🎨 田舎の画家の呟き 🎨

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山で命を捨ててはいけない。

2023-12-17 00:22:30 | 山が好き

                                      忍野富士  333 × 242 F4号

 

上記の絵画は来年の年賀の為に描いた山梨県忍野村からの富士の絵です。

過去に3回富士へ登った、厳冬期2回と夏のシーズン1回とその都度の山行の思いではそれぞれに異かなる思い出がある。

今迄で多くの山へ取りつかれたように登ったが大きな事故は起きなかった今更ながらつくづく感謝をしたいる。

登山はスポーツ、趣味、遊びのフィールドと位置付けることが出来ると思うが、どこの位置付けるかは人それぞれである。

 

私は東京湾の側で育ち子供の頃は海が大好きな少年だった。

だから泳ぎは得意で夏は勉強もそっちのけで泳いでいた。

今思ば恥ずかしい限りである。

 

そんな子供がある夏、父に山登りに連れて行かれた。

丹沢の塔ガ岳だったと思います。

マイナスからプラスの世界感は計り知れない冒険感がまとわりつき山の世界観にすっかり飲み込まれてしまった。

小四の夏休みの夏だった。

それから山への人生がスタートした。

 

山と渓谷、岳人は毎月買い求め次の山への5万図(国土地理院発行)ルートを調べガイドブックと照らし合せ計画を立てるだけの登山も良くした、山岳小説を読み本の世界へ当飛行を繰り返していた。

 

海でも山でも自然は人と仲間ではないと断言する。

人と自然との距離を測ると人は恐らく蚤位いだろう。

そう。人の血を吸う蚤。

そう意識していればいつ捕まって潰されるか常に心していられる。

 

何度か登山中で死を感じた事はある。

でも不思議と何故か冷静な頭と心が気を静めてくれる。

そのような状態は次の行動を起こすためのすき間を見つけ出すことが出来る。

その隙間と瞬時の行動で助ったこともある。

山での遭難で多いい一つとして気象遭難がある。

結構多いいので心するとよいです。

皆さんが良く知る高尾山でも気象遭難で男性が(低体温)命を失っています、標高500mでも置きます。

 

あぁ思い出した、中学生の頃自転車で高尾山へ登りました。

何で登ったんだろう。

思い出せないなぁ~。

 

今回、きちんとしたテーマがあって文書をつづるつもりが重い文書になってしまい申し訳ない。

次回、たぶん来年はいつものアホな自分で書きます。

 

皆さま良いお年を・・・・

 

 

 


レンブラントが好きだつた頃とその後。

2023-08-27 18:05:27 | 山が好き

                  一寸・英吉利 333 × 242 F4号

 

「画家で一番好きな人いますか」。と聞かれたら「レンブラントです」と即答します。

皆さんもレンブラントと言うオランダの画家を耳にしたり或いは画集で見たりしたでしょうか。

光と影の明暗を明確に表現する技法を最も得意とする1600年代のオランダの画家です。

闇の中に美しく表現される世界観がとても素晴らしいんです。

 

ある日、私の好きなレンブラントの思いを打ち破った一人の洋画家が居ました。

その人は日本人洋画家です。

もう。 40年以上前の出来事ですが良かったら聞いてください。

 

当時の私は横浜の港に絵を描くため週末毎に通っていました。

横浜の港には、やはり週末私同様に多くの画家達が通い様々な場所で絵を描いています。

今、思いだしてもいい時代だと懐かしさが体内で高まります。

現在はMM21で見事に現代的な変貌に姿を変え当時の面影は残念ながら感じません。

 

ある年の夏、ある女性から (面識は既にありました) 「来週末妙義山へ一泊で絵を描きに行きませんか」

突然声を掛けられキョトーンとしている私の顔を覗きながら更に「私都庁へ勤めていて都の絵画クラブ

で絵を描いている小百合と言います」面識はあったものの初めての会話が唐突過ぎます。

「画家さんに合わせたい先生が居るんです。その先生に是非会ってください」熱望アピールに負け承諾してしまった。

 

妙義山は秋の佇まいでとても艶やかに着飾っていました。

都の絵画クラブの皆と挨拶を終え小百合さんと共にイーゼルを立て居ると先生が「もう長いのかね、絵は」

と声掛けをしてくれる「中々思うようには・・・」と謙遜すると「そうか そうか」一区切りして

「小百合君が、連れて来るんだから何かあると思うんが」謎を残しながら他の生徒へと移って行く。

 

秋の暖かい日差しと幸福に満ちた時間の中で絵は着実に進んでいきます。

その時私の背で「なるほど、そう言う事か」と先生は独り言のように呟いた。

「画家君、付いてきなさい」と言うなりソクソクと歩きだしその後を私は追う。小百合さんも何故か付いて来る。

先生が描いている場所には先生の絵がイーゼルに掛かっているカンバスに描かれた絵の色具合が私の色具合に似ていた

いや、失礼も甚だしい先生の足元にも及ばない私の絵をいやしくも同じように思うとは何たる事かと自分を戒めた。

 

「ねっ、先生世の中には偶然だとしてもこんなにも似ているんですね」と笑った。

「こちらの先生は I.T先生よ」

「I.Tさんですか? 名前は存じていましたが最初から先生だと知っていたらきっとココへは来ていないかも」

「小百合さんも人が悪いですよ」TVドラマのような会話をしたのを思い出す。

 

私の絵は先生の絵には遠く及ばないが、先生の素晴らしい色使いを私に見せて付け感動を打ち付けた。

何気ない描きこみにも鋭くも優しい色をスッと描く技術には舌を巻くしかなかった。

I.T先生の裸婦像の肌の色は健康的な肌をしている、明るく健康的な肌をどのように思いついたのだろうか。

小柄で優しくて画家としての自信が人としての重みになり、信頼と希望を私にくれた。

先生は平成10年に90歳で永眠しました。

 

 

今回はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


秋山郷 混浴国盗り物語

2023-06-27 02:22:37 | 山が好き

清流 333 × 242  F4号

 

 

先ずは、皆様へご報告があります。

前回の山梨県瑞牆山付近での事件を書きましたその後偶然にもYouTubeで事件そのものの動画UPを

偶然にも遭遇してしまいました。

で、興味のある方はURLを最後部に記載しましたので覗いてみてください。

 

さて、日本国内ではジェンダー論が良くも悪くも飛び交っていますが私の感じる所米国の日本大使の傲慢さには

腹を立てております。 まったくもって内政干渉そのものと言いたい。

 

WW2に於いては日本は連合軍、ハッキリ言えば米国に負けました。

GHQが日本を統治していました頃に米は日本国民の文化である混浴、親子が川の字で布団を並べて寝る事や

個人的な同性愛などをひっくるめて日本人は野蛮な民族と指を指して言った。

だが、2023年 令和五年には手のひら返しで真逆を押し付けるなんて こった。

飽くまで私個人の意見ですがジェンダー何ぞは今迄どうりの体制でいいんジャー!!

 

ハイ、なので今回も混浴の話を書いてみます。

 

ある年の秋紅葉狩りと洒落て長野県と新潟県の県境の栄村の秋山郷へ山仲間と出かけた。

これ以上申し分のない秋模様であったし気心知れた友との時間が楽しいものだった。

車を飛ばすその先に露天風呂の看板を見つけると一同3秒とかからぬ早技で「行くぞ」のコール

こう言う時の友は頼もしい限りです。

何と解放感丸出しの露天風呂が秋の高い空の下で光っているではないか、風呂自体の構造も一般的な

風呂をイメージすると変わっているのです。

やや傾斜のついただだっ広い空き地に細長く下へと伸びているウナギの寝床ならぬウナギの風呂とでも

言おうか、その風呂の頭の部分に源泉かけ流しの湯口から勿体ないほど落ちている。

観察して分かったが湯船は三等分に区切られ一番上は源泉で熱すぎ、二番目が最上の塩梅です。

最後の湯はのんびり浸かるにはうってつけです。

 

我々の他に男性たちが3人ほど真ん中の湯船でほけていたのだが一番めが熱いので我ら四人真ん中の湯へ

お邪魔した。 天国である。

 

所が事件はこちらへやって来るのである。

何やらキャーキャーと女性の声がするのでそちらへと顔を向けると何と三人の熱女たちが

タオルを胸から巻き付けこちらへと来る、という事は露天風呂へ入るに決まっている。

我らは呆気に取られポカーンと湯から顔を出し熱女等を見上げている図式は如何なものかだったのか

知る由もない。

 

熱女等は源泉の熱さに「キャーッ  あ つ い 」「 キャー 」などと驚いているのかふざけているのか私には

分からんような騒ぎかたで我らと他の三人組の浴槽へと目を向けたではないか「うっひゃー」とか何とか

誰かが発する声と同時に「ごめんあそばせ」と浴槽へ熱女等は入ってくる。

 

白昼の健康度100%のこの露天風呂は熱女等に占領されてしまっつた。

我らは上の源泉風呂、他三人組は三番目へと避難して真ん中湯船は熱女等の領地となった。

 

秋山郷の露天風呂は今でも旅人を癒しているのだろうか。

今回はこれで。

 

20代女性登山者が標的に山梨県の山中で起きた非道な事件

穂高の山の話 (穂高の山の話さんより掲載確認済み)

https://www.youtube.com/watch?v=r0Qo-FIkt_c

 


混浴は突然にやってくる。

2023-05-26 14:38:16 | 山が好き

                                    頂きへの道 333 × 242  F4号

 

混浴は突然やってきます。

秩父の金峰山、瑞牆山は私にとって忘れがたい山の一つである。

春夏秋冬と山行を楽しんだ、この山行は必ずパーティーで行く山であったが何故なのかは分からないが

とにかく連れが数名居るのが常である。

長野県からのルート山梨県側からのルートとどちらも趣のあるルートである。

此処で今思い出したので訂正したいので訂正させていただきます。

単独行が2回ありました歳のせいか逸脱していました申し訳ありません。

ついでと言う事で単独行で背筋の凍るような出来事を思い出したので書き記します。

寄り道をお許しいただけたら幸いです。

 

 

この付近には三軒の山小屋がありますがその中の山小屋での出来事を聞いてください。

その年の秋の平日に一人で静かに山へ入りたくここを選んだと思う。

小屋のテントサイトの登録を済ませる為声を掛け入ると「うお~ぅ」と不気味な声で応えながら

小屋場番らしき男性が薄暗い奥からヌゥ~と汚れた体で現れる「うひょー」と声にならない声で私は小さく発した。

「天幕張るのでよろしくお願いします」

「独りかい」「ハイ、人です」答え料金を渡ながら暗さに慣れた目で小屋番の顔を覗くとこの世の者ではない

地獄を覗いてしまったような顔に私は驚愕していた。

その夜は落葉松の葉が天幕をパラパラと打つ音がヤケに大きく耳を打ちハタマタ小屋番の他ならぬ容姿が

失せては現れ思うように寝れなかった。

後に小屋番の彼は殺人容疑で逮捕されるのである。

又その翌年に二度目の単独行で小屋へ立ち寄ったが無人の小屋となっていたので小屋の中の土間を借りて

土間にテントを張り一夜を過ごした。

お付き合いいただきありがとう。

 

 

さてと本題を忘れないように急ごう。

この山行の帰りは必ず益富の温泉へよりひと風呂浴びて帰るのが決まりと成っているので何時ものように

岳友等と鉱泉へより風呂場へと向かう先客2名と入れ替わりに我らは身体を洗い湯船に沈み天国てんごくと

唱えていると新たに一人がタオルを両手で胸からかくして入ってくるのである。

どう見てもどう見なくても女性であることは湯気の合間でも分かった。

その女性は我らに気付くと軽く会釈をしてもう一つの湯船に身を沈めた。

女湯は男湯の手前に有るので間違う事は考えられないが一応注意を促そうと

「あぁ ココ男湯です」と声を掛ける間もなく女性はニッコリと会釈を返す。

何て綺麗な女性なんだろうと明後日な考えを抱いてしまった。

その後の我らは湯船から出ることも出来ずただ目線を下げ静かに時を待つだけである。

 

男は弱い生き物である女性との突然の出会いは強く感じたその日の入浴であつた。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


蓮華温泉ロッジの思い出

2023-05-16 01:12:49 | 山が好き

                              北信濃の集落 333 × 242 F4号

 

 

蓮華温泉ロッジの思い出。

 

この温泉ロッジへは5.6回程の宿泊がある。

湯量の豊富な良い温泉だと記憶している。

大糸線平岩駅からバスに揺れようやく到着する塩梅の山小屋です。

此処には友人が働いて居たことによって宿泊する形となり数年続けて通ったのでそれなりの思いでも有るのである。

又、白馬岳、唐松岳へと縦走を楽しませてくれる起点でもある。

 

その友人はその後上高地の嘉門次小屋へ移って行き私も嘉門次小屋へ顔を出した記憶がある。

ある日彼はジムニーに乗って私の所へより蓮華温泉ロッジをやめ普通免許を取り購入したのだと

ニコヤカに語った顔にジムニーを慈しむ素振りが満足気に感じた。

嘉門次小屋へはその後移ったのだと今文書を書きながら気付かされた。(記憶の曖昧さに齢を取るとはこういう事なのである)

世捨て人のような彼はたえず好き勝手に生きてゆく人間だが全くの常識的の人間でもある。

確か彼は都の役人の倅だった、その後彼とは自然と疎遠になっている。

 

話は戻り蓮華温泉ロッジの名物は混浴温泉の露天風呂を四つ有していることだ。

ある年、そう今から40数年前の夏(そのころ私は横浜のデパートの山岳会の顧問のような事をしていた)

そのデパートの方々と白馬岳へ行くことになりその年の夏山登山を蓮華温泉から白馬三山縦走を企画した。

のんびりと歩く2泊3日の7.8人んの山旅の一泊がこの温泉である。

誰とは知らず皆で露天風呂に入る事となりました。

露天風呂は山道を登るので足元は安全のために登山靴履く。

一番上の薬師の湯、下の仙気の湯、更にその下の黄金の湯へと三湯を制覇する段取りで夕刻の明るい中を向かった。

我ら以外に入浴者は見当たらなく小高い山中の開けた湯場は格別です。

女子達は上下の下着とタオルを付け男どもは下着の着用は勿論である。

湯船につかる頃には夕闇が包だし遠くの空には金星が輝く露天の醍醐味がひしひしと身を包み安心している側で

西の方角で閃光が走りだし雷も聞こえる。すかさず誰かが「玉やー」の声を上げると「鍵やー」の声も上がる。

盛り上がる中雷雲はこちらへと向かってくるので遅かれ早かれ我らに届くのである。

思いもいらず雨雲にすっぽり囲まれたようで雨も強くなり湯船から上がり衣類をまとめて靴を履き雨の中を下の

露天風呂までキャーキャー言いながら皆で下り冷えた体を二つ目の露天で体を温め又走り出し更にその下の湯船

で体を温める始末であるがその頃の皆はアハハ、あはは、と無邪気な笑いになって無事小屋へと辿り着いた。

 

小屋へ着くころには雨はすっかり止んだと言うより雨など降ってはいなかった。

山の天気とはそのようなもんである。

 

では、次回まで。