えつこのマンマダイアリー

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新型コロナ徒然考2022 ~コロナワクチン疑義短歌(6)~

2022年12月17日 | 新型コロナウイルス

(↑ 2022年10月31日 町田市小野路奈良ばい谷戸にて撮影 ※記事内容とは関係ありません。)

 

 こちらの過去記事から始めた「コロナワクチン疑義短歌」シリーズの総括回です。一応総括として位置づけますが、短歌は随時追記していくつもりなので、その場合はその記事を再掲載する形でお知らせしていきます(現に、5回目記事に追記しました)。また、今後は、短歌の形ではなく、今まで敢えて避けてきた「他者による発信情報」を随時紹介していくかもしれないので、このシリーズを終えるわけでもありません。今後も新型コロナワクチンシリーズの記事におつき合いいただけると嬉しいですm(__)m

 さて...いきなりテーマとは無関係のように見える問いかけで恐縮ですが、みなさんは次の言葉をどういう意味で使っていますか?
  A いい加減
  B やばい
  C 全く
 Aは、ほとんどの人が「適当な、適当に」というあまり良くない意味で使っていますよね? でも、ご存じのように、元は「良い加減」という肯定的な意味でした。Bは世代によって違うと思いますが、若者は「すごい」という良い意味で使うようになりましたよね? Cは、元は「全く~ない」と否定の表現に使われていましたが、今や英語で言うところの「very」や「indeed」という肯定や強調の表現で使われるようになりました。つまり、AもBもCも、使われるうちにオリジナルの意味とは全く反対の意味(ほら、私も使ってる!)に転じた言葉の代表格です。
 では、次の言葉に違和感はありませんか?
  D 一生懸命
  E 一番最初/一番最後
 Dの元の形は「一所懸命」。「一生、命を懸け続ける」のではなく「一つのことに命を懸ける」です。意味が忘れられ、リズム優先で誤用化したものでしょう。Eは、本来なら「最初 or 一番初め」/「最後 or 一番後」ですよね。リズム優先で誤用化した例でしょう。
 では、次の読み方に違和感はありませんか?
  F 間髪を入れず:かんぱつをいれず
  G きら星のごとく:きらぼしのごとく
 Fの読みは、「かん、はつをいれず」。「間髪」という単語があるのではなく、「間に髪1本も入る隙がないほど短い時間」です。Gは「きら、ほしのごとく」(「き」にアクセント)。「きらきら星」に釣られたのかもしれませんが、元は「綺羅(あやぎぬ・うすぎぬ=美しい装束 or 装束を着た人)が星のごとく居並ぶ様子」を形容した表現で、今では比喩的に使われますよね。FGも元の意味が忘れられ、言いやすさや他の言葉に釣られて誤用化した例だと思います。 
 次はどうでしょうか?
  H 「お体ご自愛ください」
  I  「私は彼女の言葉に憮然となった」=「私は彼女の言葉にむっとした」
  「今、彼は家におられますか?」(彼に対し、尊敬語として「おられる」を使っている)
 どれにも違和感はありませんか? Hは「ご自愛ください」だけでOK。「自」に体が含まれるからです。意味を深く考えないで使っているうちに、誤用化した例だと思います。Iは「むっとした」のではなく「呆然とした or がっかりした」。音の印象から意味が誤解され、誤用化した例でしょうね。Jは「おられますか」ではなく「いらっしゃいますか」でしょう。「おる」は元々「いる」の謙譲語なので、それを尊敬語に転化して使えば明らかに誤りですよね。文法が忘れられて誤用化した例ですね。
 今や、アナウンサーや有識者までもがどれも当たり前のように使っていますが、AJまですべてが"誤用の慣用化"の類ですよね。みんなで気づかずに( or 気づいていても、流されて)間違って使っているうちに、あるいは音やリズムに釣られて使っているうちに、誤用がいつのまにか慣用化したものばかりです。言葉は話し言葉(=音)が優先されるので、ごく当たり前の現象でしょうし、枚挙に暇がないほど、言葉とは元来"誤用の慣用化"という変化の連続で成り立っているものだとも思います。私自身もそういう言葉を多用しているはずです(^^;
 かように、なんとなく過ごしていると、言葉は"誤用の慣用化"がどんどん進みますよね。特に、意味や概念、つまり本質を忘れて or 知らないで使っていると、これらのような現象が起こりやすいと思います。有識者でも専門家でも、間違うときは間違うのです。あるいは、"時流に忖度する"とでも言いましょうか、良い言い方をすれば"変化に対応する"とでも言いましょうか、間違っているとわかっていても周りに合わせて敢えて誤用する(=「赤信号 みんなで渡れば怖くない」)、ということもあるかもしれません。自分だけが正しく使うことで逆に目立ちたくないと言いましょうか、自分の方が逆に間違っているかのように思われたくないと言いましょうか...そこには、日本人特有の「出る杭になって打たれたくない」「少数派になりたくない」という意識が根底にあるのかもしれません。特に、自分の考えや自分自身に自信を持ちにくくなってしまった現代の日本人は、確たる根拠や明確な自信がないからこそ、多数派に属して安心していたいのだろうと私は思います。

 いきなり何が始まったかと思われるかもしれませんね。一体何が言いたいかと申しますと...この現象は知識や知見にも同じことが言えると私は思うのです。知識は言葉をベースに成り立っているからです。そして、それは思考力に大きく影響するでしょう。思考は知識や知見を基に行われるからです。みなが間違って認識していても、それに気づかず周りに流されていれば、いつのまにか間違った知識や知見が正しいものとして認識されるようになります。そのことが、このコロナ禍で露わになったと、私は感じているのです。大勢が信じることが、たとえそれが間違っていようがいまいが、「正しいこと」として認識されるようになり、少数派の考えが、それが本当に間違っているかどうか証明されていないにも拘わらず、間違っているかのごとく認識されたり、「陰謀論」として一蹴されるようになる...。それが新型コロナやコロナワクチンに関する認識について多々起こったと、私は感じているのです。

 ここで話が飛びますが...ビル・ゲイツ氏が、コロナワクチン接種率の低いアフリカにワクチンを行き渡らせると宣言しましたよね。一見、彼の言動は「さすがゲイツ! すばらしい!」と称賛されるようなことかもしれません。でも、ちょっと待ってください。アフリカで接種率が低いのは、貧しくてワクチンを充分量買えないからでしょうか? そうではありません。先進国の製薬会社が支援の名の下にアフリカの小児を対象にワクチンの治験を繰り返したことにより、多くの子どもが犠牲になってきたことを、アフリカ諸国のリーダー達は承知しているのです。そう認識しているからこそ、敢えて接種しない選択をしたのです。このことを鑑みると、ゲイツ氏のこの言動の意味合いは違って思えてきませんか? さらに言えば、コロナワクチン接種に反対して導入を拒否したアフリカ諸国のリーダー6名が、次々と短期間に亡くなっているのです。たまたまなのかもしれませんし、「まさか~、それこそ陰謀論でしょ!」と思われるでしょうが、事実は事実です。
 もう一つわかりやすい例を挙げると...イーロン・R. ・マスク氏がツイッター社を買収し、従業員の半分を解雇したと言われていますが、彼の生い立ちや考え方を知らなければ、「なんと横暴な...」「今までのように投稿を監視しなければ、誹謗中傷やフェイク情報が氾濫するのでは?」と思われるかもしれません。大方の見方はそれでしょう。でも、アパルトヘイトを推進していた南アフリカ政府のプロパガンダとフェイクニュースが氾濫する社会で、彼が白人側として育ち、非白人側の立場について無知だったことを悔いているような発言をしていることを知れば、彼がツイッター社の運営を民主的に戻そうとしていて、その結果、大方の予想とは違う展開があるかもしれない、などという見方も可能ですよね。さらに、半分もの従業員を不要とみなしたということは、逆に言えば、「今まで、それだけの人員と資金を投じて、民間の一企業が世界の言論を統制してきたということなのでは?」という見方もできますよね。実際に、当社は一国の大統領であるトランプ氏のアカウントを凍結しましたし、コロナ禍以降はコロナワクチン推進に不都合な意見をことごとく削除(英語でban。ワクチン反対派は国内外共通して"BAN"と表現しています)してきました。なにも私は、何かと物議を醸してきた彼のやり方を擁護しているわけではありません。彼の真意は図りかねますし、この措置の結果がどう転ぶかも誰にもわかりません。ただ、物事の視方として、彼の言動の理由としての社会的背景を鑑みると別の視点もあり得るのではないかと、私は例に挙げているのです。
 このように、背景にある事実を知っているか否か、背景を考慮するか否かや、視点の持ち方次第で、一つの事柄が良いことにも悪いことにも、つまり正反対にも見えてしまうということです。このことを、私のある友人が「物事は表裏一体だ」と表現しましたが、まさにその通りですね。視点を変えると違う情報が入ってくるので、事実は違うものに見えてくる...逆に、視点を固定すると、その視点で見ている範囲からしか情報が入らないので、思考がそこで止まってしまうのです。視点の固定は思い込みにつながり、ひいては思考回路のロック状態につながります。「『そんな悪事(わるさ)しないでしょ』という性善説 他の前提を排除する」という短歌を私が詠んだのは、残念ながらそういう意味合いにおいてでした。
 ですので、世界中の人々が同じ現実を見ていると、ある一つの現実を共有していると思ってはいても、実は、その"現実"は今目の前に見えている世界だけではないということ...ある人に見えているものは"見えているとその人が思っているもの"であり、見ているものは"見ているとその人が思っているもの"に過ぎないので、ある"現実の像"は人によって違ってくるということですよね。

 ところで、現在、私の周りでは不可解なことが起こっています。私を含めたワクチン未接種の親族7名(懐疑派・不要派・接種不可といろいろです)は、今のところ誰もコロナを発症しておりません。逆に、私の周りで発症した8名は、ドイツにいる娘夫婦を含め、全員2回目か3回目接種後のブレイクスルー感染です。これが私に見えているワクチン接種を巡る不可思議な"現実"です。
 みなさんの周りではいかがでしょうか? 接種後の不可解な体調不良や長引く不調に苦しんでいる人はいませんか? 私の娘は、ブースターを打ってしばらくしてから、生理周期が少しずつ短くなってきています。まだ30代ですよ(^^; ある美容師さんは、男女問わず薄毛がすごく増えていると言っています(^^ゞ それで思い出しました。私の友人の息子さんが3年ぶりに海外から帰国したところ、あまりの変わりように「これが我が子か?!」と驚いたと言っていましたっけ。脱毛がひどかったのだそうで。
 私の地元の友人の妹さんは、3回目接種後だいぶ経ってから、夜中に突発性頻脈が起こって救急搬送され、ICUで2日間治療を受けて事なきを得ましたが、処置した医師が言ったそうです。「最近こういう患者さんがすごく多いんですよ」と。明言を避けてはいても、ワクチンの副反応であろうことを言外に匂わせていたとのこと。その妹さん、お姉さんの説得に耳を傾けずに3回まで接種してきましたが、こう言ったそうです、「なんでもっと強く反対してくれなかったの?!」と(^^;
 さらにその友人の友人のお孫さんは、接種後の体調不良で中学校に行けなくなり、受験を控える身でありながら地方で静養しています。そのお嬢さんを幼い頃から知っている友人はとても心を痛めています。「あんなに元気だったのに...」と。
 その友人の住む場所は地元でも高齢者の多い地域ですが、直前まで元気だった高齢者が急死する例が相次いでいるとか。私が直接知っている人のお隣りの方も急死しているのです。行きつけの美容院のオウナーは「この辺りでバタバタ急死している」と表現したそうです。お客さん相手の商売なので、情報が集まるのでしょう。
 それでも、今これを読んでくださっているみなさんを含め、大方の人は、それら不可解な症状や急死とワクチン接種とを結びつけることはしないでしょうね...。11月11日現在、厚労省が正式に認めている接種後の死亡者は1,908人、重篤者は25,892人ですが、厚労省の副反応検討部会の副委員長なる何某氏(現在は替わっているようです)が何ヶ月か前のリモート会議で「実際の副反応は少なくとも10倍はあるだろうという心象です」と述べているリーク動画(内部告発?!)を、私は見たことがあります。政府も大手メディアもそんなことはおくびにも出しませんが、少なくとも、昨年1年間の、あるいは今年の今までの月日での"超過死亡数"の異様なくらいの多さは、その言葉と結びつきそうです。東日本大震災のあった2011年をはるかに凌駕する数字ですから...(^^;

 はい、ここでまた話が飛びます(疲れるでしょ?!(^^;)。
 科学とは常に進歩しているもの、というのが一般的な認識だと思います。進歩=良いこととも認識されているので、「科学の進歩に多少の犠牲はつきものである」というのも共通認識ではないでしょうか? ワクチンはその最たる例ですよね。一部の人に後遺症や死亡などの犠牲が出ても、その他大勢に利するものであれば、許容されるべき...? でないと、科学は進歩できない......??? 
 では、どれくらいの割合ならその犠牲を許容できるのでしょう? 100人に一人ならダメだけど、10万人に一人ならOKなのでしょうか? その割合を誰が決めるのでしょう? あるいは、他人に起こっても、自分や自分の大切な人間に起こらなければ許容できるのでしょうか? でも、実際に犠牲になってしまった人やその家族/遺族にとっては、100分の1も10万分の1も関係なく、起きたことがすべてではないでしょうかね。たとえ自分自身や周りの大切な人が犠牲になったとしても、「科学の進歩に寄与しているのだから、致し方ないことだ」と、あなたは許容できますか? でも、これとて、「mRNAワクチンは優れたもの。人類の幸福と平和に寄与するもの」という性善説に基づいた思考ですよね。
 科学とは、元来、あらゆる前提に立ち、想像力を広げて仮説を立て、実験や資料に基づき、"自問自答"="トライ&エラー"を繰り返すことではないでしょうか? "自問自答"/"トライ&エラー"とは、性善説に立つことなく、前提をも含めた仮説、ひいては自分自身の思考方法そのものに、常に疑いの目を向けることでもあると私は思います。この場合の"自分を疑う"というのは、反論や反証にも耳を傾け、「自分は間違っているかもしれない。だから、もう一度別の視点で考えてみよう」という、冷静な姿勢と論理に基づいた謙虚で柔軟で積極的な思考です。感情的に異論を批判だけして排除し、自分にとって不都合な推論を"陰謀論"として断じ、一顧だにしないで自分の思考を過信していては、科学の進歩はないと私は思います。

 ここで改めて、みなさんに本題に関して問いましょう(ようやくか...?!(^^ゞ)。
  Q. 今回のワクチンを接種するとき、あなたはmRNAワクチンについて調べましたか? 遺伝子に関わる仕組みで、従前のワクチンとは全く違う機序で働くことを知っていましたか?
  Q. mRNAワクチン開発者自らがワクチンの使用に懐疑的であることを知っていましたか? つまり、開発者の意図とは乖離して、mRNAワクチンがビジネス化して推進されていることを認識していましたか?
  Q. 今のワクチンが治験中であることを知っていましたか? 自分がプラセボ(偽薬)に当たるかもしれないことを承知していましたか?
  Q. 治験中の任意接種だからこそ、良からぬことが起こっても自己責任になってしまうことを知っていましたか?
  Q. PCR検査の開発者(2019年没)自らが、「感染症の同定に使ってはならない」と言っていたことを知っていましたか?
  Q. 日本のPCR検査では、粘膜上にある微量のウイルスを世界一高い基準で増幅して陽性とし、さらに陽性=感染と言い換えてメディアが報道していることを知っていましたか?
  Q. 他の病気や交通事故死で亡くなっても、死亡時にPCR検査陽性であれば、"コロナ死"とカウントされていることを知っていましたか?
  Q. 今や、未接種者より接種者の方がコロナ発症率が高いことを知っていますか? それでも、接種者が未接種者をコロナから守っていると思っていますか?......  
 問いはエンドレスに続いてしまうので、究極の問いを最後に...
  Q. 「国民の命と生活を守る」と連発する一方で、今までさんざん民意を無視してやりたい放題、今も、安全保障政策の大転換や防衛費増額のための増税を閣議決定して暴走中...国民から隠したり国民を欺いたり時には脅したりしてきた日本政府が、本当に国民を守るためにコロナワクチンを推進していると思いますか? もしそうなら、なぜそこだけ政府を信用できるのでしょう? 何を根拠に信用するのでしょう? アメリカの顔色ばかりをうかがって沖縄県民を盾として使い、ヒロシマ・ナガサキの被爆者もビキニ・フクシマの被曝者も顧みない政府ですよ。「いくらなんでも、国民の命や生活をかけて悪さはしないでしょう」という、漠然とした希望的観測に基づいているのではありませんか? いわゆる”正常化バイアス”が働いているとはいえないでしょうか?
 それこそ、「『そんな悪事(わるさ)しないでしょ』という性善説 他の前提を排除する」ではないかと思います。

 冒頭で問いかけた誤用化した言葉について、誤用だという認識を持っていなかった方...そして、今問いかけたことについて「知らなかった」「調べなかった」「考えたこともなかった」という方は、ぜひ今一度立ち止まり、最初に戻って、コロナやワクチンについて"自問自答"してみてください。そのためのキーワードを、私は5回のシリーズで100首以上の短歌にちりばめてきました。一つでも疑問に思ったことをご自分で調べ、考え直すきっかけにしてくだされば嬉しいです。
 そのときにどうしても気になるのが専門家や有識者の言動ですが、冒頭に言ったように、そういう人たちも万能ではありません、間違うときは間違うのです。「専門家が言ってたから...ノーベル賞受賞の科学者が言ってたから...」ではなく、「テレビで言ってたから...新聞に書いてあったから…」でもなく、自分が「あれ?」とひっかかったことをうやむやにせず、自分で調べ、自分で考えることが大事だと思います。
 その結果、今お持ちの考えが変わらなかったとしたら、それが現時点でのあなたのとらえる"事実"であり"認識"だと思うので、自分の考えに自信を持ったらよいと思います。また、考えが変わらなかったことで、あなたが無駄な時間や労力を使ったとは私は思いません。その過程で、あなたはいろいろなことを考え、学ばれたと思うからです。また、思考の結果、選択がどう転がろうが、自分で納得して結果を受け入れることができるだろうと思うので、それがひいては自分を守ることにつながるのだろうと私は考えます。
 コロナや今回のワクチンに限らず、なんとなく周りに流されるのではなく、質の高い謙虚な"自問自答"を繰り返す努力をすることが、自分の生活の質の向上につながり、周りの人のそれにつながり、ひいては自分の属する社会全体のそれにつながるのだと思います。そういう市民、社会になってこそ、権力者やインフルエンサーの暴走を許さず、国民の基本的人権の尊重された国家になるのではないでしょうか...。なんだかだんだん大袈裟になってきましたが、健全な国家でないと、国民は健全には暮らせませんよね。辛く苦しいばかりです。でも、今、私たちは、この日本でそういう辛さや息苦しさを感じてしまっているのではありませんか? 

 閑話休題...ここで少し前に戻ります(自分でも疲れるよ(-_-;)。
 先ほど、「"現実の像"は人によって違ってくる」と書きました。コロナ問題しかり、ロシアのウクライナ侵攻しかり、情報は玉石混交、混然一体、事実は表裏一体で、どちらの側にもフェイクニュースがはびこり、どちらが真か偽が、何が玉か石か、どれが現実の実相か、とてもわかりにくくなっているのが現在の国際社会だと思います。自分の耳目で直接真偽を確かめられないことが多過ぎるからです。また、インターネットの技術の発達と汎用の拡大により、瞬時に情報が伝わる反面、交錯や混乱も起きやすいことも、実相をわかりにくくする要因の一つかもしれません。簡単に情報を書き換えたり編集したりできるし、受け手の思考回路をくぐる結果、伝言ゲームのように情報が変異し、オリジナルソースを離れて情報が独り歩きしてしまうことも多々起こります。それを敢えて利用する情報隠蔽や情報操作も、いとも簡単にできますよね。
 でも、そのような、みなが共通して同じ現実を見るのがむずかしい情報戦社会の中では、何が真実なのか実相なのか、誰にもわからなくなりますよね。現実がわからなくなれば、人は考えることも動くこともできなくなってしまいます。不安や恐怖にかられ、現実から目をそむけることになりかねません。ただでさえ少数派になることを避けたい日本人は、深く考えもせずに多数派になることを選択しかねません。そう、コロナ禍でそうなったように...。
 では、どうしたらよいと思いますか? どうしたら個々人が"真実とおぼしきもの"="実相に近いもの"にできるだけ迫り、それに対応しながら安心して暮らせるでしょうか? もちろん、それぞれが右脳と左脳両方を磨くことが大事だと思いますが、一朝一夕になせるものではありませんよね。
 それでは、わかりやすくジグソーパズルで例えてみましょう。完成しないと全体の絵図がわからない、形が全部違う10,000個のピースからなる「真実」というタイトルのパズルを想像してみてください(^^; 膨大なピースの一つ一つを適切な位置にはめ込む気の遠くなるような作業...一人でやるには時間がかかるし、困難を極める作業です。でも、大勢の人間で一つのパズルに取り組めば、より精度の高い絵図がより短い時間でできあがるのではありませんか? また、多少ピースが足りなくても、8割くらいが埋まれば大体の輪郭は描けますよね。左脳で理性で同意/牽制し合い、右脳で感性で共感/反発などし合って切磋琢磨しながら、仲間同士が力を合わせることで、"真実とおぼしきもの"により近い絵図ができあがるのではないでしょうか? 
 その絵図は、ひょっとしたら醜悪で残酷で悲しいものかもしれません。でも、それがどんなものであれ、そうやって実相に迫った"現実"を受け入れて対峙した上で、他者と協力して磨いた知力と感性とを"盾"に自信という"矛"を持つことでしか、権力や資本を"盾"に倫理なき手法で"矛"を突く人たちから身を守ることはできないと私は思うのです。「熱狂が『私』を蝕(むしば)む」とは、群衆心理学で有名なギュスターヴ・ル・ボン(フランスの心理学者・社会学者・物理学者)の言葉ですが、群衆を蝕むような熱狂ではなく、冷静な熱意と論理とそれに基づく努力が、人を、集団を、社会を、より生きやすい場所に変えることができると私は思うのですが、いかがでしょうか?

 全く(ほらね、私もこの言葉を"indeed"の意味で使ってしまっていますよ(^^;)...私が書くとこれだけまどろっこしい文章になってしまいます。簡潔な文章を書けない頭の悪さをお許しくださいm(__)m 長くなることがわかっているからこそ、疑義短歌の形にしました。でも、なぜ私はこれだけの時間と労力を割いて、こんな短歌や文章を書き、みなさんに伝えようとしているのでしょうか? (mRNA)ワクチン反対派であることさえも表明するのにはばかられるような同調圧力の強い日本でこんなことをすれば、変わり者、偏屈者、愚か者、自己中、ヒステリック、陰謀論者扱いされるのがオチです。でも、そういうリスクを尻目にこういう行動に出ているにはそれなりの理由があると、その考えや想いに想像を巡らせてはいただけないでしょうか? 先ほど触れたように、「今回のワクチンの副反応や後遺症で苦しむ人が後を絶たない。発表されている数字は氷山の一角」「過去最大の薬害になりつつある」「mRNAワクチンは危険で、利益より害の方が大きい」というのが、私たち反対派の視ている共通認識としての”現実"だからです。
 では、「それはそれでいいとしても、危険だと思うなら、自分が接種しなけりゃいいことじゃないか。なんで自分の意見を人に押しつけるようなことをするんだ?」とお思いかもしれません。確かに、治験中のワクチンなので、長期的な治験と時間を経なければ、誰にもワクチンの功罪はわかりません。ですが、その時間と治験の結果を待っていたら犠牲が拡大するだけ、それどころか取り返しのつかない事態になるかもしれないと、私たちが切迫した強い危機感を持っているからなのです。さらに悪いことには、これがワクチンだけにはとどまらないこと...日本社会の諸問題と、いや、世界の諸問題と、このワクチン問題が通底していることを、私たち反対派がこれまで描いてきたジグソーパズルの絵図が明らかに示しているからなのです。すでに詠んだ短歌「日本(にっぽん)はずっとアメリカのゴミ処理場 原発・軍需・農薬・ワクチン」「コロナ問題それだけ見てもわからない 世界のあれこれ通底している」に込めた意味はこれなのです。
 現実から目を背けて逃げる方がよほど楽なので、うすうす現実に気づいてはいても、対峙しない人も少なくはないことでしょう。私自身もその例に洩れず、この疑義短歌を掲載するまでの1年余はそうでした。でも、それによって足許がすくわれることになっても、選択できる大人はまだいいですよね。一方、未来の時間が多いにも拘わらず、自分で選択のできない子どもたちはどうでしょう? 現実から逃げて大人が足許をすくわれれば、子どももそうなります。次世代を、子孫を守れなくなるばかりか、大人世代のツケが子孫に回るだけなのです。また、自分の直系の子孫だけを守っても、彼らが生きている社会全体をも守らなければ、彼らは生きていけませんよね。自分一人で自分の子孫だけを守るのではなく、みなでみなの子孫と社会を守る必要があると私は思うのです。
 嫌われるのを覚悟で申し上げますが...深く考えることもせず確固たる自信もなく、多数派に属することを選んで接種している方...これでもなお反対派を冷笑し、現実から目をそむけ続けますか???

 繰り返しますが、何が正しいか、どうするのがよいのか、現時点では誰にもわかりません。だって治験中なのですから。私自身も、「私の今の考え方はこれでいいのだろうか?」と日々心揺れながら、常に"自問自答"を続けています。ですので、もし"上から目線"に聞こえてしまったとしたら、私の本意ではありませんし、そういう不遜な印象を持たれてしまったとすると、それは私の未熟さの致すところで、大変申し訳ないと思います。この長ったらしい文章の意図は、自分を正当化しようというのでもなければ、自分と異論を持つ人を説得しようというのでもありません。「異なる立場や考えを超え、みなで協力して精度の高い”私たちの現実”という絵図を描き、憲法で保障されている主権を取り戻し、それに基づいた明るい未来図を一緒に描きましょうよ」と伝えているつもりです(なんだ、一つの文章で言えたじゃん?!(^^ゞ)。推進派だ、懐疑派だ、反対派だと対立したり、ワクチンに限らず「私は私、あなたはあなた。どうしようと勝手でしょ」とバラバラでいては、悪い人たちの思うツボで、その"矛"から自分自身をも子孫をも守ることはできないと思うからです。意見や立場は違っても、"盾"として一枚岩にならないと、悪い人たちの"矛"を交わすことはできないと思うからです。残念ながら、それほど"世界の悪い人たち"は狡猾で、その"矛"は強力ですよ......(^^;

 最後に(まだあるんかい!)、先日の過去記事の最後で引用、強調した言葉を、再度掲載して締めたいと思います。
 「国民よ、国に騙(だま)されるな。正気を保とう。自分の頭で考えよう」by 前川 喜平氏
 「考えることなく米国に従う自民党、考えることなく自民党に従う国民。そして旧統一教会に従う自民党と国民。(中略) マインドコントロールの中で隷属してきたのは信者だけだったのだろうか?」by 田中 優子氏

 

 15年9ヶ月のブログ生活の中で最長文章の記事となりました(^^; 長らくの、本当に長らくのご清聴に心から感謝いたしますm(__)m 

 ♪玉石混交の情報から玉を選り抜くバランスよい右左脳
 ♪ブラッシュアップしよう 右脳は自然の中で 左脳は自問自答で
のtakuetsu@管理人でした。

 


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