おはようございます!
今日は、何の日??
さてさて、上賀茂さんの最終回!
写真の羅列にて・・・
「高倉殿」
一般の参拝者が上賀茂神社本殿や権殿を拝める場所です。
ここからは、撮影禁止でございます。
ここにも釣ってます・・・例の30万円の釣灯篭^^
お馬みくじ・・・・
やってません^^
ここは、これですね。
人気あるみたいです・・・・
ここからの様子は、伊勢神宮に似てますね??
上賀茂・下賀茂とくれば・・・・
京都3大祭りの一つ
”葵祭り”
賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行われる。古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。
この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということである。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。
祭の起源と沿革は、今から約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるというので、若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったという。
また、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという、国家的行事になった。
なお、応仁の乱(1467-77)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、1871年(明治4)から1883年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)まで、中断や行列の中止があった。しかし王朝の伝統は忠実に守られてきた。
ほんとに、ゆったりした平安時代を偲ばせる行列・・・
来年は、是非行きたいのですが??
平日やと無理やけどね^^
祭りのヒロイン・・・斉王代
歴代の美人さんたちhttp://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/aoi/saio/saio_index.html
行きたくなりましたやろ
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080730
世界水泳がやってますが、決勝が夜中になるさかいに見れません・・・
でも、夢の中で応援してまっせ^^
・・・山賊さん
おはよ^^
どないでっか~~~
腰は??
頑張ってね!
・・・S.Nさん
おはようございます!
昨日は、久しぶりの34度の真夏でした。
でも、夜中はまた雨・・・
いつまで続くんですやろ??
昨日は、中日に豪快な勝ち方
その勢いで今日も・・・
頑張ってください。
・・・あぷりちゃん
おはよ^^
あと2日か・・・
>この間、一日寝たから今日あたりでも まだまだ元気印ですよ~~
そろそろ、パワーも落ちたはず
頑張ってね!
今朝も良いお天気でまた暑く成りそうですね。
昨日はやっと勝って対に成ったので今日も戴きたいですね。
中日さん勢いが有りますよね。
こちらは打線が晴れたり・曇ったり・雨に成ったりで波が激しいので連勝が出来ませんよ。
頑張ってもらわないと・・・・・
でも、すべて1件ずつで少人数なんだよね。
もう一組ぐらいか人数が多ければチョットは余裕が持てるんだけれどね。
何はともあれ、去年に比べればお客さんのペースは倍増はしているから良いとするか。
去年が少なすぎた結果なんだけれどね。
エ~~~ン持つかな~~????
もう寝ます!!!
あぷり