大師といえばだれを思い浮かべますか。
弘法さんとかけっこう多いと思うけど、善導ちゃんってけっこう少ないと思うんだよね。
加東市のゆるきゃらで伝ちゃんっていうのがいるんだけど善ちゃんもけっこうすごいんだよ。
■自画像は4つある? |
日本に一つしかないといわれる自画像ですが、五峰山光明寺には全く同じ構図の画像が4つあります。 一つは円仁が伝えたといわれるもの。江戸期に徳川吉宗の命により模写されたものが二つ、 最後の一つは昭和に日本画家の芹生清氏により模写されたものです。江戸期に模写されたものの一つは、 大慈院の御影堂に安置されています。 いずれの模写作品も江戸期にはすでに損傷が激しかったといわれる 自画像の構図や色使いなどを探る貴重な資料でもあります。 |
■五峰山光明寺と天台宗の関係 |
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「播磨高野」といわれ、真言宗の名刹である五峰山光明寺ですが、 天台宗のお寺に特有の建物である常行堂があることなどから、 かつては天台宗とも深いかかわりがあったことをうかがわせます。 文明十七年(1486)赤松政則が三院十九坊を兵舎にあてたといわれており、 最盛期には播磨の延暦寺といってもよいほどの大寺院だったのかもしれません。 このことが善導大師自画像の謎を解くカギでもあると考えています。 |
■自画像は間違ってやってきた? |
自画像は別のお寺に行く予定だったというはなしがあります。 「大師は弘法にとられ」という言葉があるぐらい、 『大師』といえば真言宗の開祖空海(弘法大師)のことを想像します。 そんな真言宗のお寺で、善導が信仰されているのは、めずらしいことから、 「何かの間違いでは」というはなしが生まれたのかもしれません。 しかし、このことも他の善導の画像と滝野の善導大師自画像との違いを明らかにするカギだと考えています。 |
■キーワードは「五」という数字? |
自画像をもたらしたといわれる円仁は中国(唐)の五台山という仏教の聖地で、 五会念仏(ごえねんぶつ)という念仏の修行法を学び、日本に伝えたといわれています。 「五台山」は「五つ峯を持つ山」という意味もあり、「五峰山」と奇妙に符号します。 また五会念仏を大成させた法照(ほっしょう)という僧は後に「後善導(ごぜんどう)」 と呼ばれるほど善導の影響を受けています。五会念仏とは五段階に音階や早さを変えて念仏を唱える方法といわれています。 自画像に描かれた5体の阿弥陀仏と符号すると思いませんか。(ちなみに円仁が伝えた修行法を「常行三昧」といい、 その修行を行う建物が「常行堂」です。) |
■なぜ国宝にならないの? |
善導を題材にした仏教美術は大変多く、題材としては珍しいものではありませんが、 国宝に指定されているものはありません。画像では鎌倉期に描かれたものが一点あります 。滝野の善導大師の作成期が鎌倉期を下らないとされながらも、 それ以前のものとは断定されていないのは、鎌倉期以降の作品が圧倒的に多いことが影響しているのかもしれません。 指定を受けていないものの中にも、私たちの歴史を知る上で大切なものがたくさんあることを善導大師自画像は教えてくれています。 |
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