郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

戦時中の一こま 日露戦争

2020-03-05 10:52:44 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
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明治38年(1905)日露戦争において戦死された畑中直吉氏(宍粟市山崎町)の遺影




   墓には「故陸軍歩兵上等兵畑中直吉君碑」とある。明治38年3月10日、日露戦争において奉天城に向け進攻中交戦被弾し、野戦病院で死亡(21歳)。武功録には、「血染めの命令書を捧ぐ」と題して、命を賭して旅団長命令書を届けたことが記されている。3月10日付けで国の賞勲局総裁から金鵄(きんし)勲章が授与された。

   その後、同年6月6日町葬が行われ、兵庫県知事服部一三、宍粟郡長神原清太郎の弔辞が今に残る。明治38年10月に町民有志により碑が建てられ、その後、平成19年に改修される。







 地域の取材で、偶然尋ねた方が元横須自治会長さんで古墳のことと古墳上に建てられている墓について興味深いお話を聞くことができ、数日後、その墓の遺族の方に連絡いただき遺族の方のお話を聞き、また関係書類を見せていただきました。









 その後、日清・日露・太平洋戦争についての記事や出征・戦死者について、「山崎町史」を見るが、巻末の年表に、「日露戦争に山崎町からの戦死者計51人」と書かれていること以外、町村合併の際の資料散逸などの理由でまったく触れられてはいなく残念です。


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