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郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

切ったキンモクセイにまたクマゼミが発生

2023-07-29 16:09:32 | 日記
キンモクセイとクマゼミ

 近年ニイニイゼミやアブラゼミを見かけることが少なくなりました。子どもの頃クマゼミは珍しくて、見つけても木の高い位置に居るため、捕まえることが難しくその分捕まえたときはわくわくしたことを覚えています。時代は移り、数十年前に庭に植えたキンモクセイが大きくなり、いつしかクマゼミがこの木と庭を居場所として夏が来れば朝早くからシャーシャーシャーと賑やかな合唱を聞かされるのが我が家の「夏の風物詩」でした。

 このキンモクセイは、秋にいい香りを漂わせてくれていたものの、大きく茂り過ぎたため、落ち葉がトユを詰まらたり、庭を掃いても掃いてもきりがなくなりました。昨年5月思い切って幹の一部を残してほとんど切ってしまいました。そのため、昨年の夏は、セミの居場所がなくなり静かでした。それが今年になって細い枝が多く出たせいもあって、ここ数日クマゼミが鳴くようになりました。



▲古写真  セミ捕り(最上山)



▲庭のキンモクセイ 小枝が多く出てきました。



▲昨年切り落としたものの一部



▲クマゼミ  


クマゼミの一生と寿命を考えてみた
 
 セミは、何年(数年~7年)もの間、地中生活を経て、地表に出て、わずか1週間程の命という。地表ではオスは早朝より鳴き続け、メスに居場所を知らせる。大切な種を残すための貴重な日々だ。その日の為に地表に小さな穴を空け、木に登り脱皮する。それは長年地下生活で身を守ってきた防御服を脱ぎ捨て、新たな生活に羽根を身に着けることだ。卵から幼虫、そして脱皮(羽化)を成功させたものだけが、種を繋ぐことができる。7年ともいう長い地中生活の期間は詳しくわかってはいません。セミの種類、個体によって違いもあるのだろうし、居座った木の根っこの栄養分の違いもあるのでしょう。ちなみに、キンモクセイはセミの好きな木であるようです。
 そこで、セミの地上生活の1週間は、寿命全体のどれくらいの割合になるのか、計算してみました。すると寿命の1%にも及ばない0.27%ことがわかりました。

(計算式)  
地上の生活日数(推定1週間)÷ セミの寿命(推定7年とする)   
7(日)÷(7年×365日+7日)×100=0. 27% 

 この0.27%の数字を人間の寿命に例えると、どうなるのでしょうか。
計算では84日(3か月弱)の短い期間になります。
 卑近な例ですが、核シェルターに入った生活を余儀なくされたとして、一生で3か月しかお日様を拝めないことになります。分割しても1年に1日しか出られない計算です。
 セミの生活が暗い地下生活でかわいそうだとか、何をしてるんだとか、何を食っているんだとか、そんなことは勝手な人間の思いであるわけで、セミに聞いたらほっといてくれと返事が返るかも知れない。これがセミの生きるサイクルなのだから。  でも、長すぎじゃない……

(計算式)人間の寿命を仮に85歳とすると
85年×365日×0.0027=84日 3か月弱


クマゼミの地下生活期間の実証実験を思いつく

 この木には、卵を生みつけるスペースはほとんどなくなったので、7年前に産みつけられた卵(幼虫)があと5年間は毎年庭から出てくると考えられます。はたして6年後にはにはセミは出てこなくなるのかどうか、クマゼミの地下生活の期間を推定する実証実験を続けてみようかと思っています。
 このブログを最後まで興味深く見ていただいた方には、是非ともフォロワー になってください。そうすれば、実験結果を知るチャンスがありますよ。_(._.)_(笑)




▲枝に残されたクマゼミの抜け殻   





▲▼こんなところ(干していた風呂のマットや井戸縁)に這い上がっていました





◆城郭一覧アドレス



創作人形展と奥播磨かかしの里に行きました

2023-05-26 20:05:20 | 日記
創作人形と写真展

 NHKで紹介のあった創作人形展を見に、見野の里交流館に出かけました。
場所は、姫路城から東南にある四郷町にあります。この地域には多くの古墳があり、姫路市埋蔵文化センターにその遺物が展示され、保存されています。


▲見野の郷交流館


 見野の郷交流館の1F、奥の広いスペースに沢山の人形が並んでいました。それらはまさに、昭和の人々の何気ない日常の暮らしをテーマにしたものでした。





 今は見かけない「いろり」や「大八車(人力荷車)」その他生活の諸道具、それを手助けする家族の動きにぬくもりを感じました。ひとつひとつの人形がまるで命を吹き込まれたかのように、生き生きと笑顔を絶やさず家族と近隣の繋がりを大事にしている、そんな昭和の貧しくも生きる喜びをもった人々が描かれていました。

 創作人形の作者(わたべみちこ)さんに直接お話を聞くことができました。
独学で人形づくりを始めたと言われ、人生の岐路で、生まれ育った郷土が浮かび上がった。そこにお世話になった人々や家族がいた。そこから表情が乏しい単なる人形ではないものを求めてきたとおっしゃっていました。
 地域に息づいたあたたかい関係があった昭和。そんな時代があったことをこの作品を見て、皆さんに知ってほしい、思い出してほしいとの思いに感銘を受けました。


秀逸の作品の数々 


















     


姫路市の最北部にある
奥播磨かかしの里に向かいました。

▼安富ダム
 
  






かかしの里の中ほどに、かかしの里分校とかかれた建物がありました。






そこに立寄ると、かかしの教室とありました。その中をのぞいてみると、小学校の教室のようです。授業参観で、多くの父兄が取り巻いていました。(*^^)v

 ※説明書きに、授業参観のかかしはすべてイベント展示用のかかしとありました。かかしの保管倉庫を兼ねているようです。






















     


info
また、帰っておいで 待ってるよ
創作人形と写真展は、5月13日から7月2日(日)まで



【関連】
奥播磨かかしの里のひな祭り


◆ 播磨・宍粟の城跡一覧

ツツジが満開 篠ノ丸城跡にて

2023-04-04 21:28:46 | 日記

 2023.4.4 Am10;00 晴 今日も春の陽気が立ち込めている。
この日、篠ノ丸城跡(通称一本松)のツツジが気になり登りました。
 
 今年はこの時期雨は少なく、桜がいつもより長く見られた。いよいよ桜吹雪の光景があちこち見られた。

 篠ノ丸城跡の登山道では、新緑のモミジが目に優しく、ところどころに紫色のツツジが満開となっていた。
 篠ノ丸跡の主郭の土塁前のツツジ群は今年もみごとに咲き誇っていた。



















▲アセビ(馬酔木)の大木






















▲上部の高取山のツツジもきれい










▼直近のブログです。
光福寺の大糸桜(2023.3.29) 

【関連】
 ツツジ咲く高取山に登る (2022.4.12)

播磨・宍粟の城跡一覧


光福寺の大糸桜(2023.3.29) 

2023-03-29 11:54:01 | 日記
光福寺の大糸桜

  令和5年(2023.3.29)午前9時半快晴 花は数日前に満開を迎えたようだ。少しばかり散りかけてはいるが、見頃でした。
 この大糸桜は樹齢300年以上の老木で、台風による木の損傷が懸念されていましたが、念願の支柱が設置されていました。(昨年の10月設置)







































▲ 千種川を少し北に行ったところに菜の花畑がありました



◆ 鳥瞰図    by Google Earth





健康志向の主食 ~ 玄米食・胚芽米の効果 ~

2022-08-17 19:39:41 | 日記
 
健康志向の主食 

 6~7年前の住民健診で便潜血検査項目に引っ掛かり要精密検査とありました。以後同じ結果に多少気にしながら数年放置していたところ、親戚や近隣の知り合いが大腸ガンになった話を聞き、医者嫌いの私でしたが、昨年意を決して検査を受けました。結果はかなりのポリープがあったものの良性ということでひと安心。これを機に体質改善をしようと考えていたとき知ったのが玄米の効用です。

 我が家では、毎年10月にもなると、知人から玄米30㎏袋で購入しています。その玄米を定期的に近くの無人精米所に持って行き精米していました。今はその必要がなくなりました。
 なぜかというと、玄米と白米を混ぜて炊いたり、玄米そのものを炊いて食していると、便通によいことを実感したからでした。
 そうして、今では、家庭用精米機(五合)を購入し、炊飯毎に胚芽米にして食べています。




▲玄米と胚芽米     




▲家庭用精米機 5合 精米時間は約3~4分




▲玄米を胚芽、7分、5分、3分、白米につくことができる



 この精米によって除去される糠(ぬか)について調べて見ると、糠には多量の食物繊維が含まれ、便通改善や整腸効果が期待されるとあります。その他に、体の毒素を排出する成分により肌荒れ、アトピー、花粉症の改善、また血液をサラサラにしたり、血糖値低下などの生理機能をアップさせる栄養成分が多く含まれているという。
 
 「江戸煩い(わずらい)」という言葉を聞いたことがあると思いますが、江戸後期に武士や庶民の間に脚気(かっけ)という病が広がったといいます。江戸に訪れた武士や大名が体調不良に陥り、怒りっぽくなったり、足がおぼつかなくなる症状がでました。しかし国元の郷土に帰るとケロリと治ることから、この病を「江戸煩い」と呼ばれました。
 明治時代になって、東京帝国大学(現在の東京大学)教授鈴木梅太郎の研究によってその原因がわかりました。鈴木教授は脚気の原因が米糠にあると考えて、その成分を見つけ、1910年に発表し「オリザニン」と名付けました。その後、その物質がビタミンB1として広く知られるようになりました。
 つまり江戸では糠をとった白米が主流になり、ビタミンB1不足による病気だということがわかりました。

 これからは玄米という丸ごとの米を意識したものを主食に取り入れることが健康維持に大きな役割をもつのではないかと思うようになりました。
 米は小麦を使った多種多様な料理に比べるとあまりにも地味ですが、パンと比べれば栄養は倍です。糠という栄養をはぎ取った白米でも良質なたんぱく質があるからです。
 なので身近な米の価値を再評価し、子どもの食育のメインとして扱っていくべきではないかと思います。

 家には少しばかりの菜園があります。草花の肥料に糠がピカイチだということも最近知りました。なので家庭用精米機でとれる糠は野菜や花の肥料として使っています。
※参考 ユーチューブ「園芸店で教えてくれない 米ぬかの使い方」


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日記  私流 コーヒーの入れ方