播磨癒しのまち歩き

自然観察しながら散歩(兵庫県・北播磨)
イベント鑑賞や野球観戦も好きでしたがこのご時世全く行けていません。

馬鹿音頭の謎

2013-09-10 11:26:20 | インポート

鳴尾の義民

(兵庫節発祥のきっかけになったのではないかといわれる
出来事『西宮市立図書館蔵の資料』より)

天正19年日
日照りがとくにはげしかった。
何ヶ月も雨は降らず、鳴尾村の用水はカラカラ。
どうにか田植えだけはすませたものの、
田んぼの稲は黄色がかって、今にも枯れそう。
連日連夜の雨ごいも効果はない。
農民たちの表情はカンカン照りつける陽光のもと、
日毎に暗くなっていった。

これにひきかえ枝川をへだてた隣の瓦林村は、
用水の便に恵まれていたので、
稲は青々、例年より育ちはよいくらいだ。

はじめのうちは瓦林村をうらやましがっていたが、
日照りが長引くにつれて、鳴尾の農民たちは耐えられなくなった。
水泥棒が重大な犯罪であることは良く知っている。
だが、隣村同士がこんなに不公平とは、
いくら天の仕わざとはいえ、ちょっとほどすぎる。

鳴尾の農民は緊急会議を開き、
瓦林の水を盗むことを決議した。
 共同謀議の成立だ。

ある夜、数十人の農民が、クワやモッコを持ってひそかに出動、
一夜のうちに村境の枝川の底をほり、瓦林村の新川からトイを通し、
鳴尾村の用水の水を引いた。
田んぼにはどっと水が流れ込んだ。
黄ばんでいた稲は、たちまち青くなった。
鳴尾の稲田は生き返った。

水を盗まれた瓦林村は、もちろんおさまるはずがない。
すぐ、ときの奉行所に訴えた。
鳴尾の農民の内、責任者25人が検挙された。
公判廷に出たこの25人の被告団は、起訴状の全文をあっさり認めた。
覚悟の上のことだったのだ。
あたりまえのことながら死刑を言い渡された。

この事情をきいた関白秀吉は、鳴尾の立場にいたく同情し、
「水がほしいか、命がほしいか、どちらでも好きな方を、とくに選ばせてやろう。」
といった。25人は口をそろえ
「私たちの命と引き替えに水をいただきたいと存じます。
そうすれば、子や孫の代まで助かります。」
と言い切った。
秀吉は農民たちのみごとな態度に感動し、25人の首をはね、
その代わりに鳴尾の用水権を認めた。

その後、鳴尾村は、水には困らなくなった。
命と水を引き替えた25人のおかげだ。
村人たちは毎年春になると法要をいとなみ、
25人の義民に感謝の祈りをすようになった。
西宮市甲子園三番町に、義民の碑が建てられた。
同六番町の浄願寺境内にも、
このいわれをきざみこんだ鳴尾義民碑が建てられている。

この25人の霊をなぐさめるために
時の代官佐々氏が主になって、
翌年の盆より毎年盆踊りを行ってきた。
佐々氏の名前は、踊り方の手振りを示す
「佐々(さっさ)踊」にのこされている。
(『兵庫県民俗資料』より)

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