大阪に帰ってきて、3年が過ぎた。
今日は、友達の家の草引きの手伝いをしてきた。
…そう言えば吉野に居た頃には、毎日のようにそこここの草引きをし、水まきをしたものだった。
暑い日差しの中だったが、久しぶりの草引きは気持ちがよかった。
吉野の家は、山の上のほうにある。
杉の木の中に埋もれている…と言った方が、適当かもしれない。
それぐらい、周りの杉の木は随分と背が高いし、家もまばらにしかない。
やたらと畑だけは広い。
山ゆえに、斜面に畑を作っていて、土壌が粘土質なので作物をうまく育てるには工夫が必要だった。
…けど、それもまた楽し。
山椒を炊いたり、梅を漬けたりが大阪にいながらにして出来るのは、連れ合いが吉野から収穫物を持って帰って来てくれるからだ。
今年は枯れてしまったラズベリーとユスラウメをまた新たに植えてくれたらしい。
桑の実も植えて欲しいなぁ~と、先日はお願いした。
都会は便利で何でもある。
病院だって近いし、子どもも一人で行動できる。友達も増えた。
何でもあるのだけれど、空の青さと、土いじり、鳥の鳴き声、季節を感じる野の花々、満天の星と暗闇、季節になると見られるようになる小さな生き物…。
“時の経過”を感じることは、都会では出来ない。
元来都会育ちの私でさえも、田舎のよさが懐かしい。
24時間営業のコンビニ、携帯電話、幹線道路…眠らない街。
便利になった分だけ、人間は何か目に見えない大きなものを忘れてしまっているような…そんな気がする。
友達の家は、大阪でも田舎の景色が多いところにある。
でもそこも、幹線道路が延びてきて、その周辺には大型店舗が立ち並び始めた。
彼女が嫁いだ十数年前に比べると、随分周りの景色も変わったものだ。
彼女の家の草引きをしながら、色んな想いが私の頭の中を巡った。
今日は、友達の家の草引きの手伝いをしてきた。
…そう言えば吉野に居た頃には、毎日のようにそこここの草引きをし、水まきをしたものだった。
暑い日差しの中だったが、久しぶりの草引きは気持ちがよかった。
吉野の家は、山の上のほうにある。
杉の木の中に埋もれている…と言った方が、適当かもしれない。
それぐらい、周りの杉の木は随分と背が高いし、家もまばらにしかない。
やたらと畑だけは広い。
山ゆえに、斜面に畑を作っていて、土壌が粘土質なので作物をうまく育てるには工夫が必要だった。
…けど、それもまた楽し。
山椒を炊いたり、梅を漬けたりが大阪にいながらにして出来るのは、連れ合いが吉野から収穫物を持って帰って来てくれるからだ。
今年は枯れてしまったラズベリーとユスラウメをまた新たに植えてくれたらしい。
桑の実も植えて欲しいなぁ~と、先日はお願いした。
都会は便利で何でもある。
病院だって近いし、子どもも一人で行動できる。友達も増えた。
何でもあるのだけれど、空の青さと、土いじり、鳥の鳴き声、季節を感じる野の花々、満天の星と暗闇、季節になると見られるようになる小さな生き物…。
“時の経過”を感じることは、都会では出来ない。
元来都会育ちの私でさえも、田舎のよさが懐かしい。
24時間営業のコンビニ、携帯電話、幹線道路…眠らない街。
便利になった分だけ、人間は何か目に見えない大きなものを忘れてしまっているような…そんな気がする。
友達の家は、大阪でも田舎の景色が多いところにある。
でもそこも、幹線道路が延びてきて、その周辺には大型店舗が立ち並び始めた。
彼女が嫁いだ十数年前に比べると、随分周りの景色も変わったものだ。
彼女の家の草引きをしながら、色んな想いが私の頭の中を巡った。
人の心にも変化が現われ希薄にも感じる都会感です。
さりとて私の住んでいるところも同様な波、考えが広まりつつの気がします。
だからって訳じゃないのですが土に親しむ
子供の頃の土遊びに戻りたいって気持ちで私も畑をしているのかもです。
でも簡単に諦めず自分に有った生き方
それをすれば良いのですですよね!
あそこに戻って心のより所として自分を見つめなおし
日々の暮らしの糧として、支えとして、元気を取り戻せる馬車が必要です。
草引きで汗を流し無になって頑張ろうよHiromiちゃん
こちらは、今日は朝から雨が降って、畑の草が伸びるな~と思いながら、HPの引っ越しを進めなくっちゃなのに・・・サーフィンしてますわ(^^)
すでに、ぼんさんがおいでになったのね(^^)
雨が上がったようだから、畑に行って来ようかしら。
うらべにさん家に遊びにおいで。
田舎暮らしが、少しは感じられるようにね(^^)
耳は、さださんが癒してくれてるよ。
私、草引きは面倒だけど結構好き!
段々ときれいになってくるのが、目に見えて嬉しいし、サッパリするでしょ。
達成感があるようで。
>私の住んでいるところも同様な波、考えが広まりつつの気がします。
これ、わかります。吉野でもそうでした。
ヒトの心が希薄になってきているように感じるのは、大人から子どもへ、親から子へと、“人のつながり”や“万物に感謝する心”なんてのが、伝えられ切っていないからなのかなぁ~とも、思ったりしています。
言わないのが美徳…みたいな日本人的発想や、溢れるモノと情報。
何も考えないくらい、汗かいて何かに熱中できることがあるって、生きてることが感じられて、幸せなことなのかもしれないね。
入れ違いでしたね(^^ゞ
ぼんさんにも書いたけど、私は何にも考えずに出来る草引きが好きよ☆
無心になれる…とでも言うのでしょうかね。
吉野にいたら今頃は、イチゴを抜いた後に落花生を植えてサツマイモをさしている頃でしょうね。
イチゴは少し残して、ランナーを育てて(^^)v
山へは、たくましい格好で蔓を採りに行き、黄色や赤のキイチゴを摘んでジャムにして…。
「大阪へ帰りたいよ~」とか言いつつも、結構山奥での暮らしを楽しんでいたのにね。
“うらべにさん家”には、何度か遊びにお邪魔しているのです、実はこっそり…。
楽しいね。
「へぇ~っ」「そうそう」なんて一人で言いながら、結構喜んで楽しんでいます。
今度は、そちらに
状態写真が見れると良いのですが(^O^)
幹線道路というのが悩みの種ですね。
現代社会に必要(細かくは議論あるが)なんでしょうが、これができると自然の変貌に拍車がかかりますね。
忘れてはいけないもの・・・かみしめたいです。
ヒトと自然と生き物と、共存していく方法ってないのでしょうかね。
熊や鹿、いのしし、昨日のニュースでは京都の三条で鳶の群れ…とか言っていましたが、そんなのが人家や町に現れるのは、食べるものがないからですよね。
吉野も杉や檜の植林が進んだ挙句、雑木が減ってきて結果的に畑が荒らされてしまっているようです。
“便利”のツケ…ですね。