですね!!
奥様のご病状も、それを支えるタマジイ様も心配です。。。が、
どうかご無理をなさらず、
ご家族みんな笑顔でいられることを、願っております。 お大事になさってください。
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Unknown (多摩爺)
2021-05-13 09:33:54
けんすけさん
コメントを頂戴しありがとうございました。

気持ちの切り替えが出来るんだから、私はまだまだ元気です。
自称ですが、鋼のメンタルを持った爺さんです。
ご心配いただきありがとうございました。
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Unknown (多摩爺)
2021-05-13 09:38:52
keitaipochanmarumiさま
コメントを頂戴しありがとうございました。

あなたのブログには、いつも励まされていますし、心から応援しています。
「冬は必ず春となる。」ですから、私も頑張りますが、ともに頑張りましょうね。
また、あなとのことを、断りもなくブログで言ってしまい、申し訳ございませんでした。
ご心配いただき、ありがとうございました。
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頑張らなくてもいいよ (tadaox)
2021-05-13 10:53:57
(多摩爺)様、おはようございます。
どなたにせよ、相手に寄り添った言葉をかけようと思うと、おのずから「がんばれよ」とは言えなくなりますね。
声には出さなくても、(頑張らなくてもいいよ)と労りの言葉を胸に秘めて、応対してきたように思います。
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Unknown (多摩爺)
2021-05-13 11:35:41
tadaoxさん
コメントを頂戴しありがとうございました。

私の心のなかを見透かされたようで、恥ずかしい限りです。
いまは「頑張れ」っていうより、「ぼちぼち」って感じです。
気長に・・・ ですね。
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Unknown (keitaipochanmarumi)
2021-05-13 16:57:15
やっぱり私のことを書いてくれてらしたのですね(笑)自惚れかしら、、って思っていたので。恐縮です。とても嬉しいです。
はい、ともに。。。広く繋がったお空の下で、今日も頑張ってる仲間がいるのだと思って、、、頑張りすぎずに頑張りましょうね!!ファイトです!!
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Unknown (多摩爺)
2021-05-13 17:17:39
keitaipochanmarumiさん
子供たちのために頑張り、さらには資格取得の勉強もされてるんですから、とっても立派だと思います。

頑張り過ぎずに頑張りましょう。(良い言葉ですね。さすがです。)
ファイトです。
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Unknown (カイ)
2021-05-13 17:53:44
こんにちは♪
ブログを読ませて頂きながら
長女の事を考えていました
長女は鬱なので頑張れって言葉は使えません。
これからの治療の参考にさせて頂きます。
ありがとうございました。
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Unknown (多摩爺)
2021-05-13 19:15:14
カイさん
コメントを頂戴しありがとうございました。

一番苦労した人、一番頑張った人が・・・ 一番幸せになる。
それが道理ってもんだと思っています。
よって、私はいつも楽観主義です。
頑張り過ぎず、頑張りましょう。
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