天気が少し心配なんだが・・・ 来週から約2週間の予定で、
大阪で万博に立ち寄ってから実家に帰省し、
95歳で一人暮らしをしていた母親を、東京に連れて帰ろうと思っている。
人生という長い長いロードレースを走り続け、ゴールテープを目前にした母親が、
少しなんだが・・・ 言動や行動に変化が表れてるのを見聞きすると、
老いたんだろうなと捉えれば、ポジティブなんだろうが、
認知症が始まったかもと捉えれば、途端にネガティブになり間髪入れず胸騒ぎが始まる。
足腰が達者で、話せば普通に受け答えができ、しっかりしているように見えるものの、
父が亡くなってから5年、頑なに子どもたち(私と妹)と暮らすことを拒み、
夫婦で築いた実家に愛着を持ち続け、一人暮らしを続けてきた母だったが、
どうやら老いから一歩先に進み、認知症一歩手前の軽度認知障がいにあるようだ。
日常的に隣近所の方と話しをしてるので、
自分はまだまだボケ(認知症)てないと、自信満々の母だが、
怪我や病気とは違って、老いの進行は痛みをともなわないから、
悩ましいことに・・・ 本人からしたら、老いが進む自覚症状がないのである。
老いから一歩先に進んでいるのか否かは、
母が言うように、自分で判断して決めることではなく、
他人が見てどう感じるか、どう思うかであって、
気丈に生き抜き頑張ってきた高齢者ほど、それが理解できないのかもしれない。
隣近所の方々と、世間話を楽しんでいることを、どうのこうのというつもりはない。
気になるのは、高齢者の一人暮らしが長く続くと、日常会話が減ってしまい、
情報を得ているようでも、右の耳から左の耳を通過し、記憶が更新されないことから、
何年も前のことや、何日か前のことが大事な情報となり、同じことを繰り返してしまう。
朝起きて「おはよう。」という挨拶がなくなり、
ご飯を食べて「これ、美味しいね。」と話す相手も居ない暮らしで、
好きなドラマもなく、BS放送の昭和歌謡を聴きながら睡魔に襲われる夜が続けば、
脳が思考停止に陥り、認知障がいが進むのは必然で・・・ 如何ともし難い。
母の頭の中にある情報を日々更新し、思考にエネルギーを加えてやりたいし、
記憶の引き出しに、大事に大事に整理された忘れ得ぬ思い出を、
一つ残らず聞いてやりたいし・・・ 相づちをうってやりたいのである。
軽度認知障がいから、認知症に行くつくまでの時間を稼いでやりたいのである。
昨秋、帰省したときには「95歳を一つの区切りにしてほしい。」と話しを持ちかけ、
「親孝行をさせてほしい。」と伝えると、涙ぐんで東京行きを納得しくれたのに、
翌朝には1~2週間、気分転換で東京に行くようなことを言ってたので、
理解してないのか、それとも抵抗してるのか、揉めたくなかったので確認はしなかった。
今回の帰省で決着を付けるといったら、なにやら一大事のようにも聞こえるが、
私にとっては、淡々と先に進める既定路線なんだが、
母にとっては、それこそ本当に一大事なのかもしれない。
嫌みじゃないのは分かってるが、ここのところ母の頭の中には、
高齢者が入居する施設は「年寄りが行くところだ。」との思いが絶えずあって、
施設の話しは・・・ 越えることが出来ない高い壁となっていた。
こんな言い方をしたら、母や同年代の方々からお叱りを受けるかもしれないが、
95歳になった母は、十分すぎるどころか、すでに年寄りの極みであって、
年寄りロードの終盤戦を突っ走る・・・ 恐れを知らない、天下御免の年寄りである。
昨日までは、なにごともなく過ごせてきたかもしれないが、
明日からもまた、なにごともないまま過ごせるような年齢ではないことを伝え、
母の機嫌を損ねるつもりはないものの、
子どもたち(私と妹)の心痛も、正直に訴えなくちゃならないと思う。
そのうえで、どうしても東京暮らしが嫌で、故郷で過ごしたいなら、
実家の近くで施設を探すので、入居してもらえないかと、
母にとっては辛い言葉になるが・・・ 引導を渡す覚悟も必要なんだろう。
さて、どうなることか?
5月に入って、いよいよ帰省する日が迫ってくると、
毎朝のように、母のことが気になって目が覚めている。
共倒れを避けるためにも、心配は尽きないが・・・ 頑張るしかないだろう。
追伸
gooブログの終了に当たって、すでに新たなブログを立ち上げリスタートしているが、
終了までは、gooブログと新ブログの双方にダブルで投稿しようと思っており、
勝手で申し訳ないが・・・ 応援していただければありがたい。
リスタートした新ブログ → 「時のつれづれ(北多摩のじいさん)」
お気持ちすごくわかります お母様は、気を使いたくない、今まで暮らしてきた家で自由気ままに暮らしていきたい 主さんは、年には勝てない これから何が起こるかわからないから一人は心配 誰か入れば安心だし と、いうところでしょうか
私の母は自分の娘の家族と暮らしていますが、やはり娘婿には、言いたいことも言えず・・と、いうところはあるようです 私が実家に帰ると、文句タラタラって事も(笑) が、二世帯住宅なので、気を使うという意味では半分以下で済んでいるのかな?と、思います
子供の立場から言えば、やはり一緒に住んでもらいたいです 親の気持ちもわかないではないので、難しい問題ですね
頑張ってください
住む家があり、生活費に困らず、買い物は1週間に一度妹が連れて行ってくれてるし、
玄関先と裏口には監視カメラを付け、火を使わないように台所はガスを止めて電化して、ストーブも処分しました。
自分で料理も出来るし、近所に仲の良いお年寄りもいるので、本当に恵まれた環境だとは思いますが、
だからそれで良いとはいえず、作夏は熱中症になりかけて近所の方に迷惑かけてるし、
子どもとしては毎日がハラハラドキドキで、電話が鳴る度にドキッとする日々が続いています。
正直言えば、いい加減にしてくれよですが、親ですからそうとも言えず、やんわりと強行突破にチャレンジする予定です。
95才、天下御免の大年寄り、素晴らしいです!
体に不自由が無く自活出来る生活は、私の理想です。
認知症が進まないようにという願いは、我が身の将来を考えるとその通りよく分かります。
ただ、こればかりは仕方がないことだなと、自分の経験から感じています。
こういう生活環境なら大丈夫、というのでは無く、その人個人が環境をどう受け入れて適応していくか、そこかなと思うのです。
息子と対等?に話せる95才、私もそうなりたいなと思うし、心配してくれる息子なら嬉しいし、でも自由に暮らしたい・・・。
お母様の言う通り、しばらくの東京お試し生活をしてみるのは、大事な気がします。
しっかり者のお母様ですから。
出来ることなら、我々夫婦が帰郷して母と同居すれば良いのでしょうが、
共働きの息子夫婦の孫の世話があり、私だけでも戻ろうかと思いましたが、車が必要なことからそうもいきません。
答えは幾つかあるのに、その踏ん切りがつかないだけだと思っていて、
その行動がどうなるのか分かりませんが、まず動いてみることにしました。
ご心配をいただき、ありがとうございました。