えつこのマンマダイアリー

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新型コロナウイルス徒然考 ~冷徹な頭でリラックスしましょう!~

2020年04月15日 | 新型コロナウイルス

(近所の散歩中に見つけたフデリンドウ:記事の内容とは関係ありません)

 

 今日は、岩波新書編集部のウェブサイト「B面の岩波新書」から、4月2日に緊急寄稿として掲載された文書を紹介します。藤原辰史(たつし)氏(京都大学准教授)の「パンデミックを生きる指針 ーー歴史研究のアプローチ」です。こちらで読むことができます。

 藤原氏は、過去記事:「新型コロナウイルス徒然考 ~『緊急事態宣言』の副作用」で私が紹介した東京新聞の特報欄で、コメントを求められていました。国民の多くが宣言を受け入れている心理について、「危機による思考放棄と同時に、強いリーダーシップを求める意識が働いたのではないか」と読み解いていました。

 藤原氏はこの寄稿の中で、100年前に世界を席巻したスペイン風邪によるパンデミックと新型コロナウイルスによるそれとの類似点を論拠に、今回のパンデミックを乗り切る指針を多角的に分析、提示しています。
 長い文章ですが、私は一気に読みました。為政者やそれを受け入れている国民の状態を見て、私が大いに危機感を抱き、モヤモヤと漠然と考えていたことを代弁し、整理して語ってくれているからです。
 感情的には目をそむけたくなる残酷な事実にも冷徹な目で向き合い、考察し、将来を見通しているので、内容には震撼とさせられますが、正しく怖がらせてくれているので、むしろ冷静な気持ちにさせてくれました。

 その意味では、ドイツのメルケル首相が3月18日に国民に向けて行った演説とも共通していますね。藤原氏もそれを文書内でリンクしていますが、ここにも貼りつけておきます:メルケル首相の演説全文
 ドイツ国民の7割近くが連立政権のコロナ対策に満足しているという事実は、メルケル首相の国民目線に立ったこの演説に負うところが大きいのではないでしょうか。緊急事態宣言が出る前に私はこれを読んでいたので、AB(ドイツ語読みしてね)首相の宣言には失望するのみでした。

 閑話休題…また、藤原氏の提案は示唆に富んでおり、私が気づけなかったことがいくつもありました。例えば…(私の言葉でまとめています)
 ・コロナに加え、さらに自然災害が起きたときの対応を地方自治体は考えておくべき。
 ・清掃崩壊(清掃業者が感染して崩壊が起きる可能性)も危機である。
 ・消毒文化の弊害もあり得る(人々が潔癖主義にとりつかれ、体内微生物相の弱体化や免疫系統への悪影響が起こる可能性がある)。

 また、藤原氏の文書の最後の部分に、私は特に快哉を上げました。
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 パンデミック後も生き残るに値する国家なのかどうかは、(中略)死者数の少なさも最終的な判断材料からは外れる。試されるのは、いかに人間価値の値切りと切り捨てに抗うか、いかに感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つかだ
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 そして、その後に引用された、武漢の作家である方方が封鎖の日々を綴った日記の中で述べた言葉も、とても印象的でした。「一つの国家が文明国家であるかどうかの基準は、(中略)ただ一つしかない、それは弱者に接する態度である。」

 さらに、この部分も引用して強調したい部分です。 
 フランスのマクロン大統領は「我々は戦争状態にある」と繰り返し、米国のトランプ大統領は「戦時下の大統領」と自らを呼ぶが、これらの言葉は「緊急性を高めることのみならず、異論を弾圧することにも極めて効果的な言葉」であり、「異議申し立ての抑制こそが新型コロナウイルスによる被害を増大させるだろう」と。

 

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 今回の一連の騒ぎを見てきて、日本の社会について私が一番感じることは、民主主義の未熟さです。あまりに未熟で横暴な為政者…それをリーダーとして永らく据えてしまっている未熟な国民…その為政者の下でその国民に発せられた、民主主義に照らしてさまざまな危険をはらんだ宣言…。民主主義の維持や発展は、憲法12条で自由と権利について謳われているのと同様に、国民の不断の努力で培われるものだということを実感しました。私を含め、国民の多くがその大事なことを忘れてきた結果が、日本の未熟な民主主義社会そのものなのだと思います。日本人が発展させてきたのは民主主義ではなく、市場経済主義だったにも拘わらず、その二つを混同していたように思います。物的にも人的にもサービス的にも恵まれ、豊かさや便利さを享受することが当たり前になってしまったからでしょうか…。日本国憲法が民主主義社会を支えてきたという厳然たる事実を、忘れてしまったからでしょうか…。

 最近、スーパーや薬局のレジ係の方たちを見て、その手が荒れていることに気づきました。消毒を繰り返しながら、いろいろなストレスと闘いながら、仕事をされているのだろうなと思いました。でも、今頃私は気づきましたが、メルケルさんはくだんの演説の中で、すでにそのようなことにも触れていたのですね…。
 日頃はぼんやりしていて気づかないけれど、コロナが気づかせてくれたささやかなことにも感謝したいです。そういう方たちに、「お疲れ様」と声に出してはなかなか言えないけれど、これまでレジで口にしてきた言葉を、今までより気持ちを込めて言いたいと思います。「お世話様」と。
 

 「ただでさえ不安な日々なのに、こんな長い文章を読むなんてうんざり! 迷惑千万だ!!」という皆さんの声が聞こえてくるようです。
 でも、「本当に怖いのはウイルスではなく、ウイルスに怯える人間だ」と藤原氏は言っています。だからこそ、正しく知って正しく怖がることが大切なのですね。免疫力を維持し、コロナと長期的に共存していくためには、リラックスすることも大事ですが、民主主義国民として未熟な私たちが今できることは、リラックスすることで思考を停止させるのではなく、冷徹な頭でリラックスすることなのではないかと私は思いますが、いかがでしょうか?

 

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【後日追記】(2020.4.28)
 藤原氏のこの文章が、昨日27日付の東京新聞朝刊の特報欄で取り上げられました。
 記事は、文章の内容の紹介と記者の取材に基づいてまとめられたもので、「反響を呼んでいる」「アクセス数は3週間で41万件を超えた」とあります。私としては、そのアクセス数にとても勇気づけられました(^^)v

 記事の中から、特に伝えたい部分を紹介させてください。(『』で囲んだ部分が藤原氏の言葉です):
 「パンデミックはいずれ終息する。『その時、為政者によって、コロナに打ち勝った、という勝利と復興の物語に切り替わるだろう。』 解放感のあまり、人々は恐怖も生命のリスクにさらされていたことも忘れ、大イベントへと突入していく
 『みんな歴史を忘れてしまうけれど、これはとても罪なことです。だって、私たちはもう知ってしまったから。決してコロナ前には戻れない。』と藤原さんは警鐘を鳴らす。国民の声に耳を貸さない政権の脆弱(ぜいじゃく)を見てしまったし、子どもや派遣労働者、弱い立場の人たちに負担をしわ寄せし、防護服もマスクも税金で手当てできないまま働く医療従事者に、命を救われたことも知ってしまった。
 『コロナの犠牲の上に認識できた問題を、決して忘れてはならない合理化の下に人間を切り捨てることのない、新たな社会の構築に力を尽くすことは、生き残った人たちの責務だと思います。』

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 (※ すべての文中の太字化はブログ管理人によります。)

 

 またまた冗長な文章を読ませてしまい、本当に申し訳ありません。最後までお読みくださり、誠にありがとうございました

 スペイン風邪がスペインではなくアメリカで発生したものだということを知らなかったtakuetsu@管理人でした(^^ゞ

 


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2 コメント

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「制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるもの」 (chika)
2020-04-17 12:03:49
「冷徹な頭でリラックスすること」
その通りですね!
返信する
chikaさんへ:こちらにもありがとう!!! (takuetsu@管理人)
2020-04-17 23:43:10
chikaさん、冗長な文章を続けて読んでくださり、本当にありがとうございますm(__)m
書いた甲斐があるし、励みになります!
返信する

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