山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

広重「掛川 秋葉山遠望」の山は?

2024-05-13 14:55:22 | エッセイ

歌川広重の有名な浮世絵、東海道五拾三次之内「掛川 秋葉山遠望」である。画に描かれている場所は東海道と秋葉街道との追分にあたる大池橋で、渡った先に秋葉山遥拝所が建つ。「秋葉山遠望」であるから、右に描かれている山が秋葉山ということになっているが、はたして本当にここから秋葉山を望むことができるのか、過日の 「塩の道」ウォークで話題となった。秋葉神社の裏手から鳥居と拝殿の延長線の方角を望んでみるが、これはどうも真北方向で見えている山は大尾山辺りではないかと思われた。秋葉山の方角はもう少し西となるはずだが、小高い丘に建つ住宅地に遮られ先の眺望は得られず疑問は残った。本当に当時、大池橋で秋葉山を望むことができたのか考察してみたい。

図1 秋葉山方向の山

図2 秋葉山方向の断面図

秋葉山山頂(885m)は、大池橋の遥拝所から見て北北西333°、距離25.7kmの方向にあたる(図1)。地図のとおり、この方角の秋葉山手前には、城ヶ平(天方城跡)248m、本宮山(小國神社奥宮)511m、高塚山496m、光明山540mなどがある。また、天竜川を越えた背後には橿山1059.2m、戸口山1026.7mが、稜線上の北側には竜頭山1352.1mがある。秋葉山方向の標高断面図を作ってみると、遥拝所から約15km地点のピーク(本宮山と高塚山を結ぶ尾根の中間にある580m標高点)に僅かではあるが遮られ、秋葉山山頂は望めないようだ(図2)。また大池橋地から北北西320〜360°の展望図をソフト『スーパー地形』で作成したが、やはり330°の方向に秋葉山は望めていない(図3)。それでは広重は、付近の少し小高い場所から秋葉山を遠望し、この画に嵌め込んだのだろうか? 試しに大池橋より秋葉山方向へ約1.1kmの54.7m三角点で試みるがやはり望めず、秋葉山が頂を覗かせるのはさらに100m程の高度が必要となった。やはり秋葉山はこの場所からは見えていなかったのだろう。広重の東海道五拾三次画において実景では見られない山が描かれるのは「小田原 酒匂川」、「金谷 大井川遠岸」などでもみられることだが、掛川においても同様にその方角にあるべき信仰の山として、実景にはない秋葉山を描き入れたのだろうか? あるいは画に描かれている山は、現在の秋葉神社上社が建つ885mのピークとは異なるのではないかという疑念が湧いてきた。

図3 遥拝所北北西の展望図

昼の休憩場所とした十二所神社(秋葉山遥拝所から北西方向に約1km)近くで、同行のIK氏が「あそこに見えているのは竜頭山だね」と話された。現役時代の勤務地がすぐ近くであった氏にとって、ここからの竜頭山の姿は見慣れたものだったに違いない。図3で掲げた展望図中の竜頭山を拡大してみた(図4)。この竜頭山と左の天神山(竜頭山南稜線1.4kmの1,260mピーク)を合わせた姿は、何やら「掛川 秋葉山遠望」に描かれる山の姿と似通ってはいないだろうかと思われた。

図4 拡大した展望図で見る竜頭山

北遠の常光寺山から秋葉山に至るこの稜線にはもともと古代から巨石(磐座)信仰があり、さらに中世になると熊野修験や白山信仰が入り込んで修験回峰の場となっていった。そうした神仏習合の修験道の霊場としての信仰を背景として、江戸期に入ると火伏の神としての秋葉信仰が広く普及していった。当時の秋葉信仰の中心は秋葉三尺坊大権現=秋葉寺(しゅうようじ)であり、その奥の院として竜頭山があった。

――秋葉寺の「奥の院」は竜頭山であった。「奥の院」ということは、一般的に元々の寺社の場所ということから、ここでは竜頭山が秋葉寺の元(神体山)になると考えられる。現在でも、竜頭山の西からの登山口に奥の院を示す道標(1769年銘)がある。竜頭山の標高は1,352mで、頂上に続く南側の岩群の場所にかつて祠があった。そこは現在、祠跡のある付近である。祠跡の岩が磐座と思われる。つまり、竜頭山が秋葉信仰の当初の聖地であり、後に頂上から200mほど低い天竜林道沿いへ大登山霊雲院が移され、さらにその後、赤石山脈の南端である秋葉山へ信仰の中心が移り、秋葉大権現が出来たと考えられる。

(「秋葉古道の成立過程と果たしてきた役割の研究」中根洋治他、 2012年『土木学会論文集 D2(土木史)』所収)

江戸期の秋葉信仰において「秋葉山」とは885mピーク(現秋葉山)に留まらず、稜線北方1,352mピークの奥の院(現竜頭山)をも含むものであったことは明らかだろう。とすると「掛川 秋葉山遠望」に描かれた山は、 あの場所から実際に望むことができた竜頭山だったのではないか。むしろ本来遥拝すべき神体そのものは竜頭山の方で、東海道追分を行く人々は奥の院=竜頭山を「秋葉山」として遠望したのだろう。「掛川 秋葉山遠望」の完成は1833年、広重は当時の盛んな秋葉信仰の様子を画に込めていたのだ。


4/28山伏周回

2024-05-13 09:58:53 | 山行

大谷崩れP(7:14)…蓬沢林道ゲート(7:17)…鳩胸尾根登り口(7:35)…1582標高点(8:36)…稜線(10:01〜11)…山伏(11:33〜12:05)…蓬峠(13:11〜20)…蓬沢林道終点(14:20〜25)…大谷崩れP(15:15) 距離:11.77km 累積標高:上り・下り1108m

メンバー:5名

会の若手のAK君に誘われ、鳩胸尾根から安倍奥の山伏に登った。快晴の天気に加えて、久しぶりにワクワクドクドクの充実した山行だった。鳩胸尾根は名前のとおりタフなルートだったが、ヤブっぽい箇所も少なく比較的歩きやすい尾根だった。蓬峠から蓬沢林道へのトラバースルートは踏み跡も薄く、15年前に清水のAH氏と歩いたことがあったが、ルートの状態はだいぶ変わっているようだった。終止引っ張ってくれたAK君、ON君には感謝。

苔むして良い雰囲気の鳩胸尾根

鳩胸尾根から大谷崩れを望む

山伏山頂に到着

南アルプス南部を望む

蓬峠からザレた斜面をトラバース

蓬沢の堰堤群